謝罪と教育

「ジョンくん。……頼むよ」

『……ゴロウちゃん』

「お前にしか、頼めねえや」


 相変わらず、だだっ広いトイレ。

 スマホを操作し、忘れずにイヤホンを首にぶら下げる。


 意を決したオレは、深呼吸一つしてからドアを開いた。


 *


 リビングでは相変わらず寛いでいるリヴァ。

 先ほどまで、パソコンを使い、株価をチェックしていた。

 オレが戻ったのを見ると、澄ました顔を持ち上げた。


「遅かったじゃない」

「うんこだ」

「……汚い」


 オッサンなんて、みんな汚いんだよ。

 特に女っ気のないオッサンほど、見ていられない物はないだろう。


 伸ばしているリヴァの足を軽く叩き、ソファに腰を下ろす。

 ジッと、こちらを見て何か言いたげだった。

 どうせ、馴れ馴れしくされて、イラっときたとか、そんなところだろう。


「さて。話をしようか」

「昨日言っていた話?」

「ああ」


 パソコンを床に置き、リヴァはオレの太ももに足を乗せてくる。

 ひじ掛けに頭を乗せ、寝ているのに腕を組んで、高圧的に構える。


「何の話?」

「町のことだ」


 単刀直入に切り出す。

 オレは逃げないぞ。

 真っ当に生きる人間の土台になるなら、これほど嬉しいことはない。

 ツンとしたリヴァの目を真っ直ぐに見つめ、オレは聞いた。


「嘘はなしだ。これで、……聞くのも最後だからな」

「分かったわ」

「リヴァは、町をどうしたい?」


 リヴァは即答する。


「防衛施設にする――つもりだった」

「なんだって?」

「近々、日本は戦場になる。ウクライナを見たでしょう? あれよ。あれ」


 ウクライナは、――

 ロシアは初めから圧勝していた。

 その理由は、ロシアは国土を失っていない事。


 ウクライナの人だって、良くない噂はたくさんある。

 例えば、テ〇国家で、人身売買が盛んだから、日本へ避難してきた、とか。そういう噂話はたくさんある。


 まあ、本当かどうかも分からない噂を掘り下げても仕方ない。


「だった、ってことは、やめたのか?」

「ええ。その代わり保険会社に入ろうと思うの。何もなければ製薬会社を作ったり、工場地帯から離れた場所には自分用の農地を作るつもり。わたくしは、どうせ帰れない身だし、これくらいはね」


 母親を傷つけて、左遷されたのだ。

 二度と戻れないだろう。

 常人なら絶望するだろうに。

 このお嬢様は、惚れ惚れするくらいにたくましかった。


「保険会社、って。……何もなければ、意味ないんじゃないか?」

「パ~パ。戦争ってのはね。なの。必ず、壊れるわよ」

「ワクチンっていう話を聞いたんだけど」

「ええ。東京で変な研究やってるでしょう。エボラのワクチンって、今の所ないのよねぇ。……だから、研究内容を譲ってもらって、変なもの貰わないように予防薬作れないかな、って。でも、考えたの。それだったら、人間自体寄せ付けなきゃいいかなぁ、って」


 色々な事を考えるものだ。

 できることなら、戦争云々の話は嘘であってほしい。

 むしろ、そんな事は掠りもしないくらい、外れてほしいと願う。


 だが、近年の情勢を鑑みると、あながち嘘とも言えない。


「町の人は、……どうするつもりだ?」

「どうもしないわ。引っ越してもらうだけ」

「子供も、いるのにか?」

「子供なんて世界中にいる」


 冷たい一言だった。

 人を人とも思っていないセリフだ。


「逆に聞いても?」

「ああ」

「どうして、パパは町にこだわるの?」


 改めて言われると、返答に詰まる。

 だが、すぐに答えが出た。


「オレは、県外に出た事がない。海外旅行だってない」

「わたくしがどこにでも連れて行ってあげるわよ。こっちまで被害が及ぶ前に、スイスに行こうかな、って考えていたから。まあ、最終手段……かな」


 オレは笑ってしまった。


「無理だ。オレは、この町で死ぬ」

「……縁起でもないこと言わないで」

「本当だよ。オレは、この町のみんなが好きなんだ。何もない田舎風景見て、まだ分からないか? 都会は遊びに行く場所であっても、住む場所じゃない。田舎はさ。人間関係がすっごい面倒くさいけど、一人でのんびり暮らすには、やっぱ最高なんだよ。この町の風景も。空気も。オレは、こんな狂った世の中になっても尚、ずっと愛してる」


 町には、数十年前のオレがいる。

 学校に通い、女子の尻ばかりを追いかけていたオレ。

 今で言う所の陰キャ同士で戯れて、馬鹿な話をして盛り上がっていたオレ。


 全部、かけがえのない思い出だ。

 若い子達にも、絶対に思い出を作ってほしいと思ってる。

 いや、今からでも作ってほしい。

 本当にかけがえがないんだ。


 どんなに情けなくても、バカバカしくても、オレには今住んでいる町しかない。


 たとえ、ミサイルが降ってきても、山に逃げたりはするだろうけど、町から離れる事はないんじゃないかな。

 東北大震災の被災者の気持ちが、少しくらいは理解できるか。

 やれ放射能だ、何だと言われても、自分が産まれた故郷が好きじゃない奴なんていない。


 いたとしたら、そいつはさっさと出て行ってる。

 オレは出て行かないし、出て行けない。


「パパは、どうしたいわけ? 話って、わたくしを止めようって話でしょう?」

「初めはさ。そればかり考えていた」


 ずっと考えていた。

 出ていけ、外国人――なんて。


 でも、リヴァの事を少しでも知ると、考えが少しずつ変わってきた。

 こいつは、本当に孤独で、何も知らない女の子だ。

 だから、平気で人を見捨てられる。

 オレが、過去に何も教えてやれなかった子供達と同じだ。

 勇気がなくて、危険な事をしてる奴に、「それダメだぞ」と言えなかった情けない自分。


 成長したら、どうなるのか分かっていなかった。

 リヴァのように、無垢で、孤独な怪物になるんだ。


 ――全部、大人オレが悪い――。


「オレは、リヴァさえよければ、一緒にこの町で生きたい」


 本当にバカバカしいけど、オレは自然と涙が溢れてしまった。

 自分がとことん情けなくて、こんなに何も知らない奴がいて、偏見だけで人を見てしまった。


「な、泣かないでよ。どうしちゃったの」

「オレが悪いんだ。や、……が全部悪い。子供は何も悪くねえ。勇気が出なかった、


 キモイとか。ハラスメントとか。

 そんなくっだらないことばかりを気にして、理屈で丸め込まれるのを恐れて、本当に大事なことを見失ってた。


 先の事を考えれば、こいつらがどうなるのか、分かっているはずなのに。ネットでの言葉遣い一つ、教えてやれていない。


「怖がって、ごめんな。憎んで悪かった」

「パパ。変だよ?」

「本当に悪かった……。もっと向き合ってりゃ、もっと色々と面白い事ばかり教えてやれるのに。なんで、こんな情けないことになっちまったんだ。……ごめんな。本当にごめん」


 目を開けていられなかった。

 涙がボロボロとこぼれてきて、目を閉じて、――でも、顔を背ける真似は絶対にしたくなかった。


 オレには学がないから、難しい事は分からない。

 だけど、大事なものを見失っていた代償が、あまりにも大きすぎた。

 一生、消えない罪だ。


 そりゃ、外国人にもよるけどさ。

 国内だって、人によるけどさ。


 結局、どっかで「同じ人間だ」って気づくんだよ。

 その瞬間、何とも言えない気持ちになるんだ。


 泣いてばかりもいられず、オレはスマホを取り出す。


「ジョンくん。町を買い取ろうとした本人が、考えているのはこういう事だ。あとは、……話し合ってくれないか。オレが行ったら、迷惑が掛かる」


 そう言って、スマホの画面を点け、通話を切った。


「なっ――」


 リヴァが大きく目を見開く。

 オレは、今までジョンくんと通話をしていた。

 電話は、説明会に来ているみんなが聞いていたはずだ。


 外国人によっては、自警団を作りまくって、本当に守らなきゃいけない時だってある。

 いけない事をしたら、怒らないといけない時だってある。

 でも、オレが度々自分に言い聞かせてきた「良い人を忘れない」という言葉は、絶望に立たされて初めて、自分で言った言葉の意味を思い知った。


 日本人同士で、まず繋がること。

 仲間を作る。

 そして、ベースが整ったら、外国の人間とも繋がる。


 本当に一つのチームみたいに作り上げて、国内外問わず、一緒にいられる人間なら、誰だって迎えて、本気で一緒に生きていく。


 何度も言うが、外国人によっては難しい。

 でも、可能な外国の人間もいる。


 真っ当な日本人がいるように。

 真っ当な外国人が多くいる事を忘れちゃいけない。


「裏切ったの?」

「裏切ってはいない」

「あなたね――」


 胸倉を掴まれ、オレは無抵抗でリヴァを見つめた。


「町に生きる奴らは、人形じゃないんだ」

「あんなの粗大ゴミと一緒でしょうに!」

「人形じゃない。オレやリヴァと何も変わらない」

「……もういい。無理やりにでも、町の連中を消すから」


 立ち上がったリヴァの腕を掴み、オレは力任せに引き寄せた。


「離して!」


 肘で顔を殴られ、腹を叩かれ、酷い抵抗ぶりだ。

 そばで呆然としていたライリーさんが、我に返って近づいてくるのが見えて、オレは声を張り上げた。


「おい! 一人の男が、腹割って話してんだぞ! お前、大人だろうが!」


 殺すなら、殺せ。

 児童虐待? 性的暴行?

 好きにすればいい。


 オレは、教える事を止めないぞ。

 止めたら、それはこいつを殺す事になる。

 本気で怒って、本気で向き合うって、メチャクチャ怖いし、疲れる。

 だけど、必要な事だから、オレは一人の大人して本気になるのだ。


 リヴァの首に腕を回し、耳元でしっかりと叩き込む。


「リヴァ。お前逃げるんじゃねえ」

「逃げる? 笑わせないで。わたくしが、いつ逃げたって言うのよ!」

「だったら、お前。自分が買おうとしてる町の連中を見た事があるのか? 面と向かって話した事あるのか⁉ ないだろ!」


 白い頬には、赤い水滴がついていた。

 たぶん、オレの鼻や口から出てきた血だ。


「お前の親だってそうだ。いいや。金持ち連中だけじゃない。国のトップだろうが、上にいる奴は、みんな逃げてる。オレ達と向き合わねえじゃねえか! しっかり腹割って話してから、物事を進めるんだよ!」


 だから、日本の先人は戦時中とはいえ、各地でお礼の言葉を言ってくれる外国の人間がいた。


 全員じゃない。

 中には、とんでもない奴だっていたろうし、怨みだって買ってる。

 でも、一つ言えるのは、良い事も悪い事も、どっちだってやった。


 それだけである。


 オレは何度殴られようが、絶対にリヴァを離す事はしなかった。

 ライリーさんは、珍しく黙ってやり取りを見守っていた。

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