肉塊と伽藍堂

冬渡

肉塊 其ノ壱

 人と関わることは好きだ。

 他人と比較したり、他人が自分を評価してくれると自分が生きていて良い理由が見つかった気がする。

 優秀であるふりをする。

 優しい人であるふりをする。

 人に共感できるふりをする。

 好きなものがあるふりをする。

 他人の目に映る自分の姿を考えて好かれる人間を演じることは気持ちが良い。

 ”外”のことだけを考えていれば、”内”にある醜悪さに目を向ける必要は無い。

 そう思って自分を造ってきたが、今ではその醜悪さですら自分の中にあるのかどうかを疑ってしまう。

 僕は今何を繕っているのだろう。もう元の自分自身は存在しないのかもしれない。

 僕は一体誰なんだろう。


 彼女を言い表すのなら才色兼備。この一言に尽きるだろう。

 月並みな表現しかできないのが悔しいと思える程に彼女は完璧な人間だった。

 幼少期から家が近所だったことや親同士も仲が良かったためか、彼女と僕は性格は真逆だったのによく遊んだり競い合っていたりした。

 幼い時は肩を並べて競い合っていたが、歳を重ねる程に彼女の背中ばかり見るようになってしまった。初めの頃は「自分も少し頑張ればすぐ追いつける」そう思っていた。

 だけど僕がどれだけ頑張って追いつこうとしてもその距離は縮まるどころか無情にも徐々に、ただ確実に離れていくばかりだった。

 気づけば僕と彼女の間には超えられない壁が存在していた。

 周りから見れば1位と2位という小さな差だったかもしれない。

 それでも僕にはその差が断崖絶壁の崖のように見えていた。

 その超えられない差を見ないようにするためにも僕は何者かの皮を被った。

雪宮ゆきみやさんって、すげー可愛いけど俺たちには高嶺の花すぎるよな。なんつーか近寄り難いっていうか、『関わらないで』って言ってるようでさ〜」

「えっ?――そうか? いや、まぁ言われてみればそうかもな。

 ゆーて昔から変わってないし、本人にその気はないと思うけどな」

 すぐには肯定しないけど否定もしない。

 だけど最終的にはやんわりと肯定をする。

 その後に適当にオプションをつける。

 こうすれば、適当に返した感じもしないが相手は肯定されたように感じる。

 だけど傍から見れば自分自身はそこまで切実に思っている訳ではないように見える。

 実際に何を思っているのかは関係ない。

 ――ただ美しく演じるだけ。

「まじであの雪宮さんと幼なじみはズルすぎるわ。まーじで羨ましい」

 あとは適当に笑っていればそれらしい会話が完成する。

 これで良い。

 多分これが楽しい。

「つーかちょっと待てよ。今日の5時間目って数学だよな?」

「あぁ、そうだな」

「出されてた課題ってやったか?」

「やってないけど、昼休みにやれば終わるぐらいの量だったはず」

「でた〜は終わるかもだけど俺は終わらないの!! 田島たじまのやつ課題忘れると授業中ずっとネチネチ言ってくるから嫌なんだよ」

「いつも俺のを写してるくせしてよく言うな」

「確かに。言えてるわ」

 ――本当は課題なんてものはとうに終わっている。

 だけど少し抜けてたり、完璧でない人間の方が人に好かれる事を僕は知ってる。

 そもそも毎日のように予習及び復習をしている僕が課題を忘れるなんてことは絶対にありえないのだ。


 彼女が1位で僕が2位である例を挙げるとして、まず挙がるのは数学だろう。

 僕と彼女は幼少期から競い合ってきたわけだが、その中でもふたりともが熱心に取り組んできたのが数学だった。

 事の始まりがいつだったかはいまいち憶えていないが、僕はいつからか数式の美しさに魅せられていた。

 これは繕った感情などではなく、本心だったと今でも断言できる。

 同じ頃、彼女も数式に魅了されていた一人の少女だった。

 二人の幼子おさなごは毎日のようにその頃としては難し過ぎる数学の本と向き合って過ごしていた。

『神童』そう二人が呼ばれ初めたのはその頃だった。

 時が経ち、は同じ中学に進学してしのぎを削っていた。

 だけどもその時には既に僕は彼女と僕には無視できない壁があることを感じていた。

 僕たちの中学はテスト結果が張り出されるようなことはなかったが、いつもテストが返却されると僕と彼女はテスト結果を見せあっていた。

 結果的に言えば、その勝負はいつだって彼女の勝ちだった。

 個人に渡される順位表でも僕はいつだって2位だった。

 いつしか僕と彼女に存在してたその文化は消えていた。

 別にどちらかが明確に「やめよう」と言ったのではない。

 今思うと、彼女は自分と対等に勝負できると思っていた相手がどうしようもなく、自分よりも弱いことを悟ってしまったからなのかもしれない。

 もしくは僕への哀れみだったのかもしれない――

 彼女から僕へと向けられ初めたまるで蟻や埃を見るような、期待のの字すらも感じない目。

 それがそう思わざるを得なくしていたように思う。

 正直、僕の中にあった感情は悲しみではなかった。

 言い表すのは難しいけど一番近しい表現をするのなら嬉しかった。

 どうしてかは僕自身にもよく解らなかった。

 彼女の隣に立てるようにと努力したお陰もあってか、彼女と同じ県有数の進学校に進学することができた。

 けれどもやはり僕への目は相変わらずで、僕の順位もそれと同じだった。


 そんな僕の考え方を少しだけ変えたのはこいつ神中かみなかだった。

 授業中は常に寝てるし、よくバカやって怒られてる。

 本当にどうやってこの高校に受かったんだよと常々思う。

 神中はとは2年になって初めて話した。それ以前は面識もなかった。

 僕は正直言って人と仲良くなるのが得意だし、神中自身の底なしに明るい性格も相まって新学期早々にに仲良くなった。

 事件があったのは高2初の模試の結果が担任から返却された時だった。

「3教科とも校内で最下位近かったわ。まじ死ぬー。そっちはどうだった?」

「俺はぼちぼちだったよ」

「嘘つけー! ちょっと見せてみろ」

 神中は僕の成績用紙を盗み取る。

「お前、数学の全国順位2位やんけ!! 何がぼちぼちや!!!」

「別に1位なわけじゃないし、だろ」

「あのなぁ、天才くんおまえは知らないかもだけど、校内と全国は全然違うからな」

 言われてみればそうだ。

 僕の人生はいつだって2位だった。

 そして僕が気にするのは僕の上にはいつも彼女雪宮が居ることだけだった。

 違和感を感じる。

 なんだ?

「俺だって、校内じゃあ最下位だけど、全国なら全然上の方だからな」

 思考が遮られる。

「なんだ。結局、最下位だったのか」

「英語と数学だけだわ!」

「それは国語以外って言うんだよ」

「うっせー」

 違和感がほどける。

 なんで校内でも無いのにだと決めつけているんだ?

 疑問にするまでもなく、僕はその答えを知っている。

 ――僕が雪宮に勝てるはずがない。

「えー! 雪宮さん、数学で全国1位なの!?」

「えっ、本当!?」

「ホントだ〜すごい!!」

「ほんと頭いいよね〜。羨ましい〜」

「今度、勉強教えてね!」

「住む世界が違うわ〜」

 クラスの女子が雪宮を囲んで騒いでいる。

「どうやら1位は雪宮さんだったみたいだな。てゆーかよくよく考えたら1位と2位が同じ学校に居るのやばくね?」

「……」

「もしかして雪宮さんが1位なの知ってたのか?」

「いやいや、俺も今知ったわ」

「……もし違ってたら、殴ってくれて良いんだけどよ、もしかしてお前、雪宮さんに勝てないだとか思ってないか?」

「は? 何言って……」

「この際、間違ってたとしても言うけどよ、なんて言うかお前見てると『自分が2位なのは仕方がないんです』とでも言ってるようでさ」

(お前に何が分かる?)

「2位だって十分にすごいのにさ、何時だってあんまし喜ばないし、逆に悔しがりもしない。もし俺がお前ぐらい凄い才能を持ってたら悔しいと思うんだよ。『自分より才能があるやつがいてたまるか』ってさ」

 僕はこの17年で痛いほどに彼女の才能に魅せられてきた人間だ。

 今更、彼女に勝てるなんて思えるはずがない。

「でも、あいつは俺よりも才能があるから……」

 言葉尻が自然と重くなってしまう。

 本当は僕だってそんなことは思いたくない。

 思わないように優秀な自分自身を造ってきたのだ。

「俺はお前みたいな才能があるわけじゃないからよく分からないけど、俺からすればお前も雪宮さんも雲の上の存在だぜ?」

「自信持てよ」

 その簡単な言葉が僕にもう無いと思っていた自尊心の芽を生えさせた。

 思えば、この17年間、周りが僕に言ってきた言葉は称賛ばかりだった。

 僕を叱ったり、悪いとこを指摘してくる大人も居なかったし、同年代なら尚更だった。

 それは僕が優秀な人間を演じてきた賜物だった。

 なのに神中はこの僕に戒めにも取れる言葉を言ってくれた。


 その後の生活がなにか大きく変わったわけではなかった。

 僕は僕を繕っていたし、彼女との差が埋まったわけでもなかった。

 ただ1つ、変わったことがあるとすれば僕が1位で彼女が2位である夢絶対に起きない幻想を見るようになったぐらいだった。

 その夢を見た朝はすごく気持ちが沈んだ。

 まるで自分が内心、悔しがっているように感じるからだ。

 鏡の前で暗唱する。

「お前は優秀な人間だ。いつも通りにしろ」

 けれども心の曇りはそんな事をしたところで簡単には晴れなかった。

(早く治さなきゃな)

 そう思う日々だった。


 心の不調に葛藤していたある日のこと、僕はあることを考え初めていた。

「どうやったら1位になれるのだろう」

 長い間、思わないようにしていた事だが、不調を治すためには考えざるを得ない疑問だった。

 皮肉にも、彼女の横に立てるように努力してきたからこそ、彼女の横に立つのがどれほど難しく、不可能なことなのかを骨の髄まで理解してしまっていた。

 努力法を変えるか?

 無駄だ。

 考えうる手は尽くして、この現実だ。

 いっそのこと神にでも祈ってみるか?

(多分)無駄だ。

 テスト前に神社に行ったこともあったけど何も変わらなかった。

 神は居ない。

 考えついた結果はカンニングをするか、ことのどちらかだった。

 もう自分の力ではもう、どうしようもない。

 だけど、考えついた2つ1つの案に頼る前に1つしておきたいことがあった。

 彼女に勉強法だったり、何を考えて解いているのかを聞いてみることだ。

 LINEで聞いてみようかとも思ったけど、どうもどう聞けば良いか分からない。

 まるで好きな人に告白する前の高校生のように悶絶していたときのことだった。

「来週の金曜日、会社の飲み会に行くから、夜ご飯、自分でどうにかしてね」

 突然、母がこう言ってきた。

 ――僕の母と彼女の母親は、同じ職場で働いている。

 これを利用しない手は無いと思った。

 彼女の父親は海外に単身赴任しているし、彼女以外に兄弟もいない。

 つまり、来週の金曜日、彼女の家には彼女しか居ない可能性が高いのだ。

 僕は、その日、直接彼女に会って、話をすることに決めた。


 7月21日金曜日。

 じめじめとして、蒸し暑い朝だった。

 雨は降っていないものの、予報では夕方から大雨になるそうだ。

 鞄の中に折りたたみ傘があるのを確認してから、家を出る。

 空は曇天ではあったけど、隙間から漏れる太陽は力強く存在を主張していた。

 学校に着くやいなや後ろの席の神中が話しかけてくる。

「よっ!」

「おはよう」

 いつも通りの朝だ。

 そしていつも通りの学校生活が流れていく。

 1時間目、10分休み、2時間目、10分休み……。

 どうも今日は時間が過ぎるのが遅い。

 天気の仕業にしようかとも思ったが、放課後にしたいことがあるというのが理由なのは明白だった。

 だらだらとした時間に若干の苛立ちも覚えつつ、放課後まで待つ。

 ようやく、下校のチャイムが鳴った。

 幸運にも、今はテスト期間だという事で、部活がなかったから早く帰って作戦に移ろうと思った。

 そそくさと教室の出口へと向かった。

 もう一歩で出れるという時だった。

 眼の前に誰かが現れ、僕の行く先を遮る。

 神中だった。

「すまん! 忙しいのは承知の上なんだけど、ちょっとだけ勉強を教えてくれ!」

「このままだと赤点だらけで、スタメンから落とされちまうんだよ」

 情けない顔で目の前に手を合わせて神中は懇願してきた。

 一瞬、脳裏に迷いが浮かぶけども、を考えると神中に教える方が好都合だと思って、快諾した。

 結局、神中とのテスト対策は思った以上に難航し、僕が帰れるようになったのは17時ごろのことだった。

 窓の外は朝の天気予報通りに、雨粒が校舎を立て続けに殴っていた。

 神中は「もう少し勉強していくよ。」と言って、そのまま教室に残っていた。

 僕は神が本当に存在しているのでは無いかと疑ってしまうほどの自分の幸運を噛み締めながら、下駄箱へ向かう。

 上履きから靴に履き替え、天気予報を確認したのにも関わらず、わざわざ長傘ではなく、持ってきた折りたたみ傘を取り出す。

 家に鍵も財布も忘れてしまった上に家族が帰ってこない、しかも天気は最悪の大雨。おっちょこちょいで、運の悪い高校生を演じるためには、長傘よりも折りたたみ傘の方が適していると踏んだのだ。

 しかしながら、傘を持っていないと、彼女の家にそもそもあがりにくくなるのに加え、彼女は少なからず昔の僕のことを知っている。

 僕は土砂降りの中を小さい折りたたみ傘をさし、表情と雰囲気を念入りに作りながら、自分の家ではなく、彼女の家に向かった。


 僕を出迎えた彼女は僅かに困惑した表情を向けたが、説明をしたところ、快く家に迎えてくれた。

 僕をリビングに通してくれた彼女はタオルとお茶を出してくれた。

「私、少し用事があるから、15分くらい家を開けるね」

「あぁ。大人しくしておくよ」

 彼女が出て行ったのを確認してから彼女の部屋に向かった。

 正直言って、彼女が家を開けるのは予想外だったが、僕にとってはこの上ない幸運でしかなかった。

 彼女に直接、話をするよりかは自分の目で見たほうが好都合だった。

 彼女部屋は殺風景で、最低限のものが綺麗にまとめられていたお陰もあって、目的のものを見つけるのは簡単だった。

 僕が探そうとしていたのは彼女の数学のノートだった。


 僕にとってそれは死との二回目の相対だった。

 1回目は彼女の死、2回目は今。

 薄れゆく意識の中、僕は『吟味されない人生は、人間にとって生きるに値しない』というソクラテスの言葉を思い出した。

 最初にその言葉を聞いたときは僕の生き方だって、僕が十二分に考えた末に編み出した生き方なわけだから、僕の人生には価値があると思った。

 逆に、何も考えずに生きている愚者たちを見下しさえしたかもしれない。

 ただ、今思い返すと僕の人生だって無意味だったように思える。

 数学の美しさに魅せられて、天才の才の前に焦がれ落ちた凡人。

 2位という役者になりきって、自分で決めた動きだけをする。

 それだって、十分に愚者じゃないか。

 ソクラテスが何を思って、あの言葉を遺したのかは分からないけど、僕の心には”人間にとって”の部分が永遠と響き渡っていた――――


 正直、天才だった彼女が何かしらを残せたとは言えないと思う。

 それは彼女がまだ学生だったってこともあるし、仮に大人になったとして、才ある者が必ずしも社会で評価されるとは限らない。と思いたい。

 だけど少なからず、彼女は天才雪宮としての人生を送ったわけだし、直接的に人に影響を与えたとは言えずとも、バタフライエフェクト的に彼女が17年間生きた理由は存在するだろう。

 一方で愚者は繕った化けの皮を被り、何者でもない人生を送ってきた。

 そんな人間が人に間接的にでも影響を与えたとは到底思えない。

 たとえ僕よりも優秀で人間であったとしても、そいつが居てくれたお陰で人生が変わった人たちも居るだろう。

 詰まるとこ、僕が17年間で演じてきたのはいくらでも代用の利く役だったのだ。

 1つは天才、”雪宮奏”肉塊。

 1つは天才、”僕”の伽藍堂。


「ヤバイヤバイヤバイ!!」

 今日から期末テストだって言うのに遅刻したらマジで洒落にならない。

 転げ落ちそうになりながら階段を駆け下り、制服に袖を通す。

 用意された朝食をかきこみながら、いつもの習慣でリビングのテレビに目を向ける。

「次のニュースです。昨日未明、都内のマンションの一室で女子高生が死亡していたのが発見されました。また、そのマンション前の歩道において、マンションから転落したとされる男子高生が発見されました。警察はこの2つの事件に関連があるとして調査を進めています。――」

「あれ、このマンションって結構近くない?」

 少し遅く起きてきた妹の声が後ろから聞こえてきた。

「あぁ。言われてみればそうだな」

「てゆーか、そんなゆっくりしてて学校間に合うの、お兄?」

「えっ?!やべぇ、もう行かなきゃ!!」

 急いで残った朝ご飯を口に詰め込んで、玄関に向かう。

「テスト頑張ってねー。行ってらっしゃい」

 妹の声を後に、俺、神中輝かみなかひかるは朝の住宅街を駆けていった。



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肉塊と伽藍堂 冬渡 @huyuwatari_

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