二.高慢な王子は己が罪を認める

「く、国、でございますか?」

 侍女は目をしばたかせて驚いたように問うてきた。

「ああ。……ここ最近、悪いうわさばかり耳に入るし、どれが真実なのかも測りかねているのだ。母上もお心を乱されて、私には何も教えてくれん。お前、何か知っていることがあれば、何でもいいから言うがよい」

 うわさに耳を貸したのも二日前からなどという最近も最近のことだが、母上が何も知らないかもしれぬなどというのを隠すには、これが最適だ。

「わ、わかりました。あの、国王陛下からお妃様方にお話がおありだったかと思うのですが……」

「詳しいことを知りたいのだ。借金の理由についてさえ、うわさではが尾ひれがついて様々になっているではないか」

 いぶかしむ侍女に言いつのる。

「え、は、はい。あの、私のような侍女が殿下とお話しするなど、いかがなものかと思うのですが……」

「よい、この時間、この辺りには人がおらぬだろう。風も音を拾ってこぬし」

 侍女は困った様子で何事か考えた後、

「えっと……でしたら、殿下、お茶などはいかがですか? 私が用意をいたします。その間ならお話もできましょう」

「……ふむ」

 なるほど、変なうわさなどが立たぬようにか? 確かに、ここで姫たち以外が使用人と話などしているのが知れたら、この侍従が目立たぬはずもなかろうな。任せよう。

「それでよい」

「かしこまりました。お茶はどのようにいたしましょう? ツェラー産の紅茶ならすぐにご用意できますが」

 こくりとうなずく。ツェラー産の紅茶は好きなので、問題はない。

 侍女が机を動かし、茶器を持ってきて用意を始める。

「あの、優雅なお茶の時間にする話ではないように思いますが」

「構わん。早く話せ」

 命じると、渋々といったふうに口を開いた。

「国王陛下がティエビエンに作られた借金のために、今我が国が混乱しているのはご存じかと思いますが」

「ああ」

「原因は贅沢です。王族、特にお妃様への贈り物に、国庫のお金まで使ってしまったので、借金をしなければならなくなったのです。……そう陛下は言っておいでです」

「……」

 贅沢。その程度のことで?

「隣国は小さいですが、豊かだというのは習われたでしょう。少しの借金のはずが、繰り返すごとに溜まっていって、ティエビエンの王も見過ごせなくなったそうで」

 かたん、と小さな音を立ててカップが置かれる。

「陛下は、お金を返す代わりに、第二王子殿下、第三王子殿下の兄君あにぎみですね。その方と、ティエビエンの姫との縁談を持ちかけられました。互いの王族が結婚し、豊かなユースフェルトの実りを優先的に与えると約せば、借金を見逃してもらえないかと」

「ああ……」

 その話は知っている。国外に出たこともないあの兄が、何故隣国の王女殿下と、と不思議に思っていたのだが、そんな裏があったというのか。

 侍女は手際よく、カップに紅い液体をなみなみと注いだ。

「殿下、牛乳やお砂糖をお入れした方がよろしいですか? あ、レモンもございますよ」

「……レモンを」

 言うと、美しいレモンの輪切りを入れた紅茶を渡される。指先がひどく冷えていたのに気がついた。

 ——温かい。

「どうですか?」

 言われて、すぐには答えられなかった。

 紅茶のできを問われているのだと気づくのに、一拍かかった。そんなことを聞いてくるような者はいなかった。不味まずかったら相手に怒ればよいだけだと思っていたのだ。

美味うまい」

「よかったです」

 侍女がふわりと笑う。

 茶色の緩やかにうねる髪を束ねて、化粧の薄い顔で、侍従らしく飾り気のないドレスに汚れなく白い前掛けをしていた。目は灰色がかった薄い青で、細めると光を増す。

 そんなことに目を留めた己を変だと思った。……そんなふうに使用人を見たことはなかった。

 もう一口紅茶をすすり、話の続きを促す。

「……それなら、上手くいったのではないか? 確か、今のティエビエンの王家は姫が一人だけだっただろう。二の兄上が嫁ぐのなら、両国の協力関係は深いと思ってもらえるだろうし」

「そう思われます?」

 侍女は、不思議な笑い方をした。呆れたような、悲しむような、泣きそうな笑い方を。

「上手くいきようがなかったから、今、この国はこんなふうになっているのですよ」


 その後も彼女が語るのにうなずき、問い、聞き出したところによると、話はこうだ。侍従たちのうわさと同じこともあったし、違うところもある。

 ことの発端は、王家の贅沢だった。

 美しい調度品や服、最高級の食事。特に王が、妃への贈り物に大金を使った。高価なレースをふんだんに使ったドレスや、希少な宝石を使った装身具。妃の望むものは、わがままであっても叶えた。それは王族の権威を示す道具の意味を、とうに超えていたという。

 やがて、自由に使える金がなくなり、王は隣国ティエビエンの王に借金をした。広大な領地を持つ我が国と反対にティエビエンは小国で、農作の代わりに工芸で国を立てている。その技巧がすばらしく、かの国は金は豊富に持っているのだ。

 その借金も使い果たし、返済しないまま借金を繰り返して、何と五年が経った。

 国際法——我が国のある大陸トールディルグの国々の間で交わされた条約——によれば、国が国との契約を無視して五年以上経てば、約定を破られた国は〝裁き〟の申し立てが許される。私も教師にそう習ったから、間違いはなかろう。

 国際裁判——国にとっては威信に関わる大舞台となる。それを恐れた王は、小国に一つの縁談を申し入れた。己の第二王子をティエビエンの姫に婿に取らせてやる。大国の広い領土から採れる様々なものも融通する。

 その代わり、金の援助をしてくれぬか、と言外に含ませて。

 それが仇となった。

 ティエビエンの跡継ぎとされる王女には、国内での婚約者がいたのだ! 無理やりな縁談に加え、借金を認め見逃せというような物言いに、ティエビエンの王は怒り狂ったそうだ。

 国際法の盟主ジョルベーリに、ティエビエンはユースフェルトの裁きを申し立てた。一月前に、我が王宮で国際裁判が開かれ、話し合いは紛糾した。

 ……何があったのかすら気づいていなかった己にさらに自責の念が押し寄せるな。

 ともかく、各国の代表は我が国の王を悪と断罪したらしい。

 借金というだけでそこまで騒ぎになったというからには、それだけの大金だったのだろう。……私も知らないながらもその恩恵を享受していたのだ。悔やんでも取り返しはつかない。

 王——父上はほとんどの王権を取り上げられ、しばらくの間各国がこの国のまつりごとを監視することになったという。

 王の私的財産は全て剥奪。王族も、王の凶行を止められなかったということで、私財を返済に当てるよう命令が下された。

 成人前の者たち——この国の成人は十六歳であるが——には国王から妃たち、妃たちから王子と王女へと話が伝わるはずだったのだそうだが……母上は、あの通りだ。


「では、今父上や兄上たちや、王妃様はどうしておられるのだ。内宮の様子も、ここまで伝わってこぬとは……」

 情報が少なすぎる。

 これまで、教師に教わったことだけで満足し、外に目を向けてこなかった。もっと知らねばならぬと、初めて感じる気持ちがあふれる。何かに、恐ろしさに急かされるように。

 後宮がこれほどせまかったのは、しらせがなかったのは、妃様方や姫たちのように宮の奥で守られるべきものだけでなく、私というじき外に行くべき者が、何も知ろうとしなかったからではないのか。

「国王陛下は御身おんみを宮の一室に囚われておいでとのことです。正妃様は各国への対応を、第一王子殿下は国内の混乱に対処されています……第二王子殿下はセゼムとの境へ騎士団の任務で行っておられましたので、帰還は月単位で遅れなさるかと」

 セゼムはティエビエンとは反対側の隣国だ。任務で、しかも騎士団を連れてというのであれば、王宮への帰還も身軽にはできないだろう、というのはわかった。

 だが、

「第一王子殿下? ……一の兄上は王太子だぞ、王太子殿下とお呼びするべきだろう。次代の王を、ただの王子の中の一人とでもいうように言ってはならん」

 変に思って、責めるようにきつく言ってから、はっとした。己の考えだけで世界を見ていては間違いがわからぬと、気づいたばかりではないか。

「……まさか、他に理由があるのか?」

 おそるおそる問うと、侍女は目を伏せた。そして少し間を置いて、意を決したように告げたのだ。

「……国際裁判は、王の罪を償える者が次の王になるべきだと、王太子位は一度空席に戻せとしたのです。第一王子殿下はそれに従い、王太子位を返上されました。今、この国に王太子はございません」

 ……何ということだ。

 今、この国には三人の王子がいるだけだというわけか。混乱も当然だ。王が王権を失い、次代の王が見当たらなかったら、人々はどんな未来を描けばいいのだ?

 ……ああ、私は本当に間違っていた。愚かで、そのことすら知らないでいた。見下していた侍従よりも馬鹿な、本物の馬鹿だ。使用人が至らぬ者だなどとは、もう決して思うまい。

 私はぱちりと目を閉じた。

 外のことを知ろう。外に目を向け耳を傾け、気にかけるように努めよう。

 もうすぐ内宮に出る予定ではあったが、部屋も決まっておらぬ段階で、今の私は後宮を出ることも許されていない。だが、だとしても、後宮の中でもできることをするのみだ。

 まずは、母上と話をする。私は己が罪を——無知で愚かでありながら、誰よりも傲慢に振る舞っていた罪を認めよう。責められる度、己で見つけて責める度、それを認め、行動を正そう。

 母上もきっと、知らないから、わめくことしかできないのだ。

 無知の知、己が無知を知ることが初めの一歩だと言ったのは誰だっただろうか。本に残るくらいだから、きっと正しいに違いない。

 目を開けた。

「話はもういい。下がるがよい。あ……」

 話の礼を、妹たちに言うようにしようとして、アルマやジルケのように添える名を知らないのに気がついた。

 その人のみに何かを伝えようとする時、その人を特定する呼び方がないのは不便だな。

「……お前、名は何という?」

 問うと、侍女はその青灰色の目を大きくさせて、私を見つめた。

 驚きを素直に表すものだ。表情の固まった侍従長とは随分違って、若くてかわいらしいという感想が浮かんで消える。

 しかし、私は名を尋ねるだけで目を丸くされるようなやつだったのか? まるで不審者ではないか。これまで侍従の名に興味を持ってこなかったつけか? ……つけなどと言うと、借金を思い出して嫌だな。やめよう。

「え、と……あ、アリーセ・トゥーナと申します、殿下」

 茶器の盆を持ったまま固まった様子で、侍女、いや、アリーセが名を告げた。

「そうか。ありがとう、アリーセ」

 姫たちにいつも言うように礼を言うと、アリーセはまた固まった。どうしたのだ、一体。

「え、と、そ、それは何のお礼でございましょうか」

 と美人の類に属しそうな顔を引きつらせて問われる。本当に何なのだ。

「——茶の礼だ」

 突然用意することになった、な。その中でした話の礼にもなるだろう。

「いっ、いえ、つかびととしての務めを果たしたまでにございます……では、御前失礼いたします、殿下」

 定型文のようなあいさつをして、アリーセはすぐに退出していった。

 彼女の顔は覚えられそうだな。外の話にもけっこうくわしいようだし、賢いのだろう。また話し相手になってくれるかもしれん。

 私はソファを立って、他の者たちのいる宮の中心の方へ向かった。

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