居酒屋(午後9時)

 町の規模は広い。

 地図で見たら、小ぢんまりとした場所だが、実際に歩き回ってみると想像以上に時間が掛かった。


 熱い気持ちを胸に張り切ったオレは、ガンガン集落やら何やらにプリントを配り、時間が掛かった。

 ただ、プリントを置いてくるだけでなく、「これなに?」と聞かれた時に、きちんと説明をしなければいけなかったからだ。

 初めはしかめっ面だったが、説明を重ねていくと、徐々にだが関心が寄せられていった。


 田舎の強みは、一人が納得し、理解すると、こっちから頼んでもいないのに自分から近所へ話に行ってくれる事だ。


 これは今も変わらない。


 こんな調子で、町の3分の1は配り終えたか。

 終わった時間は午後7時。


 達成感に満ちたオレだが、まだまだやる事はあるので、自分に喝を入れる。


 何か食べて帰ろうと思い、車を便利屋の事務所に置き、徒歩で近場の居酒屋に寄った時の事だった。


「おぉ! ゴロウちゃん!」

「タマオぉ。何だ。仕事終わりか?」


 カウンター席で飲んだくれているタマオを見つけた。

 手招きされたので、オレは隣の空いた席へ座る。

 行きつけってわけではないが、たまにくる店だ。


 和風の個室があり、洋風のカウンターやテーブル席がある。

 中はハーフのお姉さんやウナギを焼いている外国人の従業員。他には日本人の店主などがいて、元気の良い掛け声が聞こえてきた。


「どもぉ。ご注文お決まりですかぁ?」

「あぁ、熱燗一つ」

「はーい。熱燗一つ入りまーすっ」


 ラテン系のお姉さんがにっこりと笑って、大きな声で叫ぶ。

 カウンターの奥からは掛け声が聞こえてきた。


「ゴロウちゃんと飲むの初じゃねえか?」

「おぉ。そういや、飲んでなかったか。お互いの近況も知らなかったもんなぁ」


 届いたお通しを頂き、隣でビールを飲んでるタマオを見て、今度はビールが欲しくなった。


「すいません。生一つ貰えますか?」

「はーい」

「はっ。無茶な飲み方するねぇ」

「あぁ。最近はすぐに酔っぱらちゃうんだけどさ。なんか、若い頃の癖が取れなくて。つい、欲張っちまうな」


 お酒は、ビールならビールで通した方がいい。

 日本酒なら日本酒。

 そっちの方が悪酔いしない。

 だが、オレは若い頃の癖が取れなくて、度々無茶な飲み方をしてしまう。


「お前の事、同僚に聞いたんだよ。でもさ。雇い主のお嬢さん。日本人なんか雇わないって言ってるんだ」

「へえ」

「大ので有名らしいからな」

「へ、へえ」


 嫌われるのは慣れっこだけど、気分が良いものではないな。

 しかし、日本嫌いなのに、どうして雇ったんだ。

 オレはお嬢様の事がよく分からなくなってきた。


「何で日本のこと嫌いなんだろ」

「知らねえな。それ言うなら、日本なんて、お前。世界中の奴らが嫌ってるよ。話聞いてみりゃ、全部が全部偏見とそれに似たようなもんだ」


 なんて話をしてると、「私は好きですよー」なんて、お姉さんが言ってくる。


「あ、どもども。気遣わせたね。ごめんごめん」

「煙草吸います?」

「あー、はい」

「ほい。灰皿です。どぞ~」


 灰皿を受け取り、オレはポケットから煙草を取り出す。

 店にもよるが、この店だけは未だに煙草を吸える。

 ありがたいことだった。


「とにかくよぉ。日本好きぃ、って言ってくる外国の人いるだろ。それで、行動がおかしいやつ。あれ、リップサービスだって。こっちの人間は騙されんだよぉ」

「おぉ、あまりカッカすんな。酔い回るぞ」


 すでに出来上がりまくりだ。


「そういや、前によ。フランスの子と知り合ったんだ」

「へえ。どこで? 射撃場?」

「おぉん。……ありゃぁ、綺麗だったなぁ」

「こっちだと、本当におチビちゃんって感じだけど。向こうだと、小学一年生で女子高生みたいな顔立ちしてるもんなぁ。大人びてるっていうか」


 タマオは赤らんだ顔でビールを飲み、うっとりと妄想に耽っている。

 その横顔を眺めながら、オレは届いた熱燗をおちょこに注いで、チビチビと飲み始めた。


 意地悪いのが嫌なだけで、本当は仲良くなりたいだけなんだよな。

 同じ日本の人間でも、そういう気持ちに疎かったら、言葉の表面だけ受け取ってしまう。


 何とも儘ならない話である。


「ん、なんだ?」


 胸ポケットでスマホが振動していた。

 取り出して、画面を覗く。


『お前、いい加減にしろよ(原文)』


 差出人は『ライリー』さんだった。

 一応、連絡先の交換はしている。

 お嬢様からも聞かれたが、ライリーさんは頑なに「ダメです」と受け付けなかった。


『今、何時だと思ってるの?(原文)』


 時刻は9時になっていた。

 お酒をチビチビと飲み、何だかここから離れたくなくなったオレは、こう返す。


『もう少しだけ。いいですか?』

『どこ?(原文)』

『町の居酒屋です』


 スマホをポチポチと押していると、タマオがピチャピチャと口を鳴らし、刺身を食べ始めた。


「おぉ、なんだ。それ。うまそうだな」

「ふぐ」

「へえ。食ったことねえや」

「お前も食べろって。給料いいだろ?」

「まだ働き始めなんだよ」


 白く半透明な刺身。

 大根を薄切りにしたみたいな形だ。

 食ったことがないオレは、つい財布と相談してしまう。


 ブー。ブー。


『今行く』

『いいです』

『殺すぞ』

『待ってます』


 スマホを見たくなくなったオレは、そっと胸のポケットに入れるのだった。

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