ユースフェルト王国星冠記 ヴィンの物語

中川光葉

プロローグ わるい王さま、わがままな王子さま

一.傲慢な王の冠割れた

「どうしてそのドレスを持ってきたの⁉ それは前に着たでしょう! それしかないなどと馬鹿な言い訳はおよし!」

 母上の金切り声の叫びに、妹姫たちをそっと両腕で包み隠す。

「新しく作ったものがあるはずよ! ないと言うなら作らせなさい! わたしの言うことが聞けないの⁉」

 本当なのに。

 本当のことなのに、母上には知らされていたはずなのに、どうしてあんなふうに叫んでいられる?

 私は知らなかった。

 だから、愚かなままでいられた。

 だが、己の馬鹿さ加減を、己の無知を、知ってしまったからにはもう同意できない。

「あにうえさま?」

「お兄様にいさま、どうかなさったの?」

 腕の中の小さい妹たちが、不思議そうに私を見上げる。

「何でもない。白のに行くか?」

「いきますっ」

「ぜひ!」

 可愛らしい返事をする二人に微笑んで、連れて部屋を出る。

 侍従たちの視線が、今は痛いほどに冷たく感じられる。ほんの二日前には、そのように感じたことなどなかったのに。

「——陛下に言って、首にしていただくわよ! この役立たず!」

 母上の高い声が耳に届いた。

 そんなこと、できるわけがないのを、母上はまことに知らぬのだろうか。


 私は、ここユースフェルト王国の第三王子として生を受けた。

 国王アンドレアス四世と、寵愛を受けている側妃そくひウルリーケの間に生まれた子だ。寵妃として後宮あとみやでは絶大な権力を持っていた母上に、私は後宮の中でそれは変に育てられた。

 変、というのは、まだ少しためらいがある。少なくとも、これまでの私にとって、母上は誰よりも愛情を注いでくれる存在だった。……その愛が曲がったものではなかったかと、私の中でもう一人の私がささやいてくるだけで。

 今後宮の住人と呼ばれる者たちは、私が物心ついた頃から変わらず六名だ。

 この国では、王家の子どもは十二くらいになるまで後宮で育ち、その後内宮うちみやと呼ばれる後宮と王宮おうきゅうの間に部屋を持つ。正確には内宮も後宮の一部なのだが、後宮の住人と違って〝外〟に出る者たちが暮らし、後宮の者とはあまり関りを持たぬため、そう区別されるのだ。

 内宮にあるのは、国王陛下の部屋、王妃陛下——第一妃で、正妃せいひであるお方——の部屋、そして王太子——私の一番目の兄上の部屋。二番目の兄上は騎士団にいるので、内宮からも出たため、自室とされている部屋はない。

 その他が後宮の住人だ。

 第二妃のヤスミーン様。

 我が母上、第三妃のウルリーケ。

 第四妃のカーリン様。

 第三王子たる私、ヴィンフリート。

 そして妹が二人、ジルケとアルマ。二人はそれぞれ第二妃様と第四妃様の姫だ。

 私は生まれてこの方、数えるほどしか後宮から出たことがない。知識としては知っている外も、あまり実感したことがなかった。

 狭い世界だ。

 その世界では一番偉い母上に、他の二人の妃は逆らわない。

 妹たちは小さくて、私よりも世界を知らない。

 身分の低い侍従は、私たちのためにあるもので、何か口を出すということはない。

 知っているのは、本で得た外の知識と、家庭教師に習った歴史に外国語だけ。

 そんな狭すぎる世界で、唯一の寵妃の子と育てられた私は、己がどういう状態にあるのか、本当は何もわかっていなかった。


 その世界が、唐突に崩壊を始めるまでは。


 二週間ほど前からだ。王宮がどこかおかしくなった。

 急に雰囲気が変わった。慌ただしい物音と気配が、後宮まで届いてくるほどに。

 一週間ほど前に、突然大勢の者たちが後宮に立ち入ってきてからは、もっとおかしくなった。

 美しいものがどんどん消えていくのだ。それまでは気にしたこともなかったが、いわゆる値打ちのあるものから、少し目を離したうちになくなっていく。

 宮の中も暗い雰囲気になっていった。姫たちの母君ははぎみ方が落ち込まれているので、ことさらに。姫たちも母を心配して、大人しくなってしまった。

 人も少なくなっている。

 侍従の顔など、覚えようと思ったこともなかったのに、それでも気がついたくらい、使用人たちの数が減っていく。

 母上に言うと、

「お前や私のような高貴な者に仕えるには色々と足りないから、陛下が下がらせてくださったのよ。何もおかしなことはないでしょう?」

と微笑まれた。

 だから、いぶかしく思っても、気に留めることすらしておらなんだ……二日前、小さな世界の崩壊を目の当たりにするまで。


 一昨日の話だ。

 私は王宮の変化がさらにひどくなったのを感じていた。

 服、というこの身に最も近しいものでさえなくなっている。美しく、豪華で生地のいい着物を、侍女たちが持ってこなくなった。

 ごわついた生地が肌にあたって気になるし、王族が着るようなものとも思えん。母上もドレスがないと嘆いている。

 何者のしわざか知らんが、宮のものを勝手に取っていくやつがいるのだろう。どうして犯人をさがさぬのだ!

 そう思い、いつもは行かぬ侍従たちのよく使う廊下へ足を向ける。するとどうだ、侍従たちがぞろぞろと、高価な着物ばかりでなく調度品などまで抱え、後宮の外へ運び出しているではないか。

 私は後宮の侍従長を捕まえ、彼女を問い詰めた。

「これはどういうことだ?」

 侍従長は変な目で私を見下ろした。

「どういう意味です、殿下」

「ごまかすな! なぜ後宮のものを持ち出させている⁉ 私の着る服まで私の許可なしに持って行くとは何事だ! 誰か指示する者がおるのか? ならば、その者を処罰する必要があるっ」

「……服はもう貴方様あなたさまのものではないのですよ、王子」

 追及に返ってきたのは、静かな声だった。

「私のものではない? 馬鹿を申すな! どうしてこんなことを許しておるのだ! 待て、まさか犯人を隠しておるのではなかろうな?」

「……そこまでおっしゃるのでしたら、こちらへ」

 言いつのるほど疑心がつのり、怒鳴どなった私に侍従長は感情を見せぬ目でそう言い、数人の侍女とともに私を宮の奥へと連れていった。

 その部屋は、両の壁にいくつかの色の乏しい服がかかっているだけで、がらんとしていた。

 何だ、ここは。

 どこかの使用人たちの衣装部屋か?

 いぶかしんだのが顔に出ていたようで、侍従長が言った。

「殿下の衣装部屋でございますよ」

「……⁉ 何を言っておるのだ、あり得ん! 私のものをどこにやったのだ! 犯人を連れてこい!」

 叫んで息を切らす私に、侍従長は冷たい目で告げた。

「ティエビエンのものですよ、今は。第三妃様の負われた借金の返済に使われました」

「な……⁉」

 借金?

 聞き慣れぬ単語に言葉を失う。

「そ、そんなことは聞いておらん! なぜだ? あり得ぬだろう、母上は公爵家の姫なのだぞ」

 慌てて言うと、侍従長は冷たく、あわれむように告げた。

「……母君からお聞きになっていないのですか? 国王陛下がティエビエンに作った多額の借金のために我が国は混迷に陥り、側妃も国王のものとされその財産を没収されることが一週間前に決まったからですよ。……三の妃様にも困ったこと」

 今度こそ私は何も言えなくなった。

 国王——父上が、隣国に借金をして、私の服はその返済に当てられたということか?

 そんなこと、何も聞かされていない。知らなかった、そのようなことが起こったというのに、なぜ。

 母上は、……どうして?

 借金返済に母上のドレスも使われたのだろう。侍従長の言葉を信じるなら、母上も知っているはずなのに、なぜ?

「ご理解いただけましたか? いただけましたら、お部屋にお戻りください。そして、もう文句などおっしゃいませんように」

 腕を引っ張られるように衣装部屋から連れ出され、その時、侍女たちの凍えるような視線に気がついた。

 変わったのは、ものがなくなることや人数が減ったという環境のことだけではない。

 人心もだ。

 これまでとは違う。私も母上も、貴い国王陛下に連なる者ではなく、借金をして国を混迷させた男の妻子となったのだ。

 侍従たちは、もう、私たちを無心に貴び敬うべきものだと思っていない。どんなに命令しても、言うことを聞く理由は雇い主である王の血に連なるからというだけで、貴ぶべきものでも何でもないのだから、言う通りにばかりなんてするわけがないということ。

 叫び続ける母上は、気づいているのだろうか。


 その日も、次の一日も、今日の朝まで、私は悩んで何も手につかなかった。

 私はもうすぐ後宮を出る予定で教師も辞めさせていたし、母上はいつも機嫌が悪く、他の妃たちは沈み込んでいて、妹たちは小さすぎ、誰も相談できる相手がいなかった。

 昼すぎに妹姫たちが話し相手になってほしいと呼びに来て、母上の金切り声から逃げるように白の間まで連れてきたところだ。

「あにうえさま、ご本をよんでください」

 と末の子であるアルマが言う。

 アルマは素直ないい子で、沈む母をわずらわせぬよう、兄の私に頼んできたのだろう。

 こんなに小さいのに、見当違いに侍女に怒鳴っていた私とは大違いだ。

「いいぞ。何の本だ?」

「わるい王さまの絵本です」

「あの、お兄様、わたしもごいっしょしてもいいですか?」

 もう一人の妹ジルケも、そっと私の袖をつかんでくる。

 ジルケは体が弱く、はかなげな空気をまとう子だ。私などよりももっと苦労をしてきただろうことは、想像にかたくない。

 妹たちのことを、少し前まで考えもしなかった視点で見ている己に気づく。そうすると、これまでの私がどれほど無知で考えなしの馬鹿だったか、身に染みてわかった。

「もちろん。ほら、本をかして。そこのソファまで行こう……ああ、アルマもジルケも、袖を引くな。別に私は逃げたりしないだろう」

 ジルケの背に手を添え、アルマから本をもらってソファに座ろうとしたが、二人のかわいらしいつかまりによって上手く動けなくなってしまった。苦笑すると、二人は何が楽しいのかきゃらきゃら笑う。

 全く。

 かわいいので、仕方ないな、と許してしまう。やっとのことで三人揃ってソファに座り、私は絵本を広げた。

「わるい王さまと、かんむりのかけら。……って、これ、少し怖いやつではなかったか? いいのか、アルマ?」

「いいです! はやくっ、よんでください」

「大丈夫ですわ、いいお話ですもの! さ、お兄様、お読みになって」

 両脇からせがまれるので、私はそれ以上余計なことは言わずに読み始めた。昔の詩を絵本にしたものだ。

傲慢なわるい王様と、かんむり欠片かけら

 ……星降る国の、わるい王様の冠割れた。

 三つの欠片に分かれた冠。

 三人の王子様、それぞれ一つを持ち、冠もとの形に戻そうとした。

 しかし三人とも、もとに戻った冠いただくは、己のみだと譲らない。

 王子たちは欠片を持ったまま、三方向に分かたれた。

 一人目の王子様、王様助け、星くずを集める。

 二人目の王子様、騎士を率いていくさを起こし。

 三人目の王子様、冠の欠片のもとに、民の富を己がものとした。

 戦を起こされし民たちは、流れる血を止めるため城に駆け込み、

 富を奪われし民たちは、自由の証を返せと誤った王子の、一人目の王子のもとへ行き、

 一人目の王子様、二人目の王子様を戦で下した。

 三人目の王子様に勝負をしかけ、勝って宝を取り戻す。

 一人目の王子様、三つに分かれた欠片を手に入れ、星の力でくっつけた。

 傲慢なわるい王様、冠奪い、己が頭に被せども、転がり落ちて王子のもとへ。

 王子様はわるい王様やっつけて、立派な王になったとさ。

 ……はい、おしまい。これでよかったか?」

 食い入るように美しい絵を見つめていた妹たちにそう尋ねて、本を閉じる。

「はい! 王子さまがいい王さまになれて、よかったです!」

 とアルマが無邪気にはしゃぐ。よい結末なら何でもいい年頃なのだ。

「この本は絵が美しいので、好きで……読んでくださってうれしいです」

 ジルケは透き通るような微笑みを見せた。

「なら、よかった。……ところで、アルマ、母君が呼んでおられるぞ」

 姫たちの反応に笑いかけて、少し遠くから聞こえるカーリン様の声を指摘する。

「ほんとうですっ、いかないと! あにうえさま、ありがとうございました!」

 アルマは素早く立ち上がって、小さな足で駆け出していく。

「転ばぬようにな、気をつけろ!」

 後ろから声をかけるが、気づいているかも怪しいな。まあ、転んでも、母君になぐさめてもらえるだろう。

「ジルケは、どうする?」

「わたしも、お母様のところへもどります。少し体調が悪いそうで、心配なんですの」

 残った姫に尋ねると、ジルケは不安そうに眉を下げる。

「そうか。……ヤスミーン様にお大事にと伝えてくれ」

「はい、お兄様。それでは」

「廊下に侍女がいる。ちゃんと一緒に行ってもらうようにな」

 言うと、彼女はおかしそうに笑った。

「お兄様まで、カーリン様みたいなことをおっしゃるのね。でも、そうします」

「ああ。いい子だ、では、また後で」

「はい」

 ジルケが部屋の外に立つ侍女に声をかけ、去っていく。それを見送って、私は目を閉じた。

 ……まるで、この話のようだ。

 借金をした父上は、今ほとんどの権力を持っていないと、侍従たちがうわさしている。

 傲慢な王の冠、割れた——……。

 今、この国の王子は三人。割れた冠の欠片は、きっと三つだ。

 私は、どうすればいい?

 私は何も知らない。

 外に出たこともない。

 国がどうなっているのかも、何もわからない。

 ——どうしても為すべきことは、自負など捨てて為すべきである。

 どこかで読んだ一節がよみがえる。

「そこの侍女」

「はい、何か?」

 若い、茶髪の侍女が廊下から顔を出す。

「今、この国はどうなっている? 答えられぬなら、侍従長を呼んできてほしい。——教えてくれ」

 そして、私は生まれて初めて、地位の低い使用人に教えを請うた。

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