突然、お題を与えられ、小説を書くことになった少年の話

弧野崎きつね

突然、お題を与えられ、小説を書くことになった少年の話

「はこ?それがお題なのかい?」

 文芸部の部室で、子犬のような可愛らしい男の子が、困ったように椅子に座っている。彼と私の間に置かれたテーブルには、彼が買ってきてくれた、私の好きなお茶のペットボトルが置かれている。

「はい、そうなんです……。くじでお題が決まるんですけど、みんな、『バスケをやめてサッカーを始める少年』とか、『墨汁を落として書初めを台無しにしてしまった少女』とかなのに、僕だけ、ひらがなで『はこ』だけだったので、どうしていいか分からなくて……」

「ああ、もうそんな時期か。あの教諭は、毎年やるんだよ。ひとつだけ、くじに外れ……というか、当たりをつくるんだ。悪かったね」

「いえ、全然いいんですけど。……あの、どうして先輩が謝るんですか?」

 そういって、恐る恐る尋ねてきた。

「かの教諭の最初の実験で、見つけ出された原石が私だからさ。つまり、今、後輩くんが困っているのは、私の所為だと言っていい」

「あ、そうなんですか。でも、全然先輩の所為じゃないと思います!」

「へえ、そうかい?なら、君を助ける理由もないね?」

「先輩の所為です!助けてください!」

「はっはっは、任されよう。他に部員もいないけれど、文芸部の部長だしね、当然だとも。君にその気があるなら、入部してくれても構わないよ」

「いやあ、僕、その辺の才能がからっきしで……。ご迷惑をおかけしてしまうかと思いますので、すみません」

「いや、言ってみただけさ。気にしないでくれたまえ」

 もらったお茶を一口含む。

「しかし、かの教諭の課題であれば、字数も大したことないだろう?適当に書いて何とかなるんじゃないかい?」

「それはそうなんですけど、なんかしっくりこないんですよね……。書いてるだけっていうか。なんて言えばいいのか、分からないんですけど」

「そうだね、芸がない。例えば、何でもいいと言われたからって、知らないものを適当に書いても面白いくならない。それが分かっているんだ。だから、きっと『はこ』とは何かを知りたいのさ」

「はあー、なるほど。先輩、すごいですね……」

「ふふ、君に褒められると嬉しいな。さて、『はこ』とは何か、だが。これは普段から使っている言葉だろう?だから、それが何か、私たちは実は知っているんだ。『はこ』だけ提示されても宙ぶらりんで、他の知識が結びつかなくて困っているだけさ。だから、足してやるといい。いつもこの言葉を使うときのようにね」

「足す……ですか?」

「そうだ、『はこ』があったら、君はどうする?何ができる?」

「えーと……何か、ものを入れられます」

「そうだ、そういうことだ。『入れる』ができる。他の動詞でも試してみたまえ。ぱっと浮かんだものでいい。『使う』とかね」

「『はこ』を、使う……?あ、なんかライブっぽいです!ミュージシャンとか!」

「その調子だよ。」

「はい!えー……埋める、叩く、拾う、渡す、作る。」

「どうだい?」

「タイムカプセルとか、太鼓とか、ダンボールとか、そういうのを連想しました。なんか、中に空間があるものばかりのような……?」

「そうだね。『はこ』と聞いて、最初に連想されたのが、『入れる』だったし、中に何か入っていたら、最初に出さないといけない。そんなこと、考えてもいなかっただろう?」

「確かに!あと、なんか蓋がされていない感じもします!出入りが自由っていうか。あ、でも太鼓は違うか。タイムカプセルも、埋めたら、中のものは掘り返さないと確認できないし、埋まってる間はモノが詰まってます……」

 後輩くんが、しゅんとうなだれる。

「いいや、それでいいんだ。『はこ』という概念に関する、君の感覚を確認する作業だからね。すべてを満たさなくてもいい。少しは書きやすくなったんじゃないかい?」

「おぉ……本当です!さっきは手が届かない感じでしたが、今はすこし近づいた気がします!」

 後輩くんは、興奮した様子で話を続ける。

「今、お話してて思ったんですが、ここも『はこ』みたいですね!どうですか、先輩!ここは『はこ』ですか?」

「うーん、そうだね……ここは、『はこ』じゃないね」

「え、そうなんですか?どうしてですか!?」

 後輩くんは、目を白黒させながら驚いている。彼の疑問に答えたかったけれど、それは叶えることができなかった。

「はっはっは。まあ、いずれ分かるよ。ただ、君にとって、ここが『はこ』なら、私はとても嬉しい。さて、今日はここまでだ」

 二度手を叩いて終わりを示した。そして立ち上がる。

「もう日が沈む。帰る時間だよ。私は戸締りがあるから、先に帰ってくれたまえ」

「あっ、ホントだ!すみません!ありがとうございました!」

 後輩くんが、慌てたように席を立つ。荷物を引っ掴んで背負い、椅子を丁寧に戻して、出入り口の引き戸に手をかけた。

「今日はありがとうございました!お先に失礼しますね!」

 私が軽く手を振ると、後輩くんは頭を下げて、出ていった。引き戸が優しく閉められたのとは対照的に、どたどたと音を立てて遠ざかっていく。走って帰っていったようだ。足音が聞こえなくなったころ、扉の鍵を閉めた。席に戻って、背もたれに身を預けた。溜息のような長い息が漏れ出る。

 ここは、誰でも入っていいわけじゃない。君だからいいんだ。少なくとも、私がこの部の長である間は。そう言おうと思ったのに、できなかった。

 何かの間違いでも、あの子が校門で私を待っていてくれたらいいのに、なんて考えながら、後輩くんが置いて行ったペットボトルのお茶に口をつけると、それは、まだ、ほんの少しだけ温かくて、勇気をもらえたような気がした。

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