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 変化には、段階がある。

 僕の食事との向き合い方に関する変化にも、段階がある。


 4年ほど経った頃に。

 別れた彼女が、お盆に先祖の墓参りを兼ねて帰省したので秋田市内の居酒屋で待ち合わせして飲むことになった。

 ひとり酒が多い僕とは異なり、大学のコミュニティ内で定期的に複数人と飲み合う彼女は、僕と酒を飲みながら食事するときの所作も少し変わっている。


 僕も実家の家族同士で酒を飲むことはあるが、その食卓にマナーなんてものは地域の治安の悪さもあって無いに等しい。過疎化が進んだ地域なんて、所詮はそんなものだ。私的な思い入れは深くても、他所に誇れる良さは少ない。


 食べたあとの枝豆の皮は別皿に。

 焼き鳥は、他人も食べるものは新しい箸で串から外しておく。

 会計や注文はなるべく早めに済ませる。

 大量の野菜等が一度に運ばれてきたらそれを人数分の小皿に分ける。


 ひとり酒以外で複数人と飲まなければ経験しないような他人と飲むときの気遣いとして、そういったことを彼女がやるようになっていた。

 昔の彼女は、僕と飲むときもそんなことは一度もやらなかったので、それを見た僕は住む場所に応じて人の行動が変化していくのを実感する。彼女と同居したときの僕みたいだ。


「今は、あんた、人付き合いが少ないじゃん。こういうの知らなくて慣れてないからまったくできないのも仕方ないけどさ。外で誰かと飲むとき、できるようになっておいて損はないことだから覚えておきなね。歳とったとき、できないと変に思われることもあるから」


「君は、僕がひとりでいたがる気質だって前からよく知ってるのに、なんでこういうこと教えたがるの?」


「だって、人から言われたら素直に受け入れて、良い方向に変わっていくのがあんたの良いところだもん。元々の性格の良さがないと、今こうやって私と楽しく飲めるようにならなかったと思うよ?」


「楽しそうに見えるのか……」


「うん」


 凄く真面目で、それでいて僕の変化が微笑ましいと感じていそうな味わい深い笑顔で頷かれた。上がった口角につられ、彼女の唇をよく見たら、最近ツイッターで話題になったKATEのリップモンスターが発売した限定色の口紅で美しく彩られている。

 田舎の秋田県に生まれて流行りのメイクにこだわる楽しさも季節に合わせて化粧品を変えることも知らなかった頃の彼女は、もういない。都会で暮らす女性が僕の前で楽しげに笑う。

 成長を感じる一方で、どこか寂しい。


「だって、私と同居してさ。料理とか食事に対する意識が変わってから、あんたは、私と一緒に何か食べるたび幸せそうな顔をするようになった。ひとりで食べてるときより、親しい人と一緒にいるときのほうが幸せそうな顔で食事してる」


「まあ、君との食事に限れば確かな安心感はある」


「もっと素直にデレてくれてもいいのにねえ」


「うるさいなあ、早く食べなきゃデザートのアイス溶けるんじゃない?」


「それは、マジでそう! 言ってくれてありがとう!」


 食事中の会話は、大体こんなものだった。

 ジャンボベリースペシャルパフェのアイスを頬張る彼女は、食べているものもそれにがっつく心理も女の子らしくて愛しい。


「めんけぇなあ……」


「んだべしゃ、腹つえぐなってきたなあ。……どう?! 方言薄めの秋田市生まれだし、東京で暮らしてると方言使う機会ないんだけど、上手く喋れてる!?」


「女性の秋田弁聞くたび思うけど、秋田弁は女性が使うと言葉の汚さが目立つから標準語のほうが印象いいよ」


「上手いかどうか聞いてるのに言及するのそこ?」


「まあまあイントネーションも込みで上手かったかな」


「よっしゃあ!」


 所作や外見が変わっても彼女は彼女だな、という、ありふれた感想を持つ。別れ際の彼女は、僕に不可解な言葉を残した。

 

「きっと今後は、幸せそうな様子を見たくて、あんたと一緒に食べながら話そうとしてこういう場所で交流する人がもっと増えるよ」


「どうして?」


「実際に、私がそういう理由で誘ってるからね。そのうち、あんたもそんな理由から人を誘いたくなる気持ちがわかるようになるよ」


 そのときの彼女の言葉は、

 よく理解できなかった。


 しかし実際に、その後から食事中の挙動がどうなるのか興味深く思えたインターネットの友人をオフ会に誘って、そこで楽しく飲み食いする機会が増えてきている。

 花見などの季節特有イベントも、そういう興味が湧いた人たちと過ごすようにし始めた。


 たぶん、次に会う彼女も、未来の僕の変化に関する予言を残して立ち去るのだろう。


 それを繰り返していった先で、彼女視点で僕がずっと自分好みの男だったらいいのに、と時おり考える。


 しかし人付き合いは、利害の一致と思考のアップデートが定期的に行われる関係性でなくては長く続かず、関係性のランクアップも起きない。

 僕も彼女に変化をもたらす存在にならなくては、彼女と再び付き合う未来は訪れないのだ。


 自分のために変わっていった先で残る人間関係のなかに彼女がいるようなら、そのときはまた彼女のために料理を作りたい。人生は成り行きで、同じ道を歩く人は選べるようで選べなくて、自然と決まっていくものだから。


 今日の夕飯は、

 家族と自分が大好きなおでんにした。


 酒のつまみにも合うから、

 自分と皆が満足げな晩餐だ。


 自分のためと、

 他人のためのバランスを保つのは楽しい。

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