紀伊宮原で夏美と再会して、俺の人生が大きく変わった

春風秋雄

4時間かけて、あの人に会いに行った

俺は今、和歌山発の“きのくに線”の列車に揺られている。目的地は紀伊宮原だ。朝9時に家を出て、最寄りの岐阜県の多治見駅を出発して、名古屋まで行き、そこから新幹線で新大阪へ行き、新大阪から特急に乗り換え和歌山へ、そして和歌山で乗り換えてきのくに線に乗った。実に目的地まで4時間ちょっとの行程だ。わざわざそこまでして行くのは、誰かの結婚式でも葬式でもない。夏美から3年ぶりに連絡があり、「会いたい」と言われたからだ。

夏美と最後に会ったのは、名古屋の駅ビルにある喫茶店だった。東京から和歌山に帰る途中に名古屋で一時下車するから会えないかと前日に連絡があり、俺は待ち合わせの時間に名古屋まで行った。その時、喫茶店で夏美から「結婚することになった」と告げられた。地元で見合いをして、その人と結婚し、地元で暮らすことにしたということだった。夏美はわざわざそれを俺に伝えるために名古屋で途中下車したのだ。それ以来、夏美とは連絡をとっていなかった。あれから3年経った今になって、突然「和歌山まで遊びにおいで。トシ君に会いたい」と言われた。俺が「何かあったのか?」と聞くが、何も答えない。夏美は時刻表を調べていて、紀伊宮原までの行き方を細かく教えてくれた。

「その通りに来れば、13時34分に紀伊宮原に着くから。もし来たくないのなら来なくてもいい。私はその時間に紀伊宮原の駅で待っているから」

そう言って、電話を切った。

俺は迷った。夏美はもう結婚している。いまさら会ってどうするのだ?しかし、俺は夏美に会いたかった。自分では気持ちの整理は出来ていると思っていたのに、夏美の声を聞いたら、気持ちを抑えられなかった。会うだけでいい。顔を見るだけでいい。そう思って電車に乗っていた。

紀伊宮原駅に着いた。小さな駅だ。改札を通り表に出ると、夏美が待っていた。3年ぶりに見る夏美は30歳を過ぎ、落ち着きのある大人の女性という感じがした。そして、とても綺麗だ。俺は忘れていた感情が蘇ってくるのと同時に、俺の知らない男の妻なのだという嫉妬心が湧いてきた。

「遠かったでしょ?」

「4時間以上かかった」

夏美が車を止めている場所まで俺を連れて行く。白ナンバーだが、軽自動車のように小さなコンパクトカーだった。

「悪いけど、運転してくれないかな」

夏美はそう言って車のキーを俺に差し出した。

「どうして?」

「乗ってから話すから、お願い」

そう言われて、俺はキーを受け取り運転席に座る。エンジンをかけ、シートの位置とミラーを調整する。

「どっちに行けばいいの?」

「とりあえず左に出て、それからしばらく真っ直ぐ」

俺は言われた通りに運転を始めた。

しばらくしてから夏美が言った。

「これからどこへ行くと思う?」

「わかるわけないじゃない」

「ホテルに行くの。そういうところへ行くのに、私が運転して行くのは気が引けるから」

俺は思わず夏美の顔を見た。


俺の名前は今井利明。31歳の独身だ。岐阜県の多治見市で家業の食品加工の会社で働いている。小さな会社で、俺が大学卒業して会社に入ったときは、家族の生活費も出ないくらい赤字続きで、毎月資金繰りに苦労していた。しかし、2年前に大きな取引先ができて、会社は持ち直し、今は何とか親父と一緒に経営を切り盛りしている。

夏美とは大学4年の時に出会った。大学の友達数人との飲み会で、友人の彼女が同郷の友達を連れてきた。それが夏美だった。夏美は東京の看護学校を卒業して国家資格をとり、看護師として働いていた。夏美は俺と同い年だった。夏美とは本の趣味、映画の趣味、そして音楽の趣味が合った。飲み会の間、他の連中がワイワイやっている中で、二人で趣味の話で盛り上がっていた。二人は連絡先を交換して、時々飲みに行くようになった。

二人が男女の関係になったのは、卒業を1か月後に控えた頃だった。その日は夏美のマンションの近くで飲んでいた。飲んでいるうちに時間を忘れて、終電を逃してしまった俺は、夏美の部屋に泊めてくれと頼んだ。最初は拒んでいた夏美だったが、最終的に部屋に連れていってくれた。夏美は俺を泊める決心をしたときに、そうなることを覚悟していたのだろう。自然な成り行きで、二人は同じベッドに入り、そしてひとつになった。俺も夏美も、もっと前からこうなりたいと思っていたはずだ。しかし、俺は卒業したら親父の会社を手伝うために多治見に帰らなければならない。夏美は働いている病院が看護師不足で、患者を放っておいて辞めることは出来ず、東京を離れることが出来なかった。だから、俺たちは付き合うことは出来ないとお互いに思いこんでいた。

俺は大学2年の時に1年間付き合っていた彼女と別れて以来、交際相手はいなかった。2年ぶりに女性の体に触れた俺は夏美に夢中になった。夏美の休みはシフト制で、曜日が決まっているわけではない。夏美に休みの日を確認して、その前日に泊りに行くということを繰り返した。しかし、俺の卒業は迫っていた。卒業式を翌週に控え、俺が東京にいるのもあと10日ほどになったとき、夏美がポツリと言った。

「トシ君も、もう少ししたら東京からいなくなるんだね」

俺は何か言わなくてはと思いながら、何も言ってあげることができなかった。

東京を離れる日が決まった。夏美にそれを告げると、「見送りにはいかない」と言った。

多治見に帰る日、東京駅で弁当を買おうと、売店をうろついていると、携帯が鳴った。夏美だ。

「今どこにいるの?」

「東京駅」

「そんなのわかってるよ。東京駅のどこにいるの?」

「売店で弁当を買おうとしている」

「何も買わずに新幹線の改札のところで待ってて」

言われた通りに、新幹線の改札で待っていると、夏美がやってきた。

「これ、お弁当。新幹線の中で食べて」

「これ、夏美が作ったのか?」

「これくらい私だって作るわよ」

夏美とは外食ばかりで、夏美の手料理を食べたことはなかった。

「じゃあ、私はこれから夜勤だから。元気でね」

夏美はそう言って人混みに消えていった。

夏美が作った弁当は美味しかった。これが最初で最後の夏美の手料理かと思うと、胸にこみ上げてくるものがあった。


多治見に帰れば、夏美のことはすぐに忘れるだろうと思っていた。東京での良い思い出に出来ると思っていた。しかし、自分が思っている以上に俺は夏美のことが好きになっていた。会いたくて、会いたくて仕方なかった。夏美の顔を見たい。夏美に触れたい。

多治見に帰って3か月くらいした頃、俺はどうしようもなくなり、夏美に連絡した。

「今度、東京へ行こうと思っているんだけど、日曜日に休みの予定ってない?」

「今月は平日休みばっかりだなぁ。でもいいよ。土曜日の夜に来てくれれば。その代わり、翌日の朝は私が出勤する時に一緒に部屋を出てね」

土曜の夕方には東京に着いて待機していたが、なかなか夏美から仕事が終わったという連絡がこなかった。ネットカフェで時間をつぶしたり、ショッピングモールをうろついたりしたが、なかなか連絡がない。ジリジリと焦れて待っていると、ようやく連絡があった。

「ごめん、遅くなった」

「いいよ。どこへ行けばいい?」

夏美は何回か二人で行ったことがあるイタリアンの店を指定した。時計を見ると、8時を少し回っていた。

イタリアンの店で、パスタとピザを頼み、ビールを飲みながら二人で分け合って食べた。3か月ぶりに見る夏美は、少し痩せたような気がする。

「少し痩せたのじゃない?」

「そう?体重は変わってないと思うんだけどな」

食事の後、俺たちは真っ直ぐ夏美のマンションへ行った。久しぶりの再会に、俺たちは何度も何度も交わった。夏美の体を触っていると、やはり痩せたと思う。仕事が忙しくて、肉体的にも精神的にもきついのかもしれない。ふと時計を見ると、11時を回っていた。

「ねえ、トシ君」

「何?」

「私たち、恋人でもないし、付き合ってもないじゃない?」

俺は何と返して良いのかわからなかった。この状態でまだ恋人ではないのか?まだ付き合っているとはいえないのか?俺は少しショックだった。

「私たち、これからどうすればいいと思う?」

夏美からそう真剣につきつけられて、俺は我に返った。おそらく夏美は、俺の口から正式に付き合おうと言って欲しいのだろう。何となくこういう関係になったけど、女性としては、男からちゃんと告白してもらって、正式に交際したいと思うものなのだろう。俺だって夏美を他の男にとられたくない。お前は俺のものだ、他の男には目を向けるなと言いたい。そのためには、正式に付き合おうというのが筋だということはわかっている。しかし、恋人になったあとのことを考えると、躊躇せざるを得ない。多治見と東京で遠距離恋愛になる。交通費だけでも往復2万円以上かかる。食事代を含めれば1回のデートで3万円近くかかることになる。今の親父の会社の経営状態はかなり悪く、俺はほとんど給料をもらっていない。そんな中で度々3万円を捻出するのはかなり難しい。今回も学生時代にアルバイトで貯めていたお金で来ている。ましてや、将来的に結婚なんてことは、とても考えられる状態ではない。そんな状態で付き合おうと言ったら、先々夏美を苦しめるだけではないのか?そう思うと、俺は中途半端な言葉しかでてこなかった。

「べつに、このままでいいんじゃない?」

ものすごく都合の良い言葉だ。恋人ではないから、お互い縛られることはない。将来的に何も約束することはない。お互いに会いたくなったら、スケジュールが合えば会う。そんな関係が「このまま」ということだ。

「・・・」

夏美は何も言わず向こうを向いてしまった。

しばらくして、夏美が

「ラーメン食べたくなった」

と言った。

「ラーメン?」

「トシ君、ラーメン買って来て」

「じゃあ、二人で買いに行こう」

「トシ君が買って来て。カップ麺じゃなくて、袋に入っているやつ」

「俺一人で?」

「いいから買って来て!」

俺はベッドから追い出され、仕方なく服を着て、マンションを出た。確か、駅の方へ歩いたところにコンビニがあったはずだ。しばらく歩くとコンビニの看板が見えた。袋麺は売ってるかなと思いながら陳列棚を見ると、昔よく食べた塩ラーメンが置いてあった。俺は2つ買ってマンションに戻った。

「買ってきたよ」

俺がコンビニの袋を差し出すと、夏美は黙って鍋をコンロにかけた。

出来上がったラーメンを俺たちは黙々と食べた。久しぶりに食べる袋麵は美味しい。

「ねえ、トシ君」

いきなり話しかけられて、俺は顔をあげた。

「私たち、他人になろう」

俺は声も出なかった。

「もう会うのはやめよう」

俺は何か言わなければと思いながらも、夏美の提案を否定するだけの言葉も材料もなかった。ささやかな抵抗として、俺は返事をせず、黙々とラーメンを食べ続けた。

翌朝早くに、夏美に起こされマンションを出た。地下鉄の駅のところで立ち止まり、夏美が言った。

「私は歩いて病院へ行くから、トシ君はここで地下鉄に乗りなよ。これで本当のお別れだね。元気でね」

そう言って、夏美は振り返りもせず、歩いて行った。


多治見に帰ってからの俺は魂の抜け殻状態だった。それでも仕事はこなしていかなければ、会社が危うい。俺は全てを忘れるためにも仕事に没頭した。しかし、ふと夜に独りになると、夏美のことを思ってしまう。そういえば、俺は夏美の写真を一枚も持っていないことに気づいた。でも、それはかえって良かったのかもしれない。下手に写真を見返せば夏美を忘れることができない。

夏美と「他人」になってから半年くらいした頃に、地元の友達と飲み会をした。久しぶりに陽気に騒ぎ、しこたま飲んだ。家に帰り、酔った勢いで、俺は夏美に電話をした。

「もしもし。トシ君?」

「久しぶり。元気だった?」

「どうしたの?」

「ちょっと夏美の声が聞きたかった」

「もう、こういうのはやめようよ」

「もう会わないとは言ったけど、電話はいいでしょ?」

「私たちは他人になったんだから、他人なら電話もしないでしょ?」

「迷惑だった?」

一瞬夏美が黙った。そして絞り出すような声で言った。

「うん、やっぱり迷惑」

「わかった。じゃあ、切るよ」

俺はそう言って電話を切った。


やっぱり、夏美のことは忘れなければいけない。俺はそう思って、地元の友人の紹介で一人の女性と付き合ってみた。しかし、性的欲求は満たされても、精神的欲求は満たされなかった。会話もつまらない。俺が映画のことや本のことを話しても、その女性は「へえ、そうなの」と言うだけで、何も返ってこない。そして、うちの家業の実態を話すと、結婚相手の対象でないと判断したのか、離れて行った。

夏美と「他人」になって、2年くらいした頃に、いきなり夏美から分厚い封筒の手紙が届いた。貼られていた切手では料金不足で追加料金を俺が払った。封を開けて読むと、それは手紙ではなく、エッセイだった。最近見た映画の感想。そして主演の男優のこういう演技が良かった。この映画に日本の音楽をテーマ曲にあてるには、誰それのあの曲が似合う。そんな感じで、最近読んだ本のことや、音楽のことが、実に7枚の便箋にびっしり書かれていた。俺たちがいつも時間を忘れて話していたことを思い出す。俺たちはいつもこうやって際限なく映画のことや本のことや、音楽のことを語り合っていた。

俺はその日の夜、夏美に電話をかけた。しかし、何度かけても夏美は電話に出なかった。


俺は忘れた頃に夏美に電話をかけていた。出ないだろうということはわかっていた。いつも呼び出し音が10回くらい鳴り、そのあと「ただいま電話に出れません」というメッセージが流れる。電話がつながったからと言って、俺はどうすることもできない。会社は相変わらず火の車状態で、いつ倒産しても不思議ではない状態が続いていた。

数か月に1回、気まぐれで電話をしていたら、ある日電話がつながった。

「もしもし」

「夏美?」

「もう電話はしないでと言ったのに」

「以前手紙をくれただろ?」

「あれは、ちょっと書いてみただけ。今実家に帰って来ているの。ちょっと待って」

夏美はそう言って電話を手でふさいだようだ。しばらくしていきなり男性の声がした。

「もしもし、えーと、本人は大変迷惑しています。もうこのような電話はやめてもらえますか」

「失礼ですけど、あなたは?」

「夏美の兄です。では、切らせてもらいます」

そう言って、兄と名乗る男性は電話を切った。

夏美が結婚すると名古屋まで報告に来たのは、それから1年後だった。


そんな夏美と、俺は今ホテルの一室にいる。すでにシャワーを浴びた俺はベッドに入っていた。夏美は今シャワーを浴びている。部屋に入るなり、俺は夏美に「何かあったのか?」と聞いた。夏美は苦笑いするだけで、早くシャワーを浴びてきてと言った。

何があったのか気になるが、8年ぶりに夏美と肌を合わせることに、俺の胸は高鳴っていた。

夏美がバスタオルを巻いただけの姿でバスルームから出てきた。そしてベッドに滑り込んでくる。俺は唇を合わせただけで、その懐かしさから涙が出そうだった。


「ねえ、何かあったの?」

裸の肩を並べて息を整えている夏美に聞いた。

「べつに、何もないよ」

「夏美は、8年前と全然変わらないね」

「そう?ちょっと太ってない?」

「少しふっくらしたかもしれないけど、ちょうど良いくらいだよ。俺は変わった?」

「少し太った」

「そうかもね。一昨年くらいから会社の経営が良くなって、少し食べるものが良くなったかも」

「それまでは会社うまくいってなかったの?」

俺は会社の経営状況を夏美に話したことはなかった。

「実は、いつ倒産してもおかしくない状態だった」

「いつ頃から?」

「俺が会社に入った時には、すでに火の車だった。給料もほとんどもらえなかった」

驚いたように夏美は俺の顔を見た。

「そうだったんだ」

「だから、彼女を作る余裕もなかった。ましてや結婚なんか考えられなかった」

夏美は、俺の言葉を聞き、じっと何かを考えているようだった。

「なあ、何があったのかは知らないけど、離婚しないか?」

夏美が再び俺の顔を見る。

「今なら経済的にも結婚できる。離婚して、俺と結婚しないか?」

「私、結婚生活には満足しているの。好きなことをやらせてもらっているし。トシ君ほどではないけど、趣味も合うところがあって、美術館とかも一緒に行ってくれるし」

「じゃあ、離婚する気はないの?」

それに対して夏美は何も答えなかった。

「お腹すいてない?私弁当を作ってきたんだ」

夏美はそう言ってベッドを抜け出し、バスローブを羽織ってカバンをごそごそやりだした。俺もベッドを抜け出し、テーブルに移動した。

テーブルの上に、次々に料理が並ぶ。美味しそうだ。

「8年前に新幹線で食べた弁当、美味しくて、これが最初で最後の夏美の手作り弁当かと思ってたけど、また食べられるなんて、嬉しいな」

夏美の料理は、本当に美味しかった。俺は思わず涙がこぼれてきた。

「何泣いてるのよ」

「あまりにも美味しすぎて・・・」


ホテルを出て、夏美の指示通りに、目立たない裏道を通りながら車を紀伊宮原の駅まで走らせる。

「また会える?」

俺がそう聞くと、夏美は一拍おいて逆に聞いてきた。

「ここまで来るの、大変じゃない?」

「大変だけど、夏美に会えるなら何でもない」

夏美は、しばらく黙ったあと答えた。

「先のことは、何もわからない」

俺はそれ以上言うと、夏美を困らせることになるのだろうなと思った。


多治見に帰ってから、夏美からまた和歌山まで来てと連絡がくるのを、ずっと待っていたが、夏美からは一向に連絡がない。旦那さんに気づかれてはいけないので、俺からは連絡はしないようにと、きつく言われていた。2か月経ち、3か月も経つと、和歌山での出来事は夢だったのではないかと思えてきた。

夏美から電話がかかってきたのは、あれから5か月くらい経った平日の日中だった。時計を見ると3時だった。夏美から以前電話があったときは午前中だった。家に旦那さんがいない時間を見計らってかけているのだろう。

「もしもし、トシ君?」

「夏美、やっと電話してくれたんだ」

「トシ君の家って、多治見の駅から遠いの?タクシーに住所言えばいい?」

「え?いまどこにいるの?」

「多治見の駅。多治見って、意外に都会なんだね。宮原とはえらい違い」

「多治見って、どうしたんだ?」

「私、離婚した。トシ君、お嫁にもらってくれるんでしょ?」

離婚した?本当か?

「今から迎えに行く。そこを動かないで。10分くらいで着くから」

俺は親父にちょっと出てくると言って、慌てて車を走らせた。

多治見駅に着くと、夏美が大きなキャリーケースを持って立っていた。クラクションを鳴らすと俺に気づいた夏美が近づいてくる。車から降りて待っていると、夏美が抱きついてきた。

「えへへ、トシ君が宮原までくるのは大変だろうから、私が多治見まで来ちゃった」

俺は何も言えず、ただ夏美を抱きしめた。

車の中で俺は確認した。

「離婚したというのは本当?」

「うん。昨日離婚届を出した。旦那が離婚に渋っていたけど、財産分与も何もいらないと言って、なんとか説得した」

「そうか。ひとつだけ聞いてもいい?」

「いいよ」

「どうしてあの時、俺とホテルに行ったの?何かあったのかと聞いても何も話してくれなかったじゃない」

「私ね、ずっとトシ君のことが忘れられなかった。結婚したらトシ君のこと忘れられるかなとおもったけど、全然忘れられなかった。旦那と映画を観に行って旦那の感想を聞いても、何かピンとこないし、トシ君とならもっと楽しかっただろうなとか、新しい本を読んだら、この本のこと、トシ君に話したいなとか。このままだと、旦那さんに申し訳ないなと思って。それで、もう一度だけトシ君に抱かれよう。そして、それを最後にキッパリ、トシ君のことを忘れようと思ったの。言ってみれば、トシ君を忘れるための儀式みたいな気持ちだった。そしたら、トシ君が離婚して俺と結婚しろというじゃない。驚いた。トシ君は私のこと、そういう対象で見てないと、ずっと思っていたから。本当にうれしかった」

そうか、そういうことだったのか。

「ねえ、トシ君の家から多治見駅まで10分程度なのでしょ?もう20分近く走っているけど」

「これからどこへ行くかわかる?」

「わからないわよ」

「ホテルへ行くんだよ。今すぐ夏美を抱きたい」

俺が夏美を見ると、夏美は笑顔で頷いた。

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