本編

そりゃ。おめぇが見たのは、白鷺の霊だよ。


おいおい、なにびびった顔してんのよ。


伊予の男がこんなことで怖がっちゃぁいけねぇよ。


それに何にも怖いことじゃねぇのよ。


霊といってもあいつは悪い奴じゃないんよ。


道後温泉には、白鷺の伝説があってね。


お前は、その伝説の鳥を見たのさ。


運がいい。


俺もガキの頃、一度見たことがあるんだ。


ちょうどお前くらいの年だ。


そのお陰かげで俺はこの年になっても10本も歯が残っている。


お前もたくさん残るといいな。


え?


歯の話はいいから早く白鷺の話をしてくれって?


もう少し、歯の話を聞いてくれてもいいじゃないか。


自慢の歯なんよ。


同年代のジジィはみんな片手で数えるほどしか歯が残っていない。


両手の指を全部使って数えるのは俺の歯だけなんよ。


その話はもう聞き飽きたって?


なら仕方ねぇ、子供はこういう昔話が好きだよね。


おっじいが話を聞かせてやるからこっちへ寄りなよ。そこは寒いだろう?


道後温泉はお前が見た白鷺がいなかったら無かったかもしれねぇのよ。


だからかは知らないが、道後温泉のシンボルは白鷺なんよ。


ほら、道後温泉の屋根の上にでっかいのがいるだろ。


他にもいろんなところにいるんよ。


お前も今度遊びに行ったとき探して見るといい。


おいおい。


まだ、寝ないでくれよ。


そんなに長い話やないんよ。


昔に脚を怪我して苦しんでいる白鷺がいてな。


そいつを捕まえて食べようとしたのか治療しようとしたのかは分からないが、村人がそれを見ていたのよ。


苦しんでいる白鷺は、岩間から流れる水に脚を浸したのだ。


動物ってのは不思議よね。


普通、傷口をぬらすと痛いからそんなことはしないはずないけど、その白鷺はどうなるか分かっていたのかもね。


足を水に浸すと瞬く間に傷が治りって、元気に飛び去って行ったのよ。


不思議なこともあるものよね。


ん?


お前も見間違いだと、そう思うか。


そんなこと起こるはずがないだって?


どうだろうな。


少なくとも昔の人はそうは思わなかったようだ。


頻繁に岩間の水に入って怪我が治るかためしたらしい。


それが、道後温泉の起源なんよ。


俺はその白鷺が、傷を治してくれた恩を返すために温泉を守っていると思ってる。


だから、たまにお前や俺みたいに白鷺の霊を見る奴が現れるんよ。


えっ。そんなことないだろうって。


でも、案外そうかも知れないよ。


何たって日本最古の温泉なのだから。


な、長い話じゃなかっただろ。


話を聞いてくれてありがとうよ。


お前は優しい奴だな。









「ねぇ。じいちゃん。白い大きな鳥がいるよ。」


「ん~。そうだなぁ。立派だね。」


孫が話しかけてきたのは、坊ちゃん列車を降りてすぐのことだった。


先ほどまで、蒸気機関車の中ではしゃいでいたのに、降りるとすぐ次の話題だ。


この子は新しい話題を見つけ出す天才だな。


こうして話していると昔、祖父と話していたのを思い出す。


俺が子供の頃は、祖父と話をするのが好きだった。


話の内容はもうほとんど覚えていないが、歯が10本残っていることが自慢だったのは覚えている。


遺骨に歯を入れてくれとお願いするくらいだ。


本当に自慢だったのだろう。


この子も俺と話をするのを楽しみにしてくれていたら嬉しい。


こうして一緒に出かけられるのが最後になるかも知れないと思うと寂しいものだ。


数年前、足を骨折してから急激に足が悪くなったのだ。


今は、歩くのが辛いからあまり出歩かなくなったが、孫のためなら喜んで出かけるというものだ。


後悔はしていないが、遠回りをしてわざわざ坊っちゃん列車に乗ったのが悪かったのか、足が痛む。


足を折ってからというもの急激に老化が進んだように感じる。


どうやら、目までも悪くなってしまったようで、孫が指さす大きな鳥を見つけることが出来なかった。


年は取りたくないな。


話を合わせるために、咄嗟に見えたと嘘をついてしまった。


坊っちゃん列車の終点の道後温泉駅を降りたすぐの所に商店街の入り口がある。


L時に曲がっている商店街を抜けるとそこに、目的地の道後温泉の本館がある。


祖父が生きている頃から何度も通った道だ。


道後温泉の本館は立派な建物で屋根に白鷺のシンボルが立っている。


見なくても細部まで眼前に広がる。


骨を折ってから来るのは初めてだが、久しぶりに孫が遠方から遊びに来たのだ。


せっかくの時間を家でずっと過ごすなんてもったいない。


孫との楽しい思い出作りのために久しぶりに道後温泉まで来たが、周囲を見渡すと道後温泉も随分様変わりしたようだ。


足をさすりながら孫を追いかけると、後ろから坊ちゃん列車の汽笛が聞こえる。


先ほど乗ってきた坊ちゃん列車が折り返しの運転を始めたのだ。


「じいちゃん。あそこに大きな時計があるよ。」


商店街の入り口の脇には、からくり時計がある。


言われて思い出した。


そういえば、そんなものもあったな。


視線を向けると、昔と変わらない状態でそこにからくり時計が鎮座している。


毎時00分になると、からくり時計が動き出す。


今は14時40分、後20分だ。


からくり時計が動くには時間がある。


確か、近くに足湯があったはずだ。


興味があるなら時間までそこでゆっくりするのもいいだろう。


坊ちゃん列車に白い鳥と来てその次は大きな時計か。


いろいろなことに興味関心を持てるのは子供の特権かも知れないな。


年を取ると感受性が乏しくなっていけない。


なんせ、大体のことは経験している。


からくり時計など数え切れない程見た。


今の人生の刺激は、子や孫の成長を見ることくらいかな。


走り去って行く子供の後ろをゆっくりと追いかける。


からくり時計の方へ走って行った孫がふと立ち止まり、こちらに振り返る。


早速、何か見つけたのだろう。


随分長く忘れていたわくわくとした感情が戻ってくる。


今度は先ほどのようには騒がずに静かに、だが小さな体を大きく広げて指を指して何かを訴えかけている。


早く孫の元に駆け寄りたいが、この重い足は思うように動かない。


足をさすりながらよたよたと歩いていると、孫が待ちかねているのか、手を振る仕草が早くなっていく。


杖をもって来れば良かったな。


妻から杖をプレゼントされたが使わずに押し入れにしまっているのだ。


妻より5つも若い俺が、先に杖を持つようなことはしたくない。


ただの俺の意地っ張りだ。


今日もさりげなく玄関に置かれているのに気がついたが、見ないことにして出てきたのだ。


杖に頼ってしまうと老化が加速しそうで怖いのだが、孫を待たせるくらいなら杖を付いた方が良い。


やっと追いついた。


孫は耳を貸して欲しいのか服の裾を掴み下にぐいっぐいっと引っ張る。


遅いことに文句1つ言わない孫は優しい子だ。


そんな、孫の話を聞いて目を丸くした。


からくり時計の前に立っている男性が幽霊だというのだ。


何でも、からくり時計の上に止まっている白い大きな鳥が、男性をすり抜けたという。


だが、それは間違いだろう。


男性の脚はしっかり見えている。


幽霊なんてものは生まれてこの方一度も見たことがない。


子供の頃は、良く得体の知れない超常現象を体験したような気がするが、今となってはっきりと覚えていない。


覚えていないが分かることはある。


子供の頃の暗闇が無性に怖いのは、未知に対する思い込みや錯覚だ。


つまり、孫の見間違いだろう。


先ほど見損ねた白い大きな鳥を見ようとからくり時計の方を見ると、そこにはもう鳥はいなかった。


あぁ。残念だ。


また鳥を見損ねてしまった。


孫が興味を示す鳥だ。


きっと美しい鳥なのだろうが私には縁がなかったようだ。


「ねぇ。やっぱり、あのおじさん幽霊なのかな。時計の前からずっと動かないよ。」


男性は携帯を触りながらじっとその場で立っている。


「幽霊じゃないさ。」


「でも、鳥はすり抜けたし、それにあんな場所で立っているのも変だよ。」


「動かないんじゃないよ。待っているのさ。」


「待っている?何を?」


「からくり時計が動くのをだよ。」


「からくり時計!僕も見てみたい!」


孫の興味対象は、幽霊の男性から、からくり時計に変わったようだ。


目を輝かせながら見たいと訴えかけてくる。


全くまぶしいな。


祖父もこんな気持ちだったのだろうか?


孫はじっとからくり時計を見つめて、いつ動くのかと見つめている。


残念だが、からくり時計が動くにはまだ時間がある。


からくり時計が動く頃には観光客が集まってくる。


まだ時間には早いため、周囲には男性以外観光客はいない。


だからこそ、あの男性が際立って奇妙に見えたのだろう。


「からくり時計が動くまで20分ある。それまで、あそこの足湯でゆっくりしていこう。」


孫くらいの年は何でも面白おかしいのだろう。


足湯の場所を指さすとその場所へ向かって一目散に走って行ったが、男性だけは大きく弧を描いて避けていく。


男性は幽霊ではないと話したのだが、まだ少し幽霊だと思っているのかもしれない。


俺がゆっくりと歩いて足湯に到達したときには孫はもう足湯を楽しんでいた。


孫の後ろには揃えられた靴とその中に納められた丸くなった靴下が入っている。


娘が時折、子供が片付けをしないと嘆いていたがしかりしているではないか。


孫と同じように座り、ゆっくりと靴下を脱ぐ。


靴下を脱ぐ簡単な動作も体が硬くなってスムーズに出来ず時間が掛かってしまう。


やっと準備を終えて足を湯につける。


はぁ。


湯加減も良く心地がいい。


先ほどまで痛かった足が嘘のように軽くなる。


今なら孫と同じペースで歩けそうだ。


そう思えるほど、この温泉は心地が良い。


本当に早く歩ければ孫を待たせることもないし、もっと遠出もできるだろう。


この子は優しい子だから、何も言わずペースを合わせてくれる。


それに孫は天才だ。


すぐに新しい話題を見つけてくる。


何かを好きになることや、興味を持てることは才能だ。


そのことに興味が湧かなければ、新たな発見も起こらないのだから。


きっとこの子は賢い子になるだろう。


その人生のいく末を見られないことが寂しいが、仕方がない。


今も何か気になるのか足湯の端の方をじっと凝視している。


はて、何が見えているのだろうか?


足湯の端には同じように座布団が置かれているだけだ。


何も凝視するようなものはない。


孫の中で、何か気になることがあるのだろう。


この子のことだ。


もしかしたら座布団の作り方でも考えているのかも知れない。


「なぁ。何を見ているんだい?」


「しー。分かるでしょ?ほらそこの鳥を見ているんだよ。鳥も足湯に入るんだね。」


「えっ?何だって?」


目をぱちくりして見てみるが、足湯に入っているのは、俺と孫の2人だけで、鳥どころか他人もいない。


優しいこの子は嘘をつくような子ではない。


揶揄われているのだろうか。


人を揶揄ってはいけないよ。


そんな言葉が喉から出かかったとき。


水面に反射して鳥が見えた。


大きな白鷺だ。


ハッ。


見えたのは一瞬だけだった。


でも、それだけで十分だった。


あぁ。どうしてだろう。


年を取りたくないものだ。


どうして、今まで忘れていたのだろう。


今、この子が見ている鳥は、俺も子供の頃に一度だけ見たことがある。


間違いない。


あの時の白鷺だ。


目を閉じて思い返すと、次々と記憶が蘇ってくる。


懐かしいなぁ。


ゆっくりと瞳を開けると、もう水面には何も映っていない。


だが、孫にはまだ実物が見えているのだろう。


目をこらしてじっと観察している。


ポーーーー。


坊っちゃん列車の汽笛が聞こえ、孫が空を見上げる。


「あーあ。飛んで行っちゃった。それにしても、大きくて綺麗な鳥だったね。」


「あぁ。そうだね。あの鳥はね。白鷺っていうのだよ。」


「へぇ。白鷺か、かっこいい名前だね。」


「道後温泉の守り神なんだよ。」


「えっ。何それ。すごい。」


忘れていた祖父との会話を思い出す。


今まで忘れていたのか不思議なくらいに、鮮明に思い出すことが出来る。


「今夜、家に帰ったら話してあげるよ。そら、湯から上がるよ。そろそろからくり時計が動き出す。」


周囲を見渡すとからくり時計を見に来た観光客が集まっている。


その中には、幽霊と勘違いされた男性もいる。


人だかりを見て焦ったのか、孫は足を服の袖で簡単に拭くと裸足のまま靴を履き、靴下を握りしめて走って行く。


「ハハハ。そんなに急がなくてもまだ時間はあるよ。」


孫を追いかけるために足を素早く拭き、靴を履く。


早歩きで後を追いかけて気付く。


足が痛くない。


妻には悪いが、まだしばらく杖は必要ないらしい。


あぁ。そうか。


じいちゃん、あの伝説は本当だったよ。






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道後温泉の守り神 @kashiba_midori

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