表と裏は別

 9時になってから、ようやく登校。

 オレの時代と違って、自由登校というものが採用されているため、学生たちは自由な時間に通える。

 これは定時制と一体型になったからこそ、自由になっているのだそうだ。


 教員はAIを採用。

 黒板に映し出されたAI教師が、生徒からの質問を受けては答え、近未来的な景色と化しているそうだ。


 人間の教師は全くいないわけではなく、管理者として数人が朝、昼、夜に分かれているそうだ。


 どうして、こんなことを知っているかと言うと、車の中でお嬢様が嬉々として教えてくれたからだった。


「まあ、わたくしの通う学校は、きちんと人間が教えてくれているわけ。庶民の方々とは一緒にしないことね」

「はあ……」


 すでに、館に来てから4日目。

 オレはいい加減外に出て、ジョンくんと話し合いたいので、「仕事に行くっす」という名目で許可を得た。――のだが、なぜかお嬢様の乗る車で送られる羽目になっている。


 車種は『センチュリー』。

 日本車だ。


 意外な事に、ベンツではなかった。

 後部座席に座っているオレは、ゆったりとした乗り心地を初めて体験するので、何だか落ち着かなかった。


「今日は生徒会役員の投票があるそうですね。頑張ってください」

「何を寝ぼけたことを……」


 お嬢様は自信満々に髪を払い、邪悪な微笑みを浮かべる。


「わたくし以外の候補者は消えてもらいましたわ。おーっほっほっほっほ!」


 相変わらず、美しい声色で高笑いをするお嬢様。

 声は車内に響かず、品性を保っている。

 隣に座っているオレは、黙って横顔を見つめた。


 怖いな、この人。


 プライドが高いというか。

 プライドを守るためなら、皆殺しをする勢いではないか。


「消えてもらったって……。具体的に何を……」

「聞きたい? ふふん。いいわ。教えてあげる」


 座席に置いた手に違和感があった。

 見ると、お嬢様が力強い恋人繋ぎをしてきている。

 前の座席からはミラー越しにライリーさんの殺意高めな視線が送られてくる。


「邪魔な男がいたからね。クラスの女子の弱みを握って、性犯罪の疑いを掛けてやったの。他には何かと突っかかってくる方がいたから、その方のお母さまが勤めている会社の株を暴落させたわ。くすくす。今頃、体でも売ってるんじゃないかしら。……あっは♪」


 人の皮を被った悪魔を初めて見た。

 学生のやることじゃない。

 愉悦に満ちた笑みは愛玩動物を愛でるかのように優しげで、同時に妙な艶があった。


「いや、あの……。やりすぎ……」

「ふん。庶民には理解できないのでしょうけど。これくらいできなければ、財界で生き残ることなど不可能。人を人と思うなかれ。父の教えよ」


 ぎゅっ。


 一段と強い力で手を握られ、オレはぞわっとした。

 話を聞いていて思ったのは、な、という事だった。


 手を動かし、小さな拘束から逃れようと抵抗する。

 しかし、女とは思えないほどに、お嬢様は力が強い。

 初めは片手を動かすだけだったが、あまりにも強い力を前にして、オレは両手を使い、肉に食い込む指を剥がそうと踏ん張った。


 そうこうしている間に、車は停まった。


 オレの住む町と隣町の境目にある学校だった。

 立地としては、地形が高く盛り上がった場所に建てられた学校。

 林に囲まれた坂道を上がると、鉄格子で覆われた堅牢な門が迎えてくれる。


 敷地内に入ると、校舎の前には広い駐車場があった。


「お嬢様。着きましたよ」

「……そ。残念ね」

「……お嬢様」

「何も言わなくていいわ。説教は嫌いなの」


 ツンと澄ました顔でそっぽを向く。

 だが、手は握ったままである。


「く、そ。剥がれねえ……っ!」


 女を見下す真似はしないが、それでも、こんなことを思わざるを得ない。


 女なのに、どうして握力が強いんだ。

 指が万力みたいに締め付けてきて、オレの力では敵わなかった。


「下僕」

「……ふぅ、ふぅ。鬱血してきたぞ」


 シールを剥がすみたいにして、指をカリカリしていると、お嬢様が声を掛けてくる。


「下僕ッ!」

「あ、はい。何ですか?」

「今日は5時頃に帰るわ。それまで、家に戻っていなさい」


 冷たい眼差しを送られ、オレは即答した。


「いや、無理っスねぇ」

「はぁ?」

「だって、3日くらい館にいましたから。お嬢様から受けた依頼こなさないと」


 依頼をこなすつもりはさらさらない。

 方便だ。


「仕事があるんですよ。そっちを優先しないと」

「……あなた。立場分かってる?」

「分かってますよ。だから、お嬢様から受けたんじゃないですか」


 いじけた子供みたいに頬が少し膨らみ、唇がツンと上を向く。

 お嬢様は普段すまし顔ばかりなので、あまり人間味がない。

 だからこそ、感情が表に出た時に、「ああ。同じ人間だな」と素直に感じる。


「お嬢様。ワタシからきつく言っておくので。早く登校してください」

「黙りなさい。わたくしが言質を取らなければ気が済まないわ」

「言質って……」

「ね~ぇ、ゴロウ。あなた、ひょっとして、女を作っているでしょう」

「え”?」


 瞼が半分閉じ、ジトっとした目で、下から見上げてくるお嬢様。

 隠しても無駄だと言わんばかりに、口元は余裕の笑みが浮かんでいた。


 しかし、オレは女を作れるほど、経済的にも顔面的にも恵まれていない。いきなり、古女房みたいな事を言われたので、度肝を抜かれてしまった。


「や~っぱりね。だと思ったわ」

「いやいやいや!」

「ライリー。ゴロウに葬儀の費用を渡してあげなさい。事故に遭って、しばらくは生きているでしょうし。御見舞金も必要ではなくて。くすっ、お可哀そうに。おーっほっほっほ!」


 ライリーさんはクシャっと顔中に皺を寄せ、何とも言えない表情をした。


「いないですって。本当に仕事なんです。大体、オレに女ができようが、お嬢様には関係ないでしょう」

「……え?」

「それ、どういう感情なんですか?」


 ピタリと声が止み、急に真顔になるのだ。

 目を大きく見開いて、唖然とした風にオレを見ていた。


「やべっ。お、お嬢様! ワタシが! ワタシが! 言っておきますので。どうか。ご安心を!」


 急いだ様子で車から降り、後部座席に回ってきたライリーさんがドアを開ける。


「ゴロウ」


 しかめっ面でウインクをかましてきたので、何かの合図だという事は分かった。


「女はいないんだよな?」

「え、ええ」

「5時には帰ってくるよな?」


 ウインクを何度もかましてくる。

 話を合わせろってことか。


「まあ、そうですね。はい」


 すると、繋がれた手が解放され、ようやくお嬢様が車から降りる。

 後を追い、オレも車から降りた。

 ていうか、降りろって言わんばかりに肩を殴られた。


 心を失った人形みたいに、とぼとぼ歩くお嬢様を見送っていると、ライリーさんが強い力で背中を何度も殴ってくる、


「激励を掛けて」

「へ?」

「早く!」

「よ、よし! お嬢様! 頑張ってください! 応援してます!」


 応援を叫んだ直後、お嬢様がピタリと止まった。

 振り向いた顔は、およそ品格のある方がしていい顔ではない。


 眉間に皺を寄せ、目をかっ開き、刺すような視線を送ってくるのだ。

 例えるのなら、最大限まで私怨が溜まりまくった怨霊。


 ふい、と前を向くと、お嬢様は何も言わずに校舎の中へ入っていくのだった。

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