おまけ お姉ちゃんしか勝たん


『白沢、たすけて』


 会う約束をしていない水曜日。突然叶野さんから連絡が届いた。

 不穏なメッセージと現在地をスクショした地図の写真。

 どうしましたか? と連絡を返すが、返信どころか既読すら付かない。


 何かあったのかと不安になり、急いで家を出て駅へと向かった。

 信号待ちで送られてきた地図から住所を読み解き、地図アプリへと入力した。

 目的地は最寄りから乗り換え1回の30分で到着する場所にあった。

 タクシーで移動するルートを検索すると5分早かったため、駅で客待ちをしたタクシーに乗り込み、目的の住所を告げた。


 タクシーで移動したのは正解だったかもしれない。

 電車では駅に着いてから目的地へ向かう必要がある。その点タクシーであれば、よほど酷い道ではない限り目的地の目の前まで運んでくれる。迷う心配もないから急いでいる私にはぴったりだった。

 車内で何度かメッセージを送ったがいずれも既読が付かず、心臓の音が耳に届いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 目的地と思われる場所に着くと、叶野さんは家の前にいた。近所の人のような人にペコペコと頭を下げる姿を捉えるが、険悪そうではない。はぁー……と一息吐く。何事かはあったようだが、叶野さんには何も危害はなさそうだ。

 話相手との会話が終わったのか、他のところへ行くために視線を動かしたところで私を視覚した。

「え?」と驚いた顔をした後に自身のスマホを確認して、「まずい……」と顔を歪める表情へと変わった。

 彼女は私の元へと駆け寄り、


「ごめん! 白沢」

 

 と手を合わせる。そして話を続けた。


「家にあの虫が出てね! やばいって思って白沢に連絡しちゃって。でも、家の周りで騒いでる私を見つけた近所の人が退治してくれたからもう事は済んでて……」


 ペコペコ頭を下げていた理由は、虫を退治したお礼ということだったのか。


「良かったです。何もなくて」

「心配させてごめん! 私が連絡してからすぐだったよね? 用事とか大丈夫だった?」

「はい。大学もありませんでした」


 私の都合が悪くなかったことを確認すると、ほっとした顔を見せる。


「……良かった~。ごめん、なんか反射で連絡しちゃって」

「いえ。これからもそうしてください」

「へ?」

「真っ先に頼るのは私で」


 具体的な気持ちを言葉にする。すると叶野さんはボッと顔を赤らめた。

 そして目線を下へ向け、ぽつりと呟く。


「白沢、私のこと大好きじゃん」

「当たり前です」

「ずるい、私も白沢のこと照れさせたい」

「表には出ないだけで、結構照れる方だと思いますが……」

「それは照れてるって言わない」


 善処しよう。感情を表に出せるように。

 いままでは他人からどう見られようと構わないと思っていたのに叶野さんの願いは叶えてあげたくなる。

 そんなことを考えていると叶野さんは私の右袖を軽く掴んだ。

 

「どうしたんですか?」

「あんまり広くないし古い家ではあるんだけど……良かったら寄ってかない? 折角会えたから、もうちょっと一緒にいたい」


 赤面した面影を残しつつも、上目遣いで私のことを見る。

 そのたまにしか見られない姿はやっぱり特別で心拍数は加速していく。

 内面ではこんなに照れているがきっと外見には反映されていないだろう。

 だから敢えて今の気持ちを口に出す。

 

「今のは照れました」

 

 叶野さんが不安にならないために。

 

 ◇ ◇ ◇


 引き戸の玄関を開け、叶野さんの家へと上がった。

 来客用のスリッパを借り、廊下を歩く。叶野さんは古い家だと言っていたが掃除が行き届いているため、そんな古さも感じない。掃除は叶野さんがやっているのだろうか。あまり家事をする姿は想像できないが、この空間が保つために休みの日に掃除機とか水拭きとかしているのかもしれない。


 案内されたのは畳の居間であった。ローテーブルを囲うように座布団が置かれており、そのうちの一つに座るように言われた。叶野さんは居間から繋がっているキッチンへと行き、お茶の支度をしてくれている。

 

「冷たい飲み物とあったかいのどっちがいい?」

「ありがとうございます。温かいのをいただけたら」

「了解。…………あ!」


 準備しているところで何かあったのだろうか。

 人のキッチンに勝手に入ったらいいものか躊躇し、その場でどうしたのか質問をした。


「ごめん。お礼のお菓子あげて来てもいい?」


 虫退治をしてくれたご近所さんにお菓子を渡し忘れていたらしい。


「私も行きますか?」

「ううん。すぐ戻るから、白沢はちょっと待ってて」

 

 テレビでも見ててよ。とスイッチを付けてもらった。

 水曜日の昼間にやっている番組は大体がニュースかサスペンスの再放送。いくつかチャンネルを変えるが目ぼしいものはなく結局オフにする。

 あまり人の家をきょろきょろ見るのは失礼だろうと思いテレビと向かい合う姿勢のまま、頭は動かさずに一点を見つめる。叶野さんの小さいときの写真とかないのだろうか。……いや、見せてもらう前に探すなんて気持ち悪いな。

 

「暇だな……」


 SNSでも見ようかとスマホを触り始めたところで、遠くから扉を開く音が聞こえた。


「ただいま~」


 叶野さんよりも少し低い甘い声が家へと響く。「おかえり」と言った方がいいだろうか。

 いや……。さすがに初対面の誰だか分からない人に迎えられたら相手も困るか。

 

「お姉ちゃん、お客さーん?」


 パタパタと歩く音が聞こえる。

 叶野さんから返事がないからか、声の主は大きな声で返事を望む。

 

「靴合ったんだけど。ちゃんとお茶出してるーー? ……お姉ちゃん~?」


 パタパタという足音はどんどん近づき、ついに私のいる部屋へとやって来た。

 

「あ。お邪魔してます。私、白沢――」

「し、白沢朱莉〜〜〜!?!?!」


 私の挨拶より3倍くらい大きな声で彼女は私の名前を叫んだ。


「え?」

「何であなたがいるんですか。あなたにお出しするお茶はありません。お帰りください」


 そう言いながらキッチンへと姿を消す。そして先ほど叶野さんが準備したお茶だろうか。彼女は温かいお茶を2つ、そして氷が入ったグラスを持ってきた。

 そして私の目の前にドンッと音を立ててグラスを置いてくれる。ツンデレ……なのだろうか? とても良い子だ。


「ありがとうございます。……あれ」


 慌ただしく進んで行ったため気になったが口にすることができず沈んだ疑問が、落ち着いたことでまた浮上する。

 

「どうして名前を?」

「はーーーっ、お姉ちゃんにしか興味ないってことですか? ま、気持ちは分からなくないですけど!!」

「…………?」


 叶野さんにしか興味がないことはない。だけど、妹さんが私の名前を知っている理由を理解する材料にはならなかった。


「ライブハウスで、時々バイトしてるんですよ。何かの本確をするときに白沢の学生証見て、覚えました」


 特典会のチケット転売防止のため、1年に1回ほど本人確認をするイベントが発生する。

 思い返すと数ヶ月前に本人確認をされた記憶がある。その時に覚えられたのだろうか。

 全く意識をしていなかったのでどんな人に確認を受けたかは思い出そうとしても難しかった。

 

「この間の白沢の素性を調べようと思ってねむりのレーンのスタッフやったんです」

「私欲のためにスタッフをして個人情報を獲得するのはあまり良くないと思います」

「親族の心配をしてるので許されるはずです!」

「………………そうかも、しれませんね?」


 交際相手を探偵で調べさせるようなものだろうか?

 

「というか、お姉ちゃんと付き合ってるくせに、どーーしてねむりのレーンに並ぶんですか!?!?」

「…………その日を最後に、ねむりちゃんの特典会は辞めました」

「不倫関係を最後にする日みたいなことをいいますね」


 制服を着ているし高校生だろうか。高校生にしては泥沼な関係の例え方をしてくる子だ。

 最近は不倫もののドラマが増えているし、最近の子は私の想像よりもませているのだろうか。

 

「どうして……どうしてよりにもよってねむり推しの人なの!!」

「いろいろありまして」

「どうやってお姉ちゃんに近づいたの?」

「近づいたというか、近づかれた?」

「てか何なんですか。しろりりって。さやりりでしょ!! さやりり以外地雷です。ついでに左右固定」


 また分からない言葉が飛び出す。なんだろう、左右固定。

 分からない言葉が出てきてはいるが、この子はきっと叶野さんのことが大好きなんだろう。だからこんなに心配している。

 

「今は叶野さんのオタクも兼任しています」

「兼任じゃダメです! 100%の愛をお姉ちゃんにぶつけてください」


 お姉ちゃんは兼任オタクであろうと100%の愛をくれるのだから、推す側もそうでないと不公平です。と補足をする。

 

「妹さん……、そういえば名前は?」

「教えません。あなたに名乗る名前はありません」

「そうですか……」


 彼女の心を開くにはまだ時間がかかるようだ。

 最初の叶野さん(1日目くらい)も同じようなものだったな。姉妹みを感じる。可愛いな。


「妹さんもライブに行ってるんですか?」

「当たり前です。バイト代をバイト先で溶かしてます」

「素晴らしき愛社精神です」

「推しをアイドルにしてくれてありがとうの気持ちを忘れてはいけません」

 

 ……で、ですよ。と話を戻すように妹さんは切り出す。


「兼任するなら、過半数はお姉ちゃんへの愛にしてください」

「過半数の愛……?」

「その指は何のためにあるんですか? ペンライトを挟むためでしょう!?!? 赤を過半数にしてください」

「片手で1本ずつと運営から通達がありませんでしたか?」

「けっ」

「スタッフ側なんですから、ちゃんと守ってくださいね」

「ちっ」


 子供反応が返ってくる。叶野さんも高校生のときはこれくらい幼い反応をしていたのだろうか。

 

「てか、さっきから叶野さん叶野さんって。お姉ちゃんの名前知らないんですか」

「……本名ではなかったんですか?」

「表札見なかったんですか。まず叶野じゃないですよ」

「凜々架でもない?」

「はい」


 アイドルである以上、芸名で活動していることは想像が付いていた。

 しかし芸名なのは名字だけで名前は本名であると勝手に思い込んでいた。

 私も叶野さんに名前を名乗っていないから本名のうち半分を知らないのはお互い様だと思っていた。

 だけど、叶野さんはそうではなかったんだ。

 

「ふーーーん? 付き合ってるのに名前、知らないんですね」

「……そうですね」


 妹さんは弱みを見つけたことが嬉しかったかのように意地悪な笑みを浮かべる。

 

「知りたい? 知りたいですよね?」

「…………」

「お姉ちゃんのことだけ、ずっと好きって約束できるなら教えてあげますよ」


 予想外の言葉に一瞬言葉を失った。

 そして我に返ったあと、「それって――」と口を挟むが彼女の勢いの良い言葉で私の語尾は覆われる。


「認めてないですよ。生まれたときからずっとお姉ちゃんは私のお姉ちゃんだったのに、今年に入ってずーーーっと私の知らない、ぽっと出の女にデレデレしてるんですよ!? 意味わからなくないですか?」

「……すみません」

「八つ当たりくらいしても罰は当たらないはずです。大好きなお姉ちゃんを奪ったんですから!

 本当は別れてほしいくらい、嫉妬してるんですよ。あなたに。

 だけど。お姉ちゃんが幸せじゃなくなるのは本末転倒だから」


 一息で彼女の気持ちを吐露する。この数ヶ月、彼女にいろいろ悩ませてしまったのかもしれない。

 叶野さんを奪うようなことをしてごめんなさい、と口を開こうとしたが、また彼女に先を越されてしまった。

 今度は八つ当たりするような表情ではなく、意思をもった力強い表情をしていた。

 

「結局。白沢にはずっとお姉ちゃんを好きでいてもらわないといけないって思って」


 そして彼女は再び私へ問いかける。

 

「お姉ちゃんのことだけ、ずっと好き?」


 その問に迷いなく「はい」と答えた。


「叶野さんだけずっと好きです。……叶野さんに好きでいてもらえるかは彼女次第ですが」

「恋が冷めるのを相手のせいにしないでください。白沢のせいで離れていくことだってあるかもしれないんですよ」


 ……確かに。と言葉を飲み込む。

 相手の気持ちが変わることに自分は関与できないと考えていた。しかし、変化する原因は自分の行動の積み重ねから来ることもあるのかとハッとさせられた。


「いつまでも叶野さんに好きでいてもらえるようにも善処します」

「よろしい。……じゃあ本名を教えてあげます」


 そういえばそんな話でこの話題になったのだったと思い出す。

 本名。

 それなんですが、と口を開いた。

 

「教えてもらわなくて大丈夫です」

「え?」

「叶野さん本人から聞きたいので」

「…………うわ。うわうわうわ、うわーーー!!」


 怒っているのか喜んでいるのか、なんとも分からない表情で妹さんは叫ぶ。


「白沢、思ったより沼!」

「え?」


 そして何かを思いついたのか、手を口元に当てて真面目な話をするように彼女は口を開いた。

 

「これは仮の話ですが」

 

 そう前置きをし、

 

「もし仮に、お姉ちゃんと結婚したとします」

「はい」

「そ、そうしたら白沢は………………私の義理のお姉ちゃんということになります、よね?」

「…………なりますね」

「………………」


 何かを考え込むように紗花さんは無言になる。何か変なことを答えてしまっただろうか。

 そんな不安も束の間、再び紗花さんは口を開く。

 

「悪くない」

「?」

「お姉ちゃんは何人いてもいいと賢い人が言っていました」


 それはとても偏った思考の賢い人なような気がする。


「白沢は妹を大切にするタイプですか?」

「一人っ子なので分かりませんが、家族は大切にする方だと思います」

「ゆくゆくはお姉ちゃん単推しになりますか?」

「……その予定です」

「本当にお姉ちゃんを永遠に好きでいてくれるんですよね?」

「もちろんです。約束します」

「…………合格」

「?」

「しろ……朱莉ちゃんのことをおねーちゃんとして認めます」


 彼女は今までとは違う甘い表情で私の元へと近づく。

 両手で私の両手を包み込み、


「お姉ちゃんを永遠によろしくね。朱莉お義姉ちゃん♡」


 と甘い言葉を放った。

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白の灯りじゃものたりない! 黒木蒼 @ao_k67

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