お嬢様は興味がある

 館に戻ったら、今度は生垣の手入れである。

 緑で囲われた館の周囲を枝切りバサミと、生垣バリカンヘッジトリマーで端から端まで整えていく。


 まず、表面の所をヘッジトリマーで刈ってから、細かい所をハサミで切り、外側からの見栄えを確認しつつ、慎重にやっていく。

 ただ、今日一日では終わらせることができない。

 館の敷地が広いし、一人だけなので時間は掛かるだろう。


「ふーっ。どうだ? 変に禿げてねえか?」


 独り言を呟き、一旦敷地の外に出る。

 外側から生垣いけがきを見渡し、均等になっているかをチェックする。その途中で、生垣の向こうに立つお嬢様と目が合った。


「じーっ」

「うし。こんな感じでいいんじゃないかなぁ」

「じ―――――っ」


 さっきから、お嬢様はずっとオレを見ていた。

 何を言う訳でもなく、後ろ手を組んで、ひたすら見てくるだけ。

 仕事がやり辛いったら、ありゃしなかった。


 タマオが変な事を言うから、おかしな想像をするけど。

 すぐに想像したものは自己否定する。

 オレは便利屋の仕事をしていて、若いお嬢さんに「おはよう」と声掛けをしたことがある。


 そしたら、「あ、……はい」と、引き攣った顔で挨拶を返された事があった。今から、10年も前のことだ。

 こんな調子で、若い子からは何かと気持ち悪がられたり、引き攣った表情しか見てこなかった。


 だからといって、恨んだり、カッとなって嫌がらせをしたりなんてしない。ただ、オレというオッサンが傷ついただけだ。


 過去の事を思い出すと、妙な考えなんていくらでも自制できた。


 ハサミで小さく飛び出た箇所を一つ一つ切っていく。

 お嬢様は日傘を差して、横に移動するオレを追いかけてくる。


「あの」


 瞬き一つして、お嬢様は返事がなかった。


「さっきから、何でしょうか? 気になるので、何かあれば言ってくれた方が……」

「別に。何でもないわ」

「そう、っすか」


 パチン。パチン。

 枝を切る音だけが静かな一等地に小さくこだまする。

 枝切りバサミで微妙な所は、小さなハサミを使い、飛び出た枝を押さえてカット。


 我ながら、慣れたものだ。

 果たして、金持ちの目には綺麗に見えてくれるか、どうかは分からないが。


「……ねえ。パパ」

「はい?」

「あぐ。……下僕」

「はい」

「昨日、ライリーと……一緒にお風呂入ったの?」


 驚いた。

 もしかして、見てたのだろうか。

 いや、まさかな。と、考えていたオレが甘かった。


「楽しそうに話してたじゃない」


 見てたのだ。

 オレが帰ってきてから、どこかでお嬢様は覗き込んでいたらしかった。

 拗ねた子供の口を尖らせ、持っている傘をグルグルと回している。


「一緒に入ったっていうよりは、……介抱ですかね。介護っていうか」


 酔い過ぎて、頭に血が上って、戻してしまった。

 今となっては忘れたい過去である。

 オレという人間は、自分の事を言われた時は傷ついて済む癖に、親しい友人や知人の事を悪く言われたりすると、ムッとしてしまう。


 理性がプツっと切れてしまうのだ。


「ふーん」

「あ、ここ……。ちょっともっさりしてるなぁ。中の枝切ってねえのか。チッ。前にやった奴……、やらかしたな」


 やたらともっさりしてる部分を見つけ、オレはため息を吐いた。


 今は晴れの日が続くから、草木が伸びてくれる。

 でも、秋が過ぎれば、草木の中が丸見えの状態になる。

 また生える時に、生垣の中に日光が入らないと、太い枝の部分が腐ったり、悪くなったりするのだ。

 小枝の成長を妨げたりもする。


 だから、剪定せんていが必要になるわけだ。


「わたくし。……男の人の体に興味があるわ」

「いって! やべ、指切った!」


 ハサミを落とし、軍手を脱いで、人差し指を口に含む。

 思いっきり、爪の横をパチンと切ってしまった。

 指を覗くと、白い皮の表面が裂けている。


 いきなり変な事を言われたので、思わずお嬢様の方を向く。

 だが、生垣の向こうにいたお嬢様がいつの間にかいなくなっていた。


「下僕。傷を見せなさい」

「い、いつの間に……」


 お嬢様は日傘を捨てて、外に出てきていた。

 ワンピースのポケットからハンカチを取り出し、オレの手を取ると、何の抵抗もなく傷口を押さえてきた。


「酷い臭い」

「すいません」

「わたくしでなかったら、吐いてしまいそうね」


 青空の下で、昼からずっと草木を弄ってる。

 かなり汗を掻いてしまったから、臭うのは仕方ない。


「ねえ。……ゴロウ」


 チラリ、とキツい眼差しをこちらに向け、すぐに傷口へ目を戻す。


「これでは、体が洗えないわ」

「はは。大丈夫ですよ。肉を抉ったわけではないので。これぐらいヘッチャラです」

「ダメよ。傷口にばい菌が入ったらどうするの? 猿って、本当に低能なのね」

「はあ、すいません。でも、大丈夫ですよ」


 言いながら、オレは周りの家を見た。

 身なりの良いお嬢様が汚いオッサンの手を握っている。

 こんな光景を見たら、きっといらない誤解を招いてしまう。


「今日はもういいわ。怪我をしたのだから、中止よ」

「……え? いえ、絆創膏とかあれば……」

「中止。二度も言わせるなんてね。良い度胸してるじゃない」


 オレにはリヴァっていうお嬢様が分からない。

 人格否定する勢いで罵倒してくるくせに、表情を見れば、さっきまでの言動が嘘のように思えてくる。


 キツい眼差しのまま、眉をひそめている。

 心配していると言わんばかりに、主張が激しくて、一歩も譲ってくれなかった。


「……分かりました。じゃあ、落ちた葉っぱとか片づけるので」

「ライリーにやらせましょう」

「ええっ!? 今、紅茶飲んでますよ」

「いいのよ。あいつ、元々用心棒だから。これぐらいやらせないと給料に見合わないわ」


 それを聞いて、オレは一つ気になった。


「あの。お嬢様」

「なに?」

「オレの給料って、どれくらいなんですか? 奴隷だから、ないんですかね?」


 小首を傾げ、お嬢様は言うのだ。


「お金が欲しいの? いくら?」

「はあ。そう、ですね」


 金持ちだし、ちょっと高くてもいいだろう。


「13万、とか」

「は?」

「ははは。ちょっと、欲張り過ぎましたか。11万でもいいですね」


 言っておくが、東京とか、大阪とか。

 ああいう都会では、この金額じゃ生きていけない。

 物価が高いから、もっと高くないと食べることすらできない。


 でも、オレの住んでる場所は、本当に田舎で、物価が非常に安い。

 野菜はみんな家庭菜園で作っているため、スーパーでの消費量は都会に比べれば格段に少ない。

 その代わり、種などはメチャクチャ売れるのだ。


「それだけ?」

「……まあ、十分な方ですよ」


 今度はお嬢様が言葉を失っていた。

 金銭感覚が違うだろうから、驚いているんだろうな、とオレは考える。


「小遣いが欲しいなら、後で部屋に来なさい」

「はあ。分かりました」


 お嬢様は、いつになっても指から手を離さなかった。

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