孤独な怪物

 お嬢様はフィジカルが強い。

 鍛え抜かれた体は筋肉こそ浮き出ていないが、柔らかい肉の向こうに引き締まった肉の繊維があると思うと、ゾッとしてしまう。


 例えば、クマ。

 モフモフで、可愛らしいアイツだ。


 だけど、襲い掛かる瞬間には、剛毛と厚い皮越しに筋肉の形が浮き出る。


 言ってしまえば、お嬢様はクマみたいなものだった。

 まさか、男のオレが力負けするとは思わなかったが、覆い被さってくるお嬢様に押し倒される形で、身動きが取れなくなる。


「ふふ、あはは。……下僕は弱いわねぇ」

「くっ! マジで強い!」


 力比べをするみたいに、互いの手を握り合う。


「無駄よ。地獄の底まで追い詰めて、絶対にわたくしだけの物にするわ」

「わ、分からないな。どうして、オレにそこまでこだわるんだ!」


 床に手の甲をぐりぐりと押し付けられ、至近距離からはフルーツの香りがした。湿った吐息を浴びて、オレは顔を背ける。


「わたくしには、もの」

「な、なんだって?」


 ライリーさん曰く、リヴァお嬢様の父親はすでに他界。

 重度のファザコンだと聞いているが、本当に病的だ。


「勉強だって頑張った。パパを守るために、鍛えた。とだって仲良くしようと頑張った。ずっと。ずっと。わたくしだけを褒めてくれたのは、パパだけ。……え~~~……ろ」


 首筋から頬に掛けて、温かい舌が這う。

 不覚にも、舌のざらつきがくすぐったくって、変な声を上げてしまった。


「なのに、いつも、いつも、お母さまは邪魔をしてきたわ。わたくしは、パパを愛してるだけなのに。ねえ。パパ。愛する者とセックスをするのは当たり前よね。異性が異性を求めるのは当然の事でしょう?」


 鼻と鼻を擦れ合わせ、お嬢様が囁く。

 甘ったるい声は子守唄のように優しい。


 タマオが戻ってくるまでの間、時間を稼ごう。

 あいつなら戻ってくる。

 旧き友を信じて、オレはお嬢様に語り掛けた。


「親子同士では、恋愛はできないだろ」

「どうして?」

「どうして、って。それは……」


 上手く言葉にできなかった。

 いや、違う。

 オレは大人でありながら、どうしてダメなのか答える言葉を持ち合わせていない。


 ダメな理由で思いつくのは、法律で決まってるから、とか。

 親子では、モラルに欠けるから、とか。


 じゃあ、これでお嬢様が納得するのか、と聞かれたら納得はしないだろう。だって、オレみたいな凡人と違って、その辺のモラルはきちんと学んでいるはずだからだ。


 その上で、お嬢様は父親に恋をしたと考えるのが自然だろう。


「世間の目、……でしょう」


 周りに何を言われるか分かったものではない。

 そういう恐怖はある。


「バカバカしい」


 お嬢様は一蹴した。


「わたくしの人生は、わたくしの物よ。周りの有象無象が好き勝手していい理由なんてないわ」

「しかし、パパさんは困ったんじゃないのかい?」

「パパはシャイなの」


 お嬢様の手が胸を撫でまわし、徐々に下の方へ這っていく。


「悦ばせるために、低俗な事だって学んだわ。パパは拒んでいたけど。わたくしにはお見通し」


 耳元で、妖しい声が囁く。


「……もの」


 17歳とは思えない色気だった。

 鼓膜を通して、脳を直にくすぐる甘い響き。

 同時に、下腹部を刺激され、反応を示した愚息に顔をしかめてしまう。


「せっかく、お母さまの両足を奪ったのに。パパはいなくなっちゃったわ。わたくしを残して、消えちゃった」

「両足? 何を言ってるんだ?」

「歩けなくしたのよ。……腱を切ったの。焼いたナイフで。……偉いでしょぉ」


 一瞬、何を言ってるのか分からなかった。

 初めは、どぎつい性格を露わにしていたお嬢様。

 今は徐々に別のスイッチが入り、猫のように甘えてくる。


 薄暗い中、微笑んでいる彼女に邪悪を見てしまった。


「え、ちょっと待て。お、親は、今、どうしてるんだ?」

「わたくしを猿の島に送って。悠々自適にフランスに住んでるわよ」


 今まで見えなかったものが、薄っすらと見えた。

 何で、日本の人間を毛嫌いしている彼女が、日本に来たのか。

 遠い島国に送り届けた人間がいる。


 それが、母親だ。


 お嬢様が父親に好意を抱いている事は、ライリーさんも知っていた。

 ということは、当然母親の方だって知っているし、むしろ知ってるからこそきつく当たってた可能性がある。


 そして、大惨事が起きてしまい、我慢の限界が来て、送ったってところか?


「あぁ、安心して。家督はお兄様が継ぐから。お母さまほど、分からず屋ではないわ。自分の会社だって持っているし、お金には困らないもの」


 誰も止められなかったのか。

 何だか、オレにはお嬢様が孤独な怪物に思えてきた。


「……そう、だったのか。って、ちょ、……ほおぉ!?」


 お嬢様が手を動かし始めた。


「……どう? わたくしの手。気持ち良い?」

「だ、ダメだ! きみぃ、こんな事をしたら、いけないよ!」


 肩を持ち、無理やり剥がそうとした。

 その矢先、ぎゅっと強い力で握られ、背筋が勢いよく伸びてしまう。


「んお! ――い、って!」


 背筋を伸ばした際、頭をテーブルの脚にぶつけた。

 たまらずに、体を丸めると、直後には顔全体が柔らかい感触で包まれた。


「大丈夫? いい子、いい子」

「ん、んもぉ」

「ねえ。下僕。今度から、パパって呼ばせて。ううん。呼ぶわ。抵抗したら、足の腱を切ろうと思ったけど。わたくしのパパになってくれるなら、今回の事は見逃してあげる。ね? 悪くないでしょ」


 大きな胸に顔を埋め、頭を優しく撫でられる。

 今まで、一度も体験しなかった甘い感触に、オレは少しだけ心が傾く。


 今まで、良い事があったのか、疑問だ。

 ずっと苦しくて、本当に死のうと思った事は、いくつもある。


「わたくしだけを愛して。わたくしも。パパの事だけ愛するから。……ねえ。――パパ」


 このまま、流されてしまおうか。

 意思が揺らいでしまう。

 その時だった。


 ドン、ドン、ドン!


 入口の方から、ドアを叩く音が聞こえた。


「ゴロおおおおおお! 大丈夫か!?」


 タマオの声だった。


「ビリーの奴は、もう大丈夫だ! あいつ、後ろは初めてだったんだ! 黒船を攻略したぞ! もう大丈夫だ!」


 色々言いたい事はあるが、何とか難関を突破したらしい。


「ここを開けてくれ!」


 我に返ったオレは、お嬢様の甘い拘束から逃れる。


「タマオ! 待ってろ!」

「させない」


 立ち上がった所に、お嬢様が首を絞めてきた。

 鍛えられた腕は、細いのに力強く、ギリギリと食い込んでくる。


「次に目覚める時はベッドね。ふふ♪ い~っぱい、気持ち良くしてあげる」

「ぐ、が、あぁ……っ」


 ていうか、女の力じゃない。

 少なくとも、オレの知ってる女にここまで力が強い奴なんていない。


「ゴロウ! 聞け! 首だ! 首を絞めるんだ!」

「い、や、今、絞められ――」

「おいおい。何かピンチっぽいな。聞け! 相手の弱い所を突くんだ。例えば、……えーと、そうだな」

「ライリー! そいつを殺しなさい!」


 このままでは、タマオが本当に殺される。

 危機感を覚えたオレは、腕と首の間に指を入れて、思いっきり踏ん張った。


「ダメだ! 思いつかない! やっぱり、首だ!」

「おぉ、っらああああ!」


 全身を使って、ジタバタと力の限り抵抗をした。

 視界が霞んで、頭がクラクラするが、まだ気を失っていない。


「マウントを取れ!」


 偶然にも、タマオのアドバイスと、オレの行動が一致する。

 息を整えるために、肺に空気を取り込み、深呼吸した。


「形成逆転だ」

「……ふ~ん。どうするの?」

「首だああああああああ!」


 悪いが、リョナはNGだ。

 その代わりのポイント探し、オレはお嬢様の上半身と睨めっこをした。

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