十.荒れる夜会

 少し遅くまで起こさずにおいてもらったので、今宵は目がさえている。夕方から正装を出してきた我が仕え人たちの興奮はすごいものだった。もちろん、本式の正装の一揃いだ。感動するのも無理はない。上着までまとい、髪を整え、鏡を前に立つと、三者三様にほめてくれた。

「よい仕立てですね。ヴィン様はお歳にしては肩幅のある方ですが、すらりとして見えますし、背も高く見えますよ」

とはいつも部屋を整えてくれているアリーセの言。さすがと言うべきか、全体を見ての評価だった。とはいえ人の外見の、傍から見れば弱点らしいところをあげつらうのはやめてくれ。一の兄上のように背が高く細身で優美なお方は最高に格好よいが、私は母方の男どもを見ればわかるように背は低い方らしく、体つきだって父方の血を引いて優美とは言い難い方なのだから。

 ……む? よく考えると、それが上手く隠れる仕立てと言ったのか? ……うーむ、私に合っていると考えるべきか、それとも。

「ああ、なんて素敵な刺繍! 金糸で詩蔦しづたなんて、よく考えられていますわね、ヴィン様は詩がお好きですものね。銀のビーズと金のボタンもよいですわ。耳飾りが銀ですから。そうそう、紐を解いたり髪をみだりに触ったりなさいませんよう。せっかく整えたものが崩れてしまいますから。……ああ、なんてお美しいお衣装! 布地も滑らかで……」

 長いぞモニカ。

 普段から服の管理や繕いを任せているからやはりとも思うが、細部に対する熱量がすごい。豊富な語彙による賛辞が右から左へと耳を通り抜けてゆく。ともかく、モニカにこれほど気に入られるまでにはよい衣装であるとわかってほっとしている。

 エーミールは、

「よくお似合いです、殿下! 髪と瞳の色ととても合っていて、珍しい衣装だと思いましたが、殿下にぴったりです」

と楽しげに言ってくれた。

 そう、私の本式の正装、その色は青なのだ。装飾には金、銀、白という色しか使わぬ王族の正装。全身白か青一色、差し色も金がほとんどというのが王族の男にのみ許された色づかい。逆にそれ以外使ってはならぬともいうし、細かい決まりもある。

 一の兄上の正装はいつも白なのだが、私は服を仕立てた時、青を選んだ。どちらの色を選んでもよかったのだが、母上が青がよいと言ったのだ。二人同じ、濃い青の瞳に合うから、と。

 青のズボン、青のベスト、青い上着は裾のところを金糸で刺繡してあって、ボタンは全て金色のもの。襟で結ぶ紐も金でなくてはならない。タイは白でなければ。靴も。ベルトの留め具まで金色で、唯一、上着の縁に縫い付けられた銀のビーズが、私のいつもつけている耳飾りと合うといってよくほめられる、少し「外した」点である。

 王家の男の正装におけるこの伝統、というかしきたりは、アルトゥールの戴冠式のマントと服がこのように星や星空を連想させる色で作られたことから、らしい。

 私の服もそのような意図で作られ、光を反射して美しく光るところがある。初めて着た時から気に入りだ。一の兄上は瞳の色と合わせづらいから、二の兄上は好みでないと言って、青を着ているのは私だけだというのもある。

 大きさも合うようになった。前はもっと袖が長く感じたものだ。

「靴は大丈夫ですか? 殿下。手入れさせていただきましたが」

 少し体を強張らせて尋ねるエーミールを、私は微笑んで、じっと見上げた。

「ちょうど合うよ、ありがとう、エーミール。……ところで、もう一つ私に言うことはないか?」

 彼はえっ、と声をもらして、それから耳を赤くしてうつむいた。

「えっと、その。……よく似合っておいでです、ヴィン様」

 先の台詞を言い替えた彼に、今度はにっこり笑う。

「よろしい」

 照れたようにエーミールははにかんだ。可愛らしいものよ、からかいがいのある……ごほん、うむ、何も言っておらぬぞ?

 この若い侍従に、アリーセたちのように呼んでよいぞ、むしろ呼んでくれ、と迫って困った顔を堪能したあげく、徐々にでよいから呼ぶようにと約束を取りつけたのは今朝のことだ。


 服装というものの力は強い。

 カスパーも言葉は少ないながらも感心してくれたし、ばったり王宮の廊下で会ったイグナーツにも出会い頭に言われた。

「殿下がいつもより一割増し格好いいです」

「それは、私がこの服の美しさを借りずとも格好よいゆえに、増えたのは一割程度という理解で構わぬな?」

 すぐさま言い返す。

「お前も一割増しで格好よく見えるぞ」

 金縁のボタンに上等の靴、髪も整えられていて、いつもと少し違った。今晩の王宮の警備役につけたようだ。こやつもそろそろ出世と、それに見合う礼装を学ばねば。

「ひどいっすよ、この髪、変だと思うんですけど。やっぱ似合いませんって」

 イグナーツが上げた前髪に手をやる。騎士らしく固めているのだろう。私はまだそういう髪型はしたことがない。

「悪くはないぞ、自信を持て。少なくとも、一割増しくらい、は格好よい」

「根に持たないでくださいっ」

 軽口を叩き合った後、執務室へ続く廊下ではなく、左方向の別の道を行く。装飾の施された戸が開かれていた。案内人なしで来たのは初めてだ。戸の両側に立つ衛兵たちの礼にうなずきを返して、中に踏み入る。

 正方形の部屋だった。磨き上げられた床は黄色がかった光沢を放っている。壁は白で、足もとに金の装飾が入っている。右側には絵が飾ってあった。大きな、夜空を描いた風景画が一つに、静物画がいくつか。左側の壁には窓があり、カーテンが大きく開かれ、庭への出口になっている。後方は少し開かれた、今入ってきた戸。前方は舞台の幕のようなもので覆われており、向こう側をのぞけるようにして開けられている。

 右のすみに、背の高い椅子が二脚、丸い背もたれの椅子が三脚あった。他には、白いクロスのかけられた机がいくつか。使用人たちが卓の上に料理や菓子やらを並べていて、私に礼をしてくる。続けてくれ、と簡単に告げると、仕事に戻っていった。

 ここは、後宮の住人が王宮で開かれる会に参加する際使う部屋だ。

 後宮の者たちは、とにかく守るべきものとして扱われる。幕の向こうには謁見の間とも呼ばれる大広間、本当の会場が広がっている。だが、そちらに出て行くことは許されない。

 一つの部屋にいた方が守りやすい、というのが理由とされている。こちらに入ってくる者は、挨拶のための一時しか滞在できない。例外は両親に連れて来られた貴族の子弟で、王族の子らの話し相手を務める。要するに、大人たちの輪には入れぬ子どものための部屋なのだ。

 王家の子らはあまり外には出るなと言い含められるが、貴族の子らは飽きてくれば庭に出て行く者もいる。

 側妃たちのために椅子が用意されていて、彼女たちは子らの監督者にもなってくれる。

 そもそも、後宮の者たちが夜会などに出るのは非常に珍しい。建国際や豊穣祝祭など、大きな祭りの時くらいだ。新年など、親類や関わりのある貴族たちが訪ねてくることはあるが、そうした時は内宮が使われていた。

 今回、私や姫たちまで参加を許されたのは、王家の重大事も発表されるからだろう。本来の、第六騎士団のための晩餐会のみならば、王や王太子の出席で済むはずであった。今夜は多くの貴族たちも、会議の参加への報いのようなものとして夜会に招かれておるしな。

 さて、私はこれまで、幕の向こうへ行ってみたことはなかった。今晩は違う。

 カスパーを従えて、私は大広間の方へ踏み出した。ジークに案内された時、昼の光に満ち、無人で閑散としていたのとは、全く異なる景色がそこにあった。

 床は小部屋と変わらないが、より広く、両の壁の窓が開いている。金の燭台の上で炎が揺れていた。食物を乗せた卓は中央に空間を取って配置され、花も飾られている。

 小部屋を出てすぐ右横に、大きく分厚そうな扉がある。そこから目を移してゆくと、一段高くなった床の上に、金の玉座が二つ。きざはしの前には紅のカーペットが敷いてあった。あの上で貴族らが王に謁見の言葉を申し上げるのだろう。

 その横に、一の兄上はいらした。白の正装。真っ直ぐに立ち、準備に忙しい使用人や楽団を眺めている。

「兄上」

 声をかけると、兄上は振り返って微笑んだ。

「ヴィンフリートか」

 歩いて行って、兄上の隣に並ぶ。なるほど感嘆する眺めであった。趣味のよい花の色づかい、卓を飾る果物や菓子。

「初めてこちらに参りました。すばらしいものでございますね」

 素直な感想を述べる。兄上は笑った。

「さすがは母上の手腕と言うべきかな」

「ああ、エルヴィラ様の……。それならば納得でございます」

 うなずいていると、

「お前も次来る時はこちらだろう。少し見てゆくとよい」

 と兄上が目線で、きらきらと輝くような会場を差す。

 私の場合、内宮入りを果たし、もはや後宮の住人ではない。だが、確かにまだ子どもで、正式におおやけに参入したとは言えぬから、今回も幕の内側だと伝えられていた。

「……早く兄上のお役に立てるようになりたいものです」

 呟くと、柔らかな緑の視線が私をなでる。

「期待しているよ、ヴィン。幾らか教えてやろう」

 と兄上は今回の趣向についていくつか話してくれた。

 騎士たちの功に報いる会なので、立食形式だがしっかりとした晩餐が出ること。出会いの場にもなったりするので、踊りの輪と音楽が用意されていること。花は貴族たちの派閥に影響せぬよう色とりどりなのだ……などといったことを。

「勉強になりました」

 言うと、兄上は軽く笑って、私を幕の向こうへ追い返しにかかった。

「そろそろ戻りなさい、ヴィン。もうすぐ時間だ」

 一礼して退出した。これは、今日の夜会は、学ぶことが多いかもしれん。何か試してみようか。

 しばし待つと、華やかな一団が到着した。小さな姫たちは私を見ると駆けてきて、飛びついてくる。

「お兄様!」

「あにうえさまっ」

「よく来たな、ジルケ、アルマ」

 腰の辺りに抱きついてくる二人を受け止めて、それを見守るお二方に目をやった。

「ヤスミーン様、カーリン様も」

 お呼びして軽く頭を下げる。

 赤茶の髪と瞳に合う、紅と橙を用いたドレスのカーリン様は、前髪を上げて銀の髪飾りで留めている。少し開いた白い胸もとに真珠が光って美しい。

「二人とも、あまり殿下にご迷惑をおかけしないようにね」

 と彼女は姫たちをたしなめた。

 その背後にヤスミーン様が立っていた。白と淡緑のドレスで、襟は首までおおっている。首飾りと揃いの銀の髪留めで長い髪の上半分をまとめていた。

 変わらずお美しい。だが、その視線は心なしか下に落とされているようで。心の奥底がざわめいた。

「……ヤスミーン様?」

 ためらいつつ声をかけると、はっとしたように顔を上げて、薄紫の目を細めてこちらを向く。

「あら、申し訳ございません、殿下。少し考えごとがございまして……。今夜は姫たちのこともよろしくお願いいたしますわ」

 何ともない、だろうか?

「ええ……」

 とりあえずうなずいて、こちらをじっと見上げてくる王女たちに目を移す。妃様方は何事か話しながらすみの席の方へ行くのが見えた。

「今宵は妖精のように可憐だな、二人とも」

 二人を見下ろし言うと、彼女たちは嬉しそうに顔を輝かせる。

「ほんとうですか? やったあ! このかみ、すてきでしょう? 見てください、あにうえさまっ」

 アルマは楽しげに一回転してみせる。黄色のドレスには薄紅色の刺繍と紅のビーズがついていて、いかにもアルマの好みそうな色だ。首飾りは耳飾りと揃えたのか、少し角ばった金のもの。

 そしてご自慢の髪型はというと、下の方はくるりとした生来の巻き毛を活かして垂らしつつ、上方の一部を編み込んで、金の花模様の半円の髪留めをし、まとめたものをふわふわとさせていた。

「確かにすごいな。どうやったのだ? ……崩してしまいそうで触れられぬな」

 手を伸ばし、その淡い金の髪に触れようとして引っ込める。苦笑していると、ジルケが微笑んで言った。

「くしを上へ向けて入れるのですわ。逆立たせる、と言うのですって。アルマにははでな髪留めより、こちらの方がかわいいですわよね」

「ほお」

 私は感心してもう一度アルマを見た。ジルケの言う通り、かわいさが際立っておるな、うむ。

「おもしろい術を持っておるな、お前たちの侍従は。腕がよいのだろう」

 アルマがじっと私を期待に満ちた目で見てくるので、くすりと笑む。

「かわいらしいぞ、アルマ。お前が幕の向こうへ出たとしたら、会場中の視線をさらってしまうのではないか?」

 頭はなでられぬので、代わりに化粧っ気のない頬にそっと手をやる。アルマはくすぐったそうにして、えへへ、と笑った。

 それを微笑ましげに見ているジルケも、美しい装いをしていた。深緑が地で、紫の縁取りをつけたドレス。首飾りと耳飾りは赤。

 あまり色の取り合わせはよくないな……。しかしジルケは肌が白いから、どんな色でも映える。好きな色だけ使った服というのも、幼い頃の特権だろう。地味な色の方を好むのがジルケだが。

 それに何より目を惹くものをまとっていた。大人っぽく両腕にかけた、銀のきらめきが散るショール。

「それがお前の秘密のものか? ジルケ」

 笑って言うと、彼女は目に同じようなきらめきを浮かべ、

「ええ! しばらく前に買ってもらったのですが、出すきかいがなくて。まるで星が集められたようでしょう? 夜会にぴったりだと思いましたの」

 と笑顔で言う。

「よく似合うぞ。やはりジルケには芸術の才があるな」

 そうほめてから、その胸もとに目が行った。なぜだろうか。小粒の灰色の、石のように見えるもので囲まれた、赤い石の首飾り。別に珍しいものでもないが……そうだ。

「その石はどうしたのだ?」

「え?」

「首飾りだよ。お前の瞳に合う、紫の石にすると言っておらなんだか?」

 眉をひそめて問う。紫を使った飾りならば、ドレスとも合っていたはずなのに。なぜ変えたのだろう。

「まあ、覚えていてくださったの?」

 ジルケは彼女らしくはにかんだ。

「ないしょですわ。女の子にはひみつがあるものですの。さ、行きましょう、アルマ」

「はーい、あねうえさまっ」

 そのまま妹の手を取って母君方のもとへ行ってしまう。

 急に赤色を身に着けたくなったということか? まあ、幼子おさなごの心変わりの訳など、私が真に解せるはずもない。どうせ人の好みの話なのだから。

 数歩後ろに立っていたカスパーを振り返る。

「カスパー、お前はどうするのだ? 夜会の間中私についているわけにもゆかぬだろう」

 そうですね、と私の騎士はうなずいた。

「ヴィン様が席についてくださったら、ジークベルト隊長に指示を仰ぎますよ」

「え」

 思わずぽかんとしてしまった。

「お前の隊長はジークなのか?」

 カスパーの方も驚いたように言う。

「ご存じありませんでしたか? そうですよ。いつも第一王子殿下をお守りする隊の長がジークベルト殿で、私や他のヴィン様を守る近衛も、その下に加えてもらっているのですよ」

「へえ……知らなんだな」

 学ぶこと、二つ目だ。……これはここで学ばなくともよかった気がする。

「ということは、ジークめはかなりの出世頭だな」

「どこでそんな言葉を覚えていらしたのです? ヴィン様はおかしな語彙をお持ちですよね」

 とカスパーは苦笑して、軽く私の背を押してくれた。

「ほら、お時間ですよ」

 幕の向こうで音楽が流れ出していた。

「そのようだな。では、後で」

 はい、とうなずくカスパーと離れ、四人のいる椅子のところへ向かう。

 二脚の背の高い椅子には、お二方が腰を下ろしていた。その隣の三脚のうち、左二脚には姫たちが愛らしく座っている。残った右端、座って見れば左端が私の椅子だった。基本、位の高い者から左から席を占める。大人である妃様方には立派な椅子に座っていただくが、王家の血を引く子どもの方が早い順に座るのは変わらぬのだ。

 ほどよく固いクッションに身をもたせ、見渡すと侍従たちは出迎えの姿勢であった。姫たちと目を見交わそうとしたが、二人はこそこそと姉妹だけのささやきを交わし合っている。仕方ない。


 晩餐会が始まった。

 最初はあいさつばかりだ。子連れの貴族たちや、騎士たちも幾人かあいさつに来た。これまでは母上の横でただ微笑んでいればよかったのだが、もうそうはゆかん。

「第三王子殿下、ご機嫌麗しく。こちらは私めの息子で」

などと、直接話しかけてくる者もいて、これは中々に苦労だ。会議に参加した顔ぶれのみだから、応える名に困りはせずに済んだが……これからは諸侯の名もきちんと覚えねば。

 やがて訪ねてくる者もとぎれとぎれになって、姫たちは母君にうかがいを立て、席を立って菓子を見にくり出していく。私も席を立ち、妃様方に声をかけて、人の中に入っていった。

 がらんとしていた部屋は、八つくらいの幼子から十四、五の少年少女たちまでが留まり、知り合いと話している貴族や騎士たちもいて、にぎやかになっている。

 幕の向こうが見える位置まで歩いていくと、一の兄上が立っているのが見えた。玉座に座っているのではない、陛の横に立ち、臣らと声を交わしている。夜会の主宰は一の兄上ということになっているのだろうな。背筋の伸びた立ち姿は、場の主というべきもの。

 しかし、空の玉座というものは目立つな……。

 エルヴィラ様も、兄上とは反対の陛の横辺りで、貴族の奥方らと対話している。エルヴィラ様は先王の王妃——だから王妃のものである玉座にも座っておられないのだろうか。

 もう一人目についたのは宰相。緑の衣に身を包んでいる。きらびやかな場の中にいて、その目の暗い光は不釣り合いだ、ふん。

 振り返り、姫たちのもとへ行こうとしたところへ、声をかけられた

「殿下」

「第三王子殿下」

 着飾った少女たちであった。確か、候らの娘たちだ。

「ごきげんよう、殿下」

 丁寧な一礼。礼を失することはできぬな。

「ようこそ、マイネス嬢」

 微笑みを作って返すと、茶の髪をした十一、二の少女は嬉しげに、

「お会いできて光栄ですわ」

 こちらこそ、と返す。

 少女は見目美しい菓子に感動した、などと述べてくれる。もう一人の淡い金髪の、こちらは十四、五の少女も会話に加わった。

「素敵な音楽ですわね。お姉様たちが騎士様やご婚約者殿と踊っていらっしゃるのがうらやましいわ」

 なるほど調子のいい曲ではある。

「貴方のような花なら、壁際に飾っておくのを惜しいと思う男はいくらでもいるだろう?」

 軽く冗談を振ると、少女は夢見がちに、

「まあ、この花をほめてくださるの? よかったわ、腕のいい子が作ってくれたのよ」

と頭の花輪飾りに手をやった。ドレスに合う、水色の小さい造花。体つきはよく、年上だと思われるのだが、どうもこのご令嬢はご自分の世界に入ってしまっているな。

 入れ替わるようにまだ幼い、ジルケくらいの子が口を挟む。

「わたしたちとはおどってくださらないの、王子さま?」

 やれ、何とごまかそうかな。

「今宵の主役は騎士たちだからな。花はそこのに譲ろう」

 ちらと少女たちの向こうに目をやると、黒のベストの騎士が、十五、六くらいの珍しい色のドレスの娘に踊りを申し込んでいる。

「あっ、お姉さま!」

 幼子は姉を発見したらしく走り去ってしまった。転ばねばよいのだが。

 話の輪の外から、背の高い茶髪の少女が呼びかける。

「貴方たち、殿下をあまり困らせないのよ」

 どうやら妹君が傍にいたようで、反応して、

「困らせたりなんかしないわ。殿下が踊りには参加なさらないなら、あの辺の騎士を捕まえるもの」

 強気な発言に周囲から笑いが起こる。

「貴方背が高いわね。あの騎士様はどう?」

 姉妹は髪の色が茶と金とで違ったが、背の高さも髪をうなじで一つに編んだのもよく似ていた。

「あら駄目よ。あれは西の境に家がある人よ。乱暴者の仲間だって、騎士団にいる兄様が言ってたわ」

 そこに別の少女が駄目出しして、議論が持ち上がる。

「いけないわ、うわさで人を判断しては。あの金の髪のいい男は? 美男よ、彼」

「貴方こそいけませんわ、見た目ばかり! あそこでたむろするようなのは、悪い話が聞こえてくる者たちでしてよ」

 あそこ? あの灯火の横か? 暗がりになっているところではあるな。興味深い。

「ほら、話しかけに行きませんの?」

 例の金髪の令嬢が他の娘にけしかけられている。と、通りかかった少年たちのうち、茶の髪の少年が言った。

「お前なんかが王の騎士に相手にされるものか!」

「はあ⁉」

 少女はカン、と高い踵を打ち鳴らす。

「待ちなさい、シュテファン! 聞き捨てならないわっ!」

 少年は笑いながら庭に逃げ出して、少女は三つ編みを揺らして追っていく。

 眠たげに目を半分閉じた子が、私にささやいた。

「あの二人、本当は想い合っているのよ。でも、いじっぱりで、全然通じてないの。あたしたち温かく見守らなくては、ね?」

と言ってあくびする。

 そういうことか。くっと笑った。少女たちの輪の中にいると、裏事情まで届いてくるのがおもしろい。

 曲が変わったのを機に、姫たちを見てくると言って輪を抜けた。

「お引き留めしてしまったわね」

と年長の少女が行ってくれ、令嬢たちはそれぞれの話題に戻ってゆく。

 さて姫たちは、と見ると、当初の目的通り菓子と果物の卓に張りついていた。主にアルマが。

「よいものは見つかったか、二人とも?」

 問いかければ二人は私を見上げ、

「ありました!」

 とケーキを頬張るアルマと、

「お兄様もめしあがったら?」

 と皿を差し出すジルケ。

「そうしようか」

 くすりと笑って、小さいパンや肉と野菜の串や果物を取って食べた。簡単につまめるもので、普段の夕食とはまるで違うので物珍しい。ケーキも取ると、アルマが目をきらきらさせて見てくる。

「ほしいのか?」

 笑いつつ一口目を口にする。アルマは首を振った。

「ちがいますっ。おいしいですか?」

「む? 美味いが」

 答えると小さな姫は菓子の皿へ走っていった。ジルケがくすくすと、

「試し台にされましたわね、ヴィンフリートお兄様」

 なるほどな、と苦笑する。

したたかだな、うちの末姫は」

 ジルケは口もとを手で隠して笑い出した。アルマが駆け戻ってくる。

「転ぶなよ?」

 言うが、にっこりと幸せそうな顔をするばかり。ケーキに囚われておるぞ……。

「大丈夫ですわ、すそは短めですもの」

 とジルケ。年少の子は、ドレスといっても膝下丈のものを着ることも多い。アルマのようなのも、まあ、裾を踏んで転ぶことだけは避けられようが。

「そうは言うがな。……ジルケはもう食べたのか?」

「ええ。でも、食べ終えても、することがありませんから……。アルマはかわいいですけれど」

 ジルケはつまらなそうにため息をつく。

 古の王はかなりの心配性だったようで、小部屋を出ない姫たちを踊りに誘ってはいけないという決まりがある。

 ジルケは少々体の弱いところがあるが、がくを好いていて、踊りも楽しみにしている節がある。他の子のように踊りに誘われることを願いもできぬというのでは、つまらぬだろう。

「そうだな。次の時は私と踊ろうか、ジルケ」

 言うと、ジルケは目を丸くして、それからふわりと笑った。

「楽しみにしますわ、お兄様」

 二人は大丈夫そうだと確認したので、少し離れて立つ。幕の向こうからは話し声。……少し、風を使ってみようか。

 今年の収穫予想とか、宝石の価値だとか、騎士たちの功をたたえる者、愛を語らう者。大体が世間話か。裏に隠された何かがあったとして、政界にうとい私にはまだ遠いこと。

 代わりに聞こえてきたのは、傍にいた少年たちの声。

「一の殿下が人を呼ばれたぞ?」

「発表するのかな」

 声につられて幕に寄ってみる。向こうの入り口の方に近く、あのヤネッカー候の息子が見えた。ということは、やつも近くにいるはずだ、とその横を見れば、やはり。白と金とで統一された正装。腰には剣を佩いている。

 カーテンの影に隠れるように、紅色のドレスの女がやつに寄り添っていた。恋人がいるとは聞いたことがないが。

 周囲の少年たちが会話している。

「あそこにリューデリンのがいるぞ」

「本当だ。横のはパーセトの令嬢だろう?」

「後で話しかけに行くか? 優しい方だ」

「からかわれること必至だぞ、ポルト!」

 黒髪の少年がくちばしを入れる。

「うるさいよ、グレゴール!」

 巻き毛の少年がむくれる。周りがどっと沸いた。つい笑みがこぼれる。

 ……ヘマがここにいたら、何を話していただろうな。飾りつけについて、料理について、参加している者について、何と言っただろう。これが終わればまた手紙を出せる。上手くゆきそうだと報告できそうだ。

 ざわざわと、会場の様子が変わってくる。

 卓から使われた食器を下げる者たちではなく、盆にグラスを持って回る使用人たちが目立つようになった。幕の向こうでは葡萄酒のグラスが配られている。こちらでも果実水を受け取る者が増えてきた。

 近くに寄ってきた青年の給仕から、一言礼を言ってグラスを受け取る。華奢なグラスの中で黄金色の液体が揺れていた。

 音楽が大人しげなものになり、踊っていた人々が中央から退く。人々の見守る中で、一の兄上が玉座の前に進み出ると、話し声が格段に静まった。心地よいくらいの雑音を背景に、兄上が口を開く。

「皆の者、今宵このような穏やかな時を共に持てたこと、感謝しよう」

 決して張り上げたわけではないのに、風に乗るように滑らかに届く声。自然と耳を傾ける気になる、という特性は、他の者には持ち得ぬであろう。

「此度、第六騎士団がナベルトの境を守り帰都した。その戦果と無事の帰還を祝す」

 控える侍従の手からグラスを取って掲げる。

「勇敢な騎士たちに、乾杯」

 乾杯、と和す声がそこかしこで聞こえる。特に黒のベストをまとう騎士たちはわっと歓声を上げた。

 私もグラスを騎士たちに向かって少し掲げ、口をつけた。冷たい果汁がのどをすべっていく。

 自身も果実酒を口にし、人々に盛り上がる時間を与えると、兄上はグラスの代わりに別の侍従の持ってきた王権の金杖を手に取った。

 皆が口々に何ごとかささやき合う。私の隣にいた幼子だけは、我関せずとばかり果実水に夢中になっていた。微笑ましいものだ。年かさの少年の中にはちらちらとこちらを見てくる者もいる。少しの落ち着かぬ時間は、金杖の立てた小さいシャララ、という音で終わった。

「少し、耳を貸してくれ。この場を借りて、皆に伝えたいことがある」

 兄上はゆっくりと語り出した。

「まずは、会議に参加してくれた諸侯に礼を。ありがとう、そして——すまなかった」

 ざわ、と一同がどよめく。私も驚いて兄上を見つめた。何についてそのようなことを?

「我が父、先王陛下の犯した罪から、この年ユースフェルトは混乱の中にあった。私の如き若輩ではままならぬこと限りなかった、そう思うが故、こうした件について、王家を代表して謝罪する」

 疑問はすぐに解けた。王子としての言葉か……。兄上にとっては、必要なけじめなのだろう。王家の威信にかけて頭は下げずとも、きっとそのような思いなのだ。

 私は目を伏せた。この方の抱えてゆくだろう重荷を、少しでも私が代われたら。

「しかし、このようなことを繰り返すつもりはない。候らの意見も鑑み、その上で、私がこの杖を手にすることと相成った」

 力強い声が続く。

「新たな王として玉座につき、先の陛下の遺されたかげりを払い、我らが国をより豊かにすることを、ここに宣言しよう」

 しん、と一拍の間。声が身に染みわたると、多くの者が、軽く頭を垂れてその宣言を受け入れていた。

「果樹月に入って三日目に、調印式を執り行う。二の王子、三の王子は、共に印を差し出すように。——皆、異存はないな?」

 臣民の答えは、歓呼の声や拍手だった。

 周りの子らは、

「一の殿下が新王様だ!」

「よかったわ、やっと定められたのね」

「ユースフェルト、ばんざい! だよね、あにうえ?」

 などとはしゃいでいる。

 それが嬉しくて、笑みを浮かべた。そうだ、一の兄上こそが、民も望む新しい王なのだ。

 人垣から黒髪の偉丈夫が進み出た。多分ツェラー公爵だ。満面の、と言ってよい笑みを大きい口に浮かべている。

「ございませぬ、新王陛下——」

「——待った」

 その大声を、低い声がさえぎった。

 ぴたりと大広間中の音がやむ。奇妙に静まり返った中を、コツリ、と靴音を立て、現れたのはあの男だった。

「……ゲレオンお兄様……?」

 震える少女の声に、子どもらが一斉に振り返る。ジルケが青い顔をして立っていた。アルマは何が起こっているのかわからぬようで、きょろきょろと姉と母の顔を交互に見ている。

「ジルケ」

 踏み出そうとした私の背に、暗い声が当たった気がした。

「あるぞ、大いにある。お前は王になどなれぬ」

 響いたのは嘲笑。

「俺たちがいつ賛成した? 意見を聞くと言っておきながら、お前は何も見ておらぬではないか」

 思わず振り返っていた。歪んだ笑みをしたあやつに、人々が戸惑いの目を向けている。このままにはしておけん!

れ言を! 会議の時、賛成の意を示したではございませぬか!」

 やつを睨みつけて叫ぶ。反対をしなかったのは貴様だ!

「だから、いつ、我らがそんなことを言ったかと問うている。俺は一度たりともお前が王だなどと、あり得ぬことを言った覚えはないぞ、アレクシス!」

 一の兄上を呼び捨てるか⁉

 かっとなって飛び出して行こうとしたが、やつは私にその隙を与えなかった。

「お前を王とは認めん! お前が父上の、国王陛下の何を知っておる? 後継となるならば、この俺のみだ!」

 場は騒ぎに襲われた。大半はうろたえ、あやつを警戒して見るばかり。しかしいくらか、やつを支持するようにその背後に立つ者もいる。

 私は何も言えずに立ち尽くしていた。

 まさか、反旗をひるがえすか……⁉ なぜ! 論理もなく、一の兄上に反抗する? これまで無言を通してきたのは、全てこのための演技だったというのか!

 まずい。あやつが離反などすれば……調印式が成り立たなくなる! いつまでも新王を立てることができぬではないか!

「二の王子」

 慌てるばかりの私と違い、兄上はどこまでも静かにあやつを呼んだ。

「会議で決めたことに逆らおうと子どものような論を述べるな。確かにお前は、あの場で私を王とすることに反対しなかったのだ。今さら罪人つみびととなった先王陛下のことを出して何となる」

 正しく論破だった。それなのに、やつは唇を歪めたまま。

「はっ、臣の代表たる宰相にも認められずに王となれるのか?」

 何……⁉

 辺りを鋭く見回した。あの緑の衣の姿がない。宰相も、ハイスレイ公も!

 ぬかった……!

 惑う聴衆の内から、高らかな一声が飛ぶ。

「宰相殿は会議にて、新王のご即位を認められた! この儂が証言しよう!」

 ツェラー公だ。さすがは四大公爵の一か、皆が若干落ち着きを取り戻す。

 兄上が杖の底で床を叩いた。シャーン、と鈴の如き音が鳴り渡る。

「二の王子よ、これ以上諸侯の同意も得た公式の決定に論拠のない異を唱え、政を無闇に乱すのならば、お前を罰しなければならん。お前には問わねばならぬこともあるのだ。三日まで大人しくヤネッカー候の邸宅に留まっておれ」

 誰もが正しい沙汰だろうとやつを見やる。

 しかし、やつは想像もできなかったことを言い放った。

「いいや、地祭月ちさいづきの最も星が輝く初めの日に、星の丘で会おうではないか。誰が正しいかは、星が明らかにしてくれよう」

「——正気か⁉」

 誰の声かさえ定かではない。高位の貴族らが、十二辺りより上の子らでさえ、顔色を変えた。私も血の気が引く思いがした。

 この男——狂っておるのか⁉ 星に頼るなど、誰も犯してはならぬ罪だ!

「第二王子!」

 怒声であった。

 これまで静穏を保っていた兄上が、初めて声を荒げたのだ。皆息を呑む。

「お前の騎士団の指揮権を剥奪する! 衛士よ、その者の星を取れ! 持たせてはおけん!」

 護衛の騎士たちの行動はすばやかった。茶のベストの兵士たちがやつに肉迫する。

「おっと、近づいてくれるなよ」

 それを、やつの揶揄やゆするような声が制した。

「今俺が言ったことをアレクシスのやつが実行せねば、ここにいる一人が死ぬことになるぞ」

「……⁉」

 やつに向けられる視線が怒りを含むものに変わる。それをものともせず、やつはにやりと笑って、

「俺に膝を折らせることができるのは、この世に一人のみだ。お前では決してそうなれまいな、アレクシス? お前こそが我が前に跪け!」

 そう大仰に言って、くるりと背を向ける。

「捕らえよ!」

 兄上の命は的確だった。だが、やつは低く笑う。

「よいのか? 大事な臣民を一人、失っても?」

 騎士たちがためらって足を止める。その間に、やつとやつに従う者どもは、戸をすり抜けて行った。

「貴様……!」

 自分の声だったか、他の誰かだったかはっきりしない。あまりの憤怒だった。

 己が不利だからとて、人の命を盾に脅すとは……!

 王とは民を守る者のはずではないのか⁉ 王どころではない、やつは人としての矜持も忘れたのか!

「地祭月の一日を楽しみにしているぞ」

 その声を最後に、戸は閉ざされた。

 一気に大広間は人の声で満たされる。慌てる声。怒りの声。嘆く声。

 姫たちのことを思い出し、私はすぐさまきびすを返した。侍従にすまぬとだけ告げてグラスを押しつけ、姫たちのところへ足早に行ってささやく。

「出るぞ、アルマ、ジルケ」

「でも、お兄様」

 ジルケがうるんだ瞳で見上げてくる。

「来なさい。子どもがここにいるべきではない」

 有無を言わせぬ口調、は成功したようだ。ジルケがこくりとうなずいたので、アルマを抱き上げて扉へ向かう。アルマは静かにしがみついてきた。

 妃様方はお二人とも、席を立っておられた。

「カーリン様」

 口早に言うと、赤茶の髪の若い妃は気丈にうなずく。

「わかっております、殿下。どうぞヤスミーン様も連れて外へ」

 ヤスミーン様はぼうとして立っていた。目はこちらを見ていない。

 幕の向こうから、兄上の重苦しい声がする。

「……閉会としよう。騎士たちには追って褒美を遣わす故、今宵の無作法は許してくれ。諸侯よ、私と共に別室へ来てくれるか……」

 ああ、何ということだ。

 今夜から始まるはずだった新しいは、今は全く始点も見えん!

「ヤスミーン様」

 声をかけるが、長い髪を細い風に揺らすばかり、優美な妃は動こうとしない。ジルケがそっとその手を引いた。

「お母様」

 はっとしたようにヤスミーン様は娘を見下ろす。

「ジルケ……」

「ヤスミーン様、後宮へ戻られますよう。長居は無用のことでございます」

 アルマを抱えた私の早口に、うつろな目のままヤスミーン様は従った。カーリン様と目を見交わし、戸を抜け出る。

 寸前、いたずらな風が少年の声を届けた。

「……それ、余ったの? おれが飲んでいいか?」

 動揺一つせぬやからもいたものだ。よいのか悪いのか……。

 廊下に出る。

 青い顔の侍従を呼び止め、後宮へ知らせてくれと命じた。侍従が走り去る。

 気づいた騎士たちも寄ってきてくれる。

「カスパー、それとそこの近衛二人、来い」

 近衛は迅速に動き、私はアルマがどうしたの? と聞いてくるのをなだめながら移動した。ジルケは母を気づかって手を引きながらついてくる。

 無言のまま足を動かし、長い廊下を、内宮を通り抜け中庭の通路を渡る。

 後宮に着くと、侍従たちが出迎えてくれた。

「王女様方、二の妃様、どうぞこちらへ」

 湯の用意をしてくれていたらしい。私はアルマを降ろした。

「アルマ、母君が帰ってくるまで、皆の言うことを聞くのだぞ」

「はい、あにうえさま」

 アルマは不安げな顔で、いつになく従順にうなずく。賢い子だ。何かが起こったことは読み取れてしまうのだろう。

 ヤスミーン様が促されるまま奥へ向かうので、アルマはそれを追って駆けて行った。

 胸のところで手を重ね、母の背を見つめてジルケは立ち止まる。その背丈に合わせてかがみ、その目と目を合わせた。

「ジルケ、よく聞きなさい。母君をお支えするのだ。今夜は大人しくして眠ること。明日になれば、兄上か私が訪ねて、どうすればよいか伝えられるだろう」

 ジルケは真っ直ぐな瞳をこちらに向けて、黙っている。

「わかったな?」

 肩に手を置き、優しく問うとこくりとうなずいた。

「はい」

「……いい子だ。ヤスミーン様のお傍にいるのだぞ」

 ジルケはもう一度うなずいて、侍女に連れられていく。入れ替わりに大柄な女性がやってきた。

「侍従長」

「第三王子殿下。何があったのです?」

 侍従長はしかつめらしい顔で尋ねた。

「……第二王子が、反意をあらわにしたのだ」

 苦々しく告げた。

 二の王子が決定をよしとせず、人命を使って人々を脅し、新王の即位を妨げたのだ、と。

 老練な侍従長であっても、口がきけない様子だった。

「妃様方と姫たちを頼む、侍従長」

 真剣に言うと、彼女は一呼吸の後に頭を下げた。

「……かしこまりました」

 後宮の内へは深く立ち入らず、庭へ出た。ついて来てくれた近衛二人に命じる。

「先に戻り、一の兄上に伝えてくれ。私たちはこちらにいて無事だと。頼めるか」

 二人ははっ、と短く返事して立ち去る。優秀だな。

 辺りがしんとすると、言うべき言葉を失くした。

 星空を見上げる。灯火で見えにくいが、月も星も出ていた。

「……ヴィン様」

 何と申し上げればよいのか、とカスパーがうめくように言う。

「同感だな。……戻ろう」

 は、と一つ息を吐き出して、歩き出す。

 内宮に戻り、慌てるモニカとエーミールが上着を預かってくれるなど、日常の風景に入ると、もっと現実感がなくなった。

 ……信じられん……。あの者ども——二の王子も宰相どもも、何を考えておるのだ……!

 一体、どうしたら全てに片をつけられるのだ。

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