カード

 お嬢様の部屋に向かったオレは、タオルで顔の汗を拭き、ドアをノックした。


「入りなさい」

「失礼します……」


 中に入ると、お嬢様はソファに座ってパソコンと向き合っていた。


「いやぁ、暑いですねぇ。3時になってからが、暑いなぁ。ふぃー」

「……お風呂は?」

「ええ。これから頂きます」


 葉っぱを片付けるのは、そこまで大変じゃない。

 日差しが強い中、ずっと外にいるのがキツいだけだ。

 ちなみに、館に戻った際に、ライリーさんが絆創膏を貼ってくれたので、傷は大丈夫だ。


 お嬢様は空いた隣を叩いた。


「こっちに座って」

「いえ。汗掻いちゃったし。ふぃー……っ。さすがにお嬢様の部屋を汚すわけには行きませんよぉ。はは」

「座って」


 強い口調で言われ、渋々お嬢様の隣に歩いていく。

 相変わらず、アーチ形の長いソファは、空席がほとんどだ。

 たぶん、10人以上は並んで座れる。

 わざわざ隣に座るのも変な話だが、一度寛いでみたかったと思っていたのも事実だ。


 ソファに腰を下ろすと、尻に負担が掛からないように若干沈み、中の硬いクッションが沈みすぎないよう体を安定させてくれる。


「……くっさ」

「はは。すいません」


 傷ついた直後、お嬢様はむしろ座る位置を変えて、こっちに近づいてきた。

 さすがに、くっつき過ぎるのはダメだよな。

 そう思ったオレは、少しだけ横に移動する。


「…………」


 移った直後、お嬢様が距離を詰めてきた。

 二人揃って、ノートパソコンを斜めから見る位置にまで移り、困惑してしまう。


「はは。見えないですね」

「そう? 目が悪いのではなくて?」

「いやぁ。そうかもしれません」


 横に移動を――。


「もう! 大人しく隣に座りなさいよ!」


 いきなり大声を出されて、オレは元の位置に戻った。

 お嬢様はヒステリック持ちなのかもしれない。

 突然、カッとなる癖があるみたいで、パッチリとした大きな目が、クワッと開くものだから驚いてしまう。


 お嬢様はパソコンを膝の上に乗せ、何かを見せてきた。


「これ。今からあなたに振り込むから」

「……ん? 何だ」


 契約者、と書かれたプロフィール蘭には、オレの写真が写っていた。

 画像の写り方や自分の着ている服を見ると、個人番号カードの写真と同じ。


 履歴書みたいに、写真の横にはオレの学歴や職歴、犯罪歴など。

 細かい情報が書かれていた。

 その真下に、口座番号まで書かれているため、オレは改めて国やら何やらに管理されている立場だと思い知らされる。


 そして、お嬢様が『振り込み』のボタンを押す前に、金額を見せてきた。


 表示されている金額は――。


「一、十、百、千、万、十万、百万、……千万……。――んん? 見間違いかな? あれぇ?」


 5千万円だった。


「調べたけど。あなた。この口座、カードの引き落としされる銀行でしょう。だったら、いちいち下ろさないでカードを使えば――」


 途中でお嬢様がピタリと止まり、握り拳を口に当てた。

 何やら険しい顔で考えだし、振り込むのボタンからカーソルが遠のいていく。


 キャンセルボタンを押したかと思いきや、パソコンを閉じてしまう。

 腕を組んで、意味ありげにニッと笑うと、お嬢様は上から物を言う態度で言ってくるのだ。


「ねえ。下僕。あなたに、わたくしのカードを貸してあげるわ」

「ええっ!? 嫌ですよ!」

「……なんですって?」

「他人のカードなんて、恐れ多いですって」


 ていうか、他人に貸すものじゃない。

 オレがこう言ってるのに、お嬢様は目の下をヒクヒクとさせて、一歩も譲らない。


「貸してあげるって言ってるの」

「いやいや。マズいですって」

「まあ。これで三回目ね。あっは。生意気言うじゃない」


 口元を手で隠し、上品に笑うが、こめかみには太い血管が浮かんでいる。

 明らかに怒っていた。

 立ち上がったお嬢様は、テーブルの下を弄ると、何かを押した。


 数分後。

 扉がノックされ、同じように「入りなさい」と返答をする。


「お呼びでしょうか。お嬢様」

「ええ。ライリー。わたくしのカードを……」


 振り向いたお嬢様がギョッとして固まる。


「どうし――」


 何だろう。と、思ったオレが振り向くと、いきなり目の前が真っ暗になった。ひんやりとした感触が瞼に当たっており、すぐ後ろからはお嬢様の香りが漂ってくる。


「み、見ちゃダメ。ちょっと! 何て恰好してるのよ!」

「すいません。入浴中でしたので」


 まさか、裸同然の恰好で来たわけではあるまい。


「普通は着替えてから来るでしょう?」

「お言葉ですが。お嬢様は一分でも遅れるとヒステリックを起こすではないですか」

「何ですってぇッ⁉」


 耳元で叫ばれ、耳鳴りがした。


「それより、ご用件は何でしょう。早く戻りたいのですが」

「わ、わたくしのカードを持ってきてもらいたいの」

「……また買い物ですか?」

「失礼ね。わたくしは必要な物しか買わないわ。カードは別件よ」

「別件とは?」

「あなたには関係がないの。早く持ってきなさい」


 余裕を見せるためか。

 オレの肩に顎を乗せているのが感触と声の近さで分かった。


「まさかとは思いますが。その男が絡んでます?」

「ふん。どう使おうが、わたくしの勝手じゃない」

「ホストにハマる低俗女とは違うのですよ?」

「ホスト? わたくしが何を主催したっていうの?」


 ああ、ライリーさん。

 その文化知ってるんだ。


 恐らくだが、お嬢様とは違って、メイドの方が俗な文化に詳しいと見た。住む環境の調査はしているのだろうし、何があるのかは一通り把握しているのだろう。


 だが、金持ちのお嬢様には通じていなかった。


「……戻りますね」

「ライリーッッ!」


 またヒステリックに叫び、お嬢様が部屋の出口に向かって走っていく。

 お風呂場へ戻ったライリーさんを追いかけたのだろう。

 廊下からは、金切り声が聞こえてきた。


 残されたオレは、ソファに置かれたパソコンを見つめる。


「……ちょっとぐらい……大丈夫……か?」


 声に耳を澄ませ、パソコンを開く。

 電源ボタンを押すと、すぐにパソコンは立ち上がり、先ほどの画面を開いた。


 これに用はない。

 怪しい所があるとすれば、どこだ?


 自分のスマホを取り出し、カメラアプリを起動する。


 ひとまず、メールの方を開き、手当たり次第にメールを一通、一通、写真で取っていく。

 全て英文で書かれており、オレにはサッパリだ。

 デスクトップの文字まで英文。

 だけど、アイコンで大体は把握できたので、こちらも手当たり次第に、メモ帳を開き、カメラで撮っていく。


 ――トッ……トッ……トッ……。


 足音が戻って来たので、慌てて起動したメモ帳やメールの画面を消し、初めに閲覧していたブラウザを画面表示する。

 それから、パソコンを閉じて、ソファに置いた。


 冷や汗を掻いたせいか、暑くて仕方ない。

 ツナギの前を開き、「暑ぅ……」と言いながら、手を団扇代わりにする。


 内心、ドキドキが止まらない。


「まったく。日に日に生意気になっていくわ。……あら?」


 戻ってきたお嬢様が一瞬だけ、顔をしかめた。


「な、何ですか?」


 早足でお嬢様がこっちに向かってくる。

 何か感づかれることでもしちまったか、と焦ったオレは、目の前に立つお嬢様から目を逸らした。


 お嬢様が何も言わずに見下ろしてくる。


「……スン……」


 鼻を鳴らし、お嬢様は腕を組む。


「……くっ」

「ねえ」

「な、何ですか?」

「……胸……見えているわ」

「へ?」


 自分の胸元を見ると、先ほどツナギの前を開けてしまったせいで、シャツが見えていた。汗が染みこんだシャツ越しに、オレの汚い乳首が透けている。


「あぁ、……すいません」


 謝ってから、恐る恐る見上げる。

 お嬢様は鋭い目つきで見下ろしていた。

 汚いものを見せてしまったから、気分を害したんだろうか。


「……ごくっ……」


 いや、何か違うものを感じてしまった。

 気のせいかもしれない。

 オレは居た堪れなくなり、「じゃあ、これで」とお嬢様の前から離れるのだった。

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