九.国王選定会議

 翌朝、すっきりとせぬまま目が覚めた。

 どうにも寝覚めが悪い。これもあの男のせいだ。

 せっかくの朝日も目にまぶしく、機嫌を悪くした私は、昼食まで部屋にこもって気に入りの物語を読み返していた。昼餉を持ってきてくれたエーミールは心配そうにしていて、それで反省の心が起こったので、昼食はしっかり食べたが。

 部屋を出る前に、鏡の前に立った。淡茶の上着、紺のベストに黒のタイ。焦げ茶のズボンと、常と同じ長靴、耳飾り。むすっとした顔の己が映っている。

 右の中指に目をやった。未だ少し大きい金の輪に、紫の石の指輪。今日は、これだけはつけてゆかねば。

 会議というものに出るのは初めてだ。どんな顔をしておもむけばよいか、見当もつかん。

 おおやけの顔、という概念がある。これまで、ちょっとした茶会や夜会、あいさつの場に出る時、私は常に母上の傍らで大人しくしていた。言いたいことがあるわけでもなし、ただ客たちが王家の威信に打たれてくれたら、それで結構だったのだ。そのための、伏し目がちに他を見下ろし、かすかに微笑んで威を示す仮面だった。

 それが会議にふさわしいとは思えん。が、それ以外の顔の用意もない。

 悩ましく鏡をにらんでいると、モニカが呼びに来て言った。

「そろそろお時間ですわ。……そういえば、ヴィン様、近頃黒のタイばかりですわね」

 私はくすりと笑った。

「よく見ておるな。ただの気分だ」

「主の衣ですもの。ヴィン様はご自分でお衣装の組み合わせを決めてくださいますけれど、世の中には、お一人ではボタンも留められず色の何たるかをも解さない主もいるそうですから。仕え人たちは気を配りますわ」

 とモニカは楽しげに言って、背後の若い侍従に話を振る。

「ね? エーミール」

「えっ⁉ 僕ですか?」

 エーミールはあたふたとこちらを向くが、私がうなずいてやると、少しは慣れてきたようでこう言った。

「……そうですね。黒ですときつい印象がするものですが、殿下はお色がはっきりしていらっしゃいますから、お似合いかと」

「嬉しいことを言ってくれる」

 私はふふ、と軽く笑った。少し緊張がほぐれた気がする。

 部屋の外に立っていた私の騎士を連れ、執務室へ向かった。正確にはその横の会議室へ。きちんと入ったこともない部屋だ。初めて足を踏み入れる。

 見張りのベンノに通されて、まず目に入ったのは、場の主の座る席である窓前の椅子に立てかけられた、一本の杖だった。

 金色のきらめきで造られた、大きな球体を六つの小さな玉が輪に乗って囲むさまをいただく、優美な金杖。私はこっそりと息を呑んだ。正しい持ち主の定まらぬ王権の象徴が、その力を振るう者に代わって私たちを見ているようだ。

 先に室内にいたのは文官長のダーフィトで、

「よくぞいらした、第三王子殿下。どうぞここへお掛けください」

 と部屋の奥側、真ん中辺りの椅子を差した。その背後には椅子が並び、文官たちが座っている。記録係だろうか。

 カスパーは私に一礼して部屋を出て行った。彼は会議に立ち会えるほどの地位にはないのだ。

 指定された席に腰を下ろす。会食の時とは全く違う席順。何の序列だ? ぐるりと大卓を見回す。

 ……なるほどな。理解して、ふっと短く息を吐いた。兄上——第一王子側の末席に座っていることになるのだ。政の経験もなく成人もしていないとなれば、発言権も低くなろう。

 それにしたって、知った顔があまりないというのは心細いものだな。

 相手方の主とされているのは、第二王子たるあの男だろう。それも王権の杖の前には掛けぬようで、対面する主の席に椅子はない。

 主の定まらぬ話し合い。心もとないことだ。喋らぬ金杖が場の主では、定めるべきものも定まらぬかもしれん。

 しかし、子どもの三番目などお呼びでないという感じだな。高官どももはなから私のことなど気にかけておらぬのだろう。となれば、二の兄上が一の兄上の即位を認めれば、いとも簡単に話はつこう。それであの疑惑について説明の一つでもつけてくれたら、あっという間に会議など終わるかもしれん。

 そうであってほしいものだ。会議が終わるまで二刻以上もの間黙っているなど我慢ならぬからな。

 やがて、ぞろぞろと人が入ってきて、席を埋めていく。大半が爵位持ちの家にのみ許される高襟の上着だ。三十代くらいの栗毛の男は、私の右斜め前、一の兄上側の下からの次席についた。熊のようにのしのしと歩く、黒の縮れ毛の中年の男は二の兄上に近い席を占める。銀のように見える髪を団子に引っ詰め、細い体を簡素かつ優雅な白と紺のドレスに包んだ老婦人は、右側の第四席に腰を下ろした。

 知った顔でまず席についたのは、甲冑を脱いだバルタザールだった。私を見てかすかに微笑むと、右側から三列目、こちら側に座る。第一騎士団——王宮騎士団の団長として参会するのだろう。その後ろからヘンドリックも入ってきたが、いつも通りの騎士服で、壁に沿って立ち騎士たちに指示を出している。近衛の団長として護衛する役のようだ。ダーフィトは兄上と相対する席に座るようである。そこがぽっかりと空いている。

 二の兄上が入って来たのは、開始時刻に間に合う寸前。後ろにあの黒髪眼鏡の青年を従えている。青年はバルタザールと対称になる席に腰を下ろした。かなり身分が高いか、二の兄上に重用されているのだろう。何者だ?

 二の兄上は、通り過ぎざま、私と目が合うとすっとその目をすがめた。

 ……お前の手には乗らぬぞ。

 ぎゅっと膝の上に置いた手を握りしめる。嫌な目だ……。落ち着きを取り戻そうと息をゆっくりと吸う。

 しかし、続いて入って来たものどものせいで、一旦静まった心はすぐに波立った。

 宰相。それに、ハイスレイ公!

 やつらはあろうことか、私の目の前と斜め左前の椅子を与えられたのだ。二人とも他の男どもより背は低く、痩せている。が、弱そうな印象はちらりとも見られない。自信あり気な薄ら笑いは、毒気を含んでいるかのようだ。脂っぽい黒髪に、小さく濃い青の目が眼前にある。宰相は私に微笑みかけたが、私は、その笑みは苦手だ。隣の父親とそっくりの、不気味な笑み。得体の知れぬ力をたたえた青の瞳。

 気に食わん。

 公爵には母上の葬儀以来、宰相ともティエビエン御一行の訪問以来言葉を交わしてもいないのに、親族だからといって私の前で大きな顔をするな!

 他には悟られぬように奥歯を噛みしめる。顔を作る余裕もないわ。

 最後に入って来たのは一の兄上だった。ジークを伴っており、彼はヘンドリックに従って壁際に並ぶ。兄上は颯爽と歩を進め、己の椅子の背に手をかけると、ぐるりと室内を見回した。

 中央に縦長の卓があり、貴族と王族の代表者が座っている。壁際の椅子には文官たちが並び、空いた壁面には護衛の騎士たちが立つ。次の王を決める会議の、用意は整っていた。

 陽光を映して鋭く光る緑玉の瞳が、集まった人々の顔の上に視線を滑らしてゆく。私にも一瞬目を留め、それから、兄上は笑みを浮かべた。それは、私が祖父や二の兄上のに対して抱いた嫌悪とは明らかに一線を画す、見る者を高揚させるような、輝きに満ちた笑みだった。

 やはり、一の兄上には他と異なるところがある!

 嬉しくなった私と同様に、かの方を掲げる者たちにはそんな気分が伝わったようで、右半分に座る者たちが急に存在感を増した。

 兄上が片手を伸べ、宣言する。

「これより、王位に即くべき者について諸侯の意見を聴くための会議を執り行う。会の最中、礼を忘れることのないように。公平な見地に基づく意思表明を求める。進行は文官長のハルメダール。頼む」

 その声に応じて、ダーフィトが兄上と入れ替わるように立ち上がった。

「議事進行を務めさせていただきます、文官長ダーフィト・ハルメダールと申します」

 と豊かな金茶の髭をなで、一礼する。腰を下ろすと、ばさりと紙の束を持ち上げた。

「まずはご臨席の方々をご紹介させていただきます。アレクシス第一王子殿下」

 一の兄上が鷹揚にうなずく。

「ゲレオン第二王子殿下」

 やつは尊大にもったいぶったうなずき方をした。

「ヴィンフリート第三王子殿下」

 呼ばれたので小さく頭を下げ目礼する。何人かは目礼を返してくれた。

 どうやら身分の高い者から紹介されていくようだ。王家の出席者の次に、四大公爵家と称される、かつての勇者アルトゥールの仲間の血を継ぐ一族が呼ばれた。

 ツェラー公爵は厳めしい顔つきの黒髪の偉丈夫だった。彼の領地は有名な紅茶の産地である。ミゾレーユ公爵は、あの白と紺のドレスの老婦人であった。高名な服飾工房を持っているだけあって素晴らしい装いだ。彼女に似合った、無駄のない美しさ。ケンギン公爵は巨木のような老人だった。元は金だったろう髪はほとんど白くなり、うなじのところで一つに結わえられている。角ばった顎に生やした髭も硬いのではないかと見える。その領内に鉱山を有するためか、顎に当てた大きな手には、三つも大きな宝石付きの指輪がはまっていた。

 皆、一の兄上の側に座っている。

 残る一人は、ハイスレイ公爵。領は医術師の多さ、家は宰相家として有名なのは前に述べた通り。やつは息子である宰相と並ぶために卓の真ん中に座っておった。宰相は二つの陣営の間に立ち、輪を乱さぬようにという配慮から、卓の中央に座る慣習があるらしい。迷惑な話だ。おかげで私は会議の間中やつらの顔を見続けることになった。

 続いて紹介されたのは、今は七つある侯爵家。あの謎の青年は、事情あって屋敷を離れられぬ父ヤネッカー候の代理として参上したらしい。

 それから、四辺境伯。皆中年から壮年といった歳の男たちだ。

 他に報告を上げるのだろう騎士が二人。バルタザールと、第六騎士団の副団長だ。

 結構かかったので数えてみたところ、卓に並んでいたのは二十二人。ユースフェルトの中心となっている貴族たちは、代理もいるがほぼ顔ぶれが揃ったことになる。

 背後の文官たちは記録係、資料係、報告係等であるとのこと。護衛の騎士たちはこの会議の内容を勝手に漏らさぬと誓っていると言い添えて、ダーフィトは頁をめくった。

「それでは始めるといたしましょう。議題は、空位となった王の座を埋めるお方についてでございます」

 場はしんとして、数十の視線がダーフィトへと向かう。その間に急ごしらえで表情を作った。目を伏せはしないが、参加者たちの顔が見える程度に視野を抑え、笑みではなく真面目な顔にしておこうと口もとを引き締める。

 ダーフィトが口上を述べた。

「去る炎華月の初め、隣国ティエビエンから国際法第四条項に基づく〝裁き〟の申し立てがあり、先王陛下がティエビエン王から莫大な借金をしておりましたよし、発覚いたしましたのはここにおられます皆様におかれましても既知のことと存じます」

 と始めて、前提となった〝裁き〟にまつわることについて読み上げてゆく。

 先王は王権を剥奪され、第一王子も王太子位の剥奪をされかけて自ら返上する形をとった。借金は年をかけて返すこととなり、当座の返済金代わりとして王家の私財が没収された。政治は第一王子が国王代理を務めることとなり、一応の落ち着きを見せた。

 この年のうちに、第三王子——私のことだ——が内宮入りし、第二王子の帰都を待って三人の王候補が揃い、この会議を開く運びとなった。

「我らの未来を決めなさるのは、新しい国王陛下でございます」

 真摯な発言をお願いしたい、と告げる。

「判断にあたり、我が国の現状を整理してお話しいたしましょう」

 最初の議題は、国を統治するという面から見てどのような者が王にふさわしいか、ということらしかった。

 文官たちが卓上に地図を広げた。トールディルグ大陸の全容が見てとれる。

「我が国は、北に星海、西南にナベルト山脈を挟んでセゼム王国、南にケルジュ山脈を越えてジョルベーリ王国と境を接しており」

 一同は地図上に目を走らせる。

「東には岩渚クイシェ、そしてティエビエン王国がございます。かの地は〝狂い森〟に面しており、重要な〝対魔の要〟です。ジョルベーリの向こうには王妃様の母国、モウェル公国がございます」

 一息をつき、ダーフィトは手もとのグラスから水を口に含んだ。

 トールディルグは『国際法』と名づけられた条約のもと、各国が友好と繁栄の道を模索している。

 古くからの因縁は残る。

 セゼムは、ユースフェルトと同じくかつてのジョルベーリから派生した国家だが、アルトゥールが国の平定後貴族制を用い、その子アレクシスが官制や都市を整備したのに対して、かの国を建てた王は軍閥によって支配を固めた。

 ユースフェルトでは農業が盛んだ。土も豊かだし、雨も降る。何より広大な土地、穏やかな気候は麦も他の作物も育てやすいのだという。羊や牛、馬もよく育つ。

 しかしセゼムはどちらかというとやせた土地で、放牧が盛んであり、魔物から身を守るため民も武装する。

 ユースフェルトは作物をセゼムやティエビエンに売っているが、飢饉の折など、セゼムの戦士たちは実りを求めてナベルト山脈を越えて来たらしい。今では協定が結ばれているが、やはり警戒して境の出城には騎士団が常駐する。今回の二の兄上と第六騎士団のように、隊の帰都に際しては祭りになるほど、重要視されているのだ。

 ジョルベーリは古き古き母国。近隣の国々の中では最も古い歴史を持っており、その分どの国とも関係が深い。どこの王もかの老王には頭が上がらぬのだ。

 此度ユースフェルトの王族を断じた〝裁き手〟、すなわち〝裁き〟における議長もジョルベーリ王であった。我が父王も兄上も逆らえぬはずである。

 そもそもかの王を議長とできたティエビエンの王もやり手だが、長い信頼関係も根にあるだろう。ティエビエンはもともと、傭兵を生業なりわいとして流浪していた民族ティエビダが、ユースフェルトと〝狂い森〟の間の荒れた土地に国を建てたのが始まりだ。それ以前は、基本的にジョルベーリをあるじとし、各地で魔物退治を引き受けていた。〝狂い森〟に棲む魔物と戦い、それを援助してもらっているという政治構造で、ユースフェルトやジョルベーリは農作物を輸出しその働きに応えているという、いわば契約のような形をとっている。

 今は『魔力石』——我が国で言うまじない石と、魔力を伝える金属などを使って、『魔道具』と呼ばれる魔術の力を行使できる道具も生産している。おまけに腕のよい細工師が多く、魔道具でなくともティエビエンの工芸品は喜んで買われる。我らの生活になくてはならぬ国なのだ。

 その王を敵に回して、父王は一体何をしようとしていたのだ?

 ティエビエンの土地はユースフェルトの三分の一もなく、小国で、食糧を我が国からの輸入に頼っているという点では扱いやすくも見えるかもしれん。しかし古き大国ジョルベーリもかの国の味方をして食物を提供しているし、よもや戦いとはなるまいが、なったとしたら八割方こちらが負ける。兵数の問題ではない。長たる王を中心として固く結束した戦士たちの士気、技術、つまるところ質が違うのだ。ティエビエンの国民は、大半が戦士として育つという。家族を守るため、己が王の怒りに応じるため、鍛え抜かれた者たちが必死に戦うのだ。のんびりした農業国の騎士や兵士が槍を揃えて向かったとして、勝敗は言わずもがな知れている。まことに解せぬな。

 重要な国はもう一つ、南のモウェル。かつてジョルベーリの公爵だったモウェル公が、貢献の褒美として独立を賜ったという稀有な国である。これも公が未開の草原だった南西の地に領土を広げたからとかで、どうもジョルベーリは人口が増えると領土を拡大させ、そこに属国を置くという手法をとるらしい。大国の宿命——多すぎる民を抱え、意を反する者によって滅ぶ——を回避するのがよほど上手いと見える。

 この国のおもしろいのは、ユースフェルト、セゼムと違って独立時に争いが起こらず、公の名を引き継ぎ、文化的にもジョルベーリと多くを共有しているところだ。

 特色は芸術にある。ユースフェルトは絵画や像で知られるが、モウェルは服飾、宝飾だ。モウェルで流行った装いはジョルベーリでもすぐ流行る。

 ユースフェルトにまでその流れが来ることは少なかったのだが、先王の御代になって事情が変わった。前代のモウェル公と前々代のユースフェルト王の間の約束で、第一公女であったエルヴィラ様がアンドレアス四世王の正妃となったからだ。

 衣にまで影響が及ぶことこそめったにないが、髪飾りや小物など、模倣しやすいものが持ち込まれると人気が出た。王妃として茶会を開けば、次の茶会では貴婦人たちが皆エルヴィラ様の髪留めや帯をまねるとかいった具合に。

 さて、このような国々に囲まれたユースフェルトを統べるにふさわしい器とは?


「決め手」の一つ目は、外交官の証言。

 真っ直ぐで長めの栗毛をした中年の男と、あのエトガーだった。男は外交官長のヒューンと名乗った。近年の貿易について話すという。担当者のレームクール、とエトガーが紹介された。

 彼が眼鏡の奥の赤茶の目を光らせて言うには、

「貿易において重要なのは、境を接するセゼム、ティエビエン、ジョルベーリ、そして商業の発達した朱海諸国とモウェルでございます」

 初めの三国は、私も考えた通りだ。せっかくの豊かな実りも、売る相手がいなかったり奪われたりしては意味がない。

 二人の官僚らしい学術然とした話を要約すると、ユースフェルトは現在隣国だけでなく離れた朱海近辺やモウェルとも良好な交易関係を築けており、これはここ数年の平和に起因するという。何らかの貿易額の推移など、数字が細かすぎてよくわからなかったが、よい水準を保っているのは見て取れた。

 特に、八年前からは安定していると強調していた。一の兄上が王太子位にあった年の数字である。文官はほとんどが第一王子派と見ていいだろう。同じ場で政務にはげみ、国王がいなくなって混乱した政界をまとめたのは兄上なのだから。

 兄上も運が強い。交易を安定して行えるだけの平穏に恵まれ、外交官にも好かれているとは。

 二人は上手くやった。平和について触れたのは騎士団に属する二の兄上を牽制するためだろう。例えばティエビエンに圧力をかけて借金をごまかそうとするなどし、力を誇示しても、被害が大きくなるだけだと示したのだ。


 二つ目は、騎士団からの報告。

 バルタザールは、王宮騎士団は正しく律せられているとし、訓練の細かい様子や実際に魔物討伐で役立っていることなどを示した。王宮騎士団は常は王宮にあり宮を守っているが、それだけではない。第一騎士団の名の通り、王の直属であり、王都近辺を守る第二騎士団の要請や王の下命があれば、王と周辺の魔物退治にも出かけるのだ。王領の若者たちも多く受け入れているゆえ、雑多な構成員であるのが他と違うところ。

 第一騎士団の最も大きな功績は自明である。王族が危険な目に遭ったなどとはここしばらく聞いたこともない。私の隠し通路探しやら、二の兄上の遠征やら、自業自得の者どもはさておいて。彼らは優秀であり、王権を代理する者に忠誠を誓っている——つまりは、一の兄上に。

 第六騎士団の副団長はセゼムとの境の様子について報告した。セゼムの側は静けさを保っており、侵入される危険は見られない、と。しかし、長年の風雨による劣化か、あちこちの出城で修復が必要な箇所が見つかったという。これはあの「言い訳」と合致するが。

 大人しそうな顔のまだ若い副団長は、ちらと二の兄上を見やり、灰色の目に複雑そうな表情を浮かべて、再び口を開いた。二の兄上は例にもれず不敵な笑みのまま沈黙している。

 続けられた報告は第六騎士団の戦果だった。ナベルト山脈の森に出た小鬼の群れを退治したこと。一つの出城の傍らにある沼に湧いた羽魔はまを駆除したこと。

 騎士団の成果は、ひいてはそれを指揮した二の兄上の功績である。報告の前に二の兄上の顔色をうかがったのは、脅されての報告か、やつに怯えているか反感を持っているか、あるいはご機嫌うかがいか、いずれだ?


 三つ目、これが最も長く面倒なものであったが、貴族らによる話し合い。

 話し合うという言葉以外に表しようもなく、報告らしい報告はなし、その場その場で意見を述べてゆくという、いわば談義だった。

 一部の侯爵は自領の豊作なこと、一の兄上の立ち上げた農法研究によると主張した。また一部の侯爵、それに南の辺境伯はもっと交易を活発化させてくれる者を王と仰ぎたいと意思表明をする。一の兄上は、ヒューンとエトガーの話からわかるように、貿易を奨励する立場を取っているようだ。

 西の辺境伯は軍備を固めることも考えてほしいという。やはりセゼムとの国境沿い、不安もあろう。二候が、いくらティエビエンの王に負い目があるとはいっても弱気な態度は望ましくないと言った。他国を警戒するゆえのことであろうが……。

 会議は、大まかにいうと三つに分かれたのだ。

 多数を占めたのは、これまでのような安定した平和と繁栄を求める者。第一王子派と呼ぶべきだろう。一の兄上が王となれば、彼らが求めるものをもたらすだろうゆえ。

 しかし、第二王子派と呼ぶべき、軍事経験のある二の兄上を王として、強兵、強気な外交を望む者たちもあった。わからぬでもないが、あのティエビエンに強気に出たところで何になる? 私は賛成しかねる。そもそも、二の兄上は考えなしの婚約事件の当事者だというのに。

 残った者は日和見だ。私は会議をよく見ていただけで発言はしておらぬので、私もここに属しているといえようが、第三王子派などという呼称は存在しない。……はずだった。彼らは次の主と戴く者を定めておらぬのだから。

 大きかったのは、四大公爵のうち三公までが一の兄上を王にと取れるような発言をしたことだ。これで日和見派のうちで穏健な政治を望む者は第一王子派に流れた。ケンギン公だけは日和見を維持している。鉱山の街の公爵か……商売人ゆえの態度かもしれぬが、もうお年であるからな。多少はもうろくもしたのであろう、ふん。

 気がつくと、議論は激しくなってきていた。

「第一王子殿下は遠征の経験もない」

 と一人が言えば、

「殿下は農と商をよく保護してくださるだろう」

「先々代の国王陛下も遠征したのは数度、それも生涯の終わりに近づいてのことで、王太子時代にはない」

 と誰かが言う。

「第二王子殿下では優良な外交、内政は期待できぬだろう」

 と毒舌家が皮肉をまとって言えば、

「足りぬところを補うために官僚がいるのであろう」

 やんわりと功ある老人がたしなめ、

「では、一の殿下の軍行の未経験はどうなるのだ」

 と口論のように混ぜっ返す者がいる。

 若い男が、

「何故、第一王子殿下は王太子位を降りられたのです?」

 と聞いた時、会議は流れを変えた。一の兄上は卓につく者たちを見回し、

「先王陛下のなさったことを見逃していた私も、責を負わねばならぬと思ったからだ」

 その緑の瞳は揺るぎない。

「これを機会に、お前たちに問うてみたいと思う。お前たちの望む世を真に実現できる者は誰だ、と」

 その態度に一片も臆するところなどなかった。

 どこが弱気な外交だ? 言ってみるがいい。彼の他にユースフェルトを光ある方へ導ける者を! そんな者、いるわけがない。

 これに、第一王子派の者たちは兄上こそ王たる人と確信を強めたようだった。

 が、逆に、王太子であれなかった者が王に? と、ここに来て疑問の声も上がる。愚問だな……誰が一番信頼に足るかなど、私にすらわかるというのに。

 ざわつく室内に、老女が問うた。

「では、ティエビエンの王女との『お話』があって、なお父君の不正も見えず、次の王を決める会議を今日まで延ばしなさった第二王子殿下については、どうなのです?」

 ざわめきが大きくなる。

 そう、それだ。あやつは何を隠している? 何を知っているというのだ。

 口々に、

「しかし、王太子位は空位なのであるからして……」

「歳や政治経験からいえば……」

「対魔については……」

 などとささやき合う貴族たちの中にいて、対立をなだめていたはずの宰相の声がしたのは、その時だ。

「一の殿下にも二の殿下にも疑問が持たれるとすれば、三の殿下はいかがなさる。かの君には疑うべきところなどありますまい」

 ふっと会議の声が止む。皆の視線が卓の中央、私たちに向いていた。

 私はわざとらしくため息をついた。何を言っているのだ、こやつは……。会議の展開は、終始私を無視していたであろうに。

「宰相、」

 口を開くと、やつは何ごとかを含んだ目で私を見つめた。

 こやつもか! 揃いも揃って何を企んでいる⁉

 ——私は、私以外に縛られることなどないというのに。この私が、この局面で己が心を偽ると思ってか。

「あまりふざけたことを言うなよ。私は兄上たちと違って、政にも軍務にも詳しくはない。皆が望む王とは異なるのではないか。……私は、定められた国の主に従うのみだ」

 私は玉座などに興味はないのだ。誰がそこに座るかには多大な興味があるが。

 淡々と告げた私の立場表明に、しかし宰相は思わせぶりな笑みで、

「いや、欲のないお言葉、感心いたしてございます」

 何が言いたい!

 きつく宰相めをにらみつけるが、やつは不可解な微笑のまま引き下がった。心に暗雲が広がってゆくのを感じる。まさか、こやつら……。

 小さな呟きばかりが広がるようになった部屋に、ダーフィトが咳払いする。

「他に、ご意見は? ありませなんだら、私めが……」

「待て、ハルメダール」

 それを兄上の涼やかな声が遮った。

「第二王子、お前に問うべきことがある。昨日の会議、お前に聞いたことの答えは、持って参ったか」

 今度は、皆が一斉に二の兄上の方を向いた。

 やつは答えない。微笑も崩さなかった。

 それをじっと見つめて、兄上が二人の文官を呼ぶ。二人は書類を手に、

「先王陛下のなされたティエビエンからの借金。その一部が、第二王子殿下以下、ヤネッカー侯爵、リーツ侯爵らの手へ渡ったとされる証拠書類が見つかりました」

 こちらでございます、と卓上に置かれたのは、数字のびっしり並んだ一枚の紙。算術は苦手ではないが、得意でもない。しかし追ってゆけば不審な数字があるのだろうことはわかる。

 きっとこの、何かに支払ったという金額の明細。一体、何に支払ったというのだ? この額を……!

「まだ白を切るつもりか?」

 鋭い一の兄上の追及に、やつはにやりと笑むばかり。

 卓は痛いほどの沈黙に包まれていた。心臓がどくどくと鳴る。しばらく二人のにらみ合いが続き、

「……まあよい」

 沈黙を破ったのは、一の兄上の方だった。

「心当たりがないとは言わせん。前の会議で告げた通り、官吏を向かわせてもらうぞ。全て返してくれるのなら借金の半分が返せるだろう」

 小さく息をつき、話題を転じる。

「お前、休暇の間、どこに留まるつもりだ。内宮か?」

 聞いていた私はぎょっとした。こやつが内宮に⁉ それだけは嫌だ!

 これに、初めてやつは返答した。

「いえ。ヤネッカー候が招待してくださったので」

 応じるように例の黒髪眼鏡の青年が一礼する。

 そういうことか……! あの男、二の兄上に最も近しいところにおるぞ。何の目的あってそんなことをする?

「そうか。それならば候の館に留まるがよい。財務官の質疑には適切に答えることだ」

 一の兄上が軽くうなずき、二の兄上の一応の処分が決まったらしい。その白い手が振られ、

「ダーフィト」

「はい」

 文官長が立ち上がり、すらすらと述べ始める。

「諸侯の御方々のご意見、鑑みましたところ、やはり我が国の仕組みから申し上げましても、総意として第一王子殿下が王位に即かれるべきでございましょう。殿下は政治、経済に造詣が深く、国益を守り、民に配慮し——先王陛下の汚名を優れて濯いでくださいましょう」

 なるほど、こういう流れか。

 まあどう見ても、形勢は第一王子派に分がある。悪い噂を糾弾されても言い訳一つ口に出せない第二王子に、何の政治権力も持たない第三王子など、王にしたところで国に利がない。

 結局、議論はたどり着くべき場所に収束したわけだ。

「——異論ある者は声を上げよ」

 兄上の凛とした声が響き渡る。

 あろうはずもないな。諸侯の集まるこの場を支配したのは、紛れもなく一の兄上ただお一人。

 やがて、老女公の静かな声がした。

「ございません。新たなる国王陛下」

 それを皮切りに、いくつかの声が言う。

「ございません」

「忠誠を」

「第一王子殿下、どうぞ玉座に」

 一部の日和見どもはここぞと追随する。一部の日和見派と声高だった第二王子派は沈黙を守ったが、この際沈黙は肯定と同義だ。

 ダーフィトが告げる。

「明晩、大広間にて、第六騎士団の無事の帰還を祝し、晩餐会を開きます。その場にてこの決定をお伝えいたしましょう。諸侯の御方々にもご参加願います」

 その声は喜びの色を帯びているように、私には聞こえた。

「来月の三日に、調印式を行う予定となっております。王家の名のもと、第一王子殿下が新王と立ちましょう」

 調印式……そうか、もしやすると、私の最初の公式行事への参加はこれかもな。大役だ。

「それでよいな、ゲレオン、ヴィンフリート?」

 力強い声の問いかけに、同じように力強く一の兄上を見つめる。

 ああ、この声だ。かの方の王としての声。私たちはきっと、この声を聞きたいのだ。

「無論。一の兄上こそ玉座にふさわしき方」

 笑みを浮かべる己を自覚した。仕方ない、私は兄上をお慕いしているのだから。

「否やがあろうはずもございません」

 私の言に、一の兄上は微笑みを返してくれた。輝くような笑み。こちらまで明るく照らすような。

 ……しかし、少し待ってもやつからの返事はない。

「第二王子よ、予定はわかっているな」

 再びの問いかけに、やっと返答があった。

「……ねえ、兄上。生まれた順が違えば、どうなっていたのでしょうね」

 それは答えではなかった。

 生まれ? 意味のない問いを。

 やつをにらんだ私同様、右側から敵意を含んだ視線がやつへ飛ぶ。一の兄上は動揺を見せなかった。

「運命は変わらん。私たちが変えられるのは、我ら自身のみだ」

 兄上が静かに立ち上がり、伸ばされた手が金杖を掴む。杖の底で床を叩くと、シャーン、と心地よい高い音が広がった。

「これにて会議を閉じる。皆、すべきことを心得て行動せよ」

 はっ、と声を揃え、始まった時と対照的に権威を手にした兄上に一同がひれ伏す。

 左側の不気味な沈黙は、依然として保たれたまま。

 だがこの輝きの前には敵うまい。私は自然と、一の兄上に向かって頭を垂れた。

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