のこぎり

 風呂から上がって、すぐに眠る。

 今日はさすがに色々とあり過ぎて、もう疲れた。


「父親か……」


 オレは良い思い出がない。

 世の中にはファザコンという言葉があるけれど、世の中を見ればオッサンを毛嫌いする声の方が圧倒的に多い。

 耳にする度に、落ち込んだものだ。


「ていうか、……よくから、が産まれたな」


 お嬢様の父親は、オレの白人バージョン。

 白人にしては、目が窪んでいない。

 腫れぼったい瞼で、見るからに小デブって感じだった。


 その男から絶世の美少女が産まれてくるとか、遺伝的にどうなんだという気持ちはあるが、事実は事実だろう。


 ふと、窓の外を見る。

 山の斜面が見えていたが、夜になると、もう真っ暗で見えない。

 上のベランダが屋根の役割をしているため、なおさら日の当たり方は酷かった。


「一昔前は……外人なんて、とか思ってたけどなぁ」


 家族を思う気持ちは、世界共通か。

 なんだ。初めからグローバルな部分が、にあったんじゃないか。


 そんな事を思いながら、オレは眠りについた。


 *


 ――はずだった。


「ん……んん……」


 首が痛い。

 何かにガッチリと固定されていて、首を回すことができないのだ。

 おまけに暑苦しい。


 なんだろう、と体ごと回転させる。

 無理やり回転させた先にあったものは、どこかで味わった柔らかい感触だった。


 ふかふかしていて、果実の匂いがする。

 柑橘類だ。ミントが混ざっているため、爽やかな香りだった。

 だけど、ほんのりと湿っている。


 目を開けると、そこにはクッションがあった。

 白い布地に包まれたクッションなんか、オレは置いてない。

 抱き枕にも見える。

 手を伸ばし、指でつついてみる。


「う、くっ」


 目の前のクッションがビクリと震える。

 僅かに漏れたうめき声で、誰か分かった。


 リヴァだ。

 お嬢様がオレの部屋にきていた。

 視線を持ち上げると、ほとんど見えないが、口があった。

 寝息を立てた唇からは、生温かい吐息が漏れている。

 息は眼球に当たり、ずっと開けていると、乾燥してしまいそうだった。


 さすがにマズいな。

 オレは罪を重ねたくない。

 オレの首をガッチリとホールドしている腕。

 その間を何とかすり抜けようと、下に移動した。


「んむ。ぱぱぁ。逃げないでぇ」

「ちょ、ぉぉむ!」


 今度はお腹に顔を埋める恰好となった。

 男と違って、本当に羽毛みたいだった。

 そもそも、肌は柔らかすぎて、少し指で押しただけで潰れそうなほど。


 服越しにも、お腹が締まっているのは分かる。

 ほんのりと無駄な肉がある程度で、額にはアバラが当たっていた。


「やべぇ。……死ぬ。社会的に死ぬ……」


 今の時代、外国人の方が幅を利かせているのだ。

 痴漢冤罪で、無期懲役になったと過去の人が聞いたら、どんな反応をするだろう。


 少なくとも、一年、二年前の人間は、前兆が表れていたので、イメージできるのではないか。


 申し訳ないが、オレは犠牲者の仲間入りはしたくない。

 腕を掴み、ぐっと頭を下にずり下げていく。


「……っ……はぁ……ぱぱぁ……っ」


 やっべぇ。

 これ、他人に見られたら、いかがわしさ満点だ。

 聞いたこともない甘ったるい声で鳴き、お嬢様が太ももを擦り合わせた。


 下腹部の辺りにまで顔を持ってくると、ここで問題が起きた。

 お嬢様は体を丸めていたのだ。

 膝を前に出しているため、今オレの顎は太ももにぶち当たっていた。


「く、そ。はぁ、はぁ、やべぇ。やべぇよ」

「……くすぐったいよぉ」

「死にそうだよぉ」


 布団の中は熱帯夜のように暑かった。

 二人分の熱気がこもり、どちらも汗を掻いているため、匂いが充満している。


 あまりの密度に頭がどうにかなりそうだが、とにかく脱出。


 お嬢様はこの期に及んで、オレの後頭部を押さえている。

 下にずり落ちることはできない。

 ならば、とオレは大胆不敵にお嬢様の股を開くのだった。


 ぐいぃぃっ。


 いっそう、蒸れた空気が顔を包み込む。


「はぁ、ハァ……。へへへ。もうちょっとだぁ……」


 太ももと太ももの間をすり抜け、オレはようやく外に出る事ができた。


「何がもうちょっとよ」

「おっほ……っ! びっくりしたぁ!」

「しーっ。バカ。声が大きい」


 暗闇から声がしたので振り向くと、微かに闇の中で佇む人影を発見。

 たぶん、ライリーさんだろう。


「何してんスか」

「こっちの台詞。今、お嬢様に何をしようとしたのよ。……まさか」

「何もしてないって。逃げようとしたんだよ」


 オレはもう、このメイドに敬意を払えなくなっていた。

 怒涛の勢いで、信じられない事ばかりが起きるので、気を遣う暇がない。


 何なら、ずっと小さなパニックが起きている。


「起こさないように。こっち」

「う、うす」


 腕を引かれて、オレは闇の中を彷徨った。

 扉を開ける音が聞こえ、廊下に出ると冷えた空気が全身を包み込む。

 廊下は明かりが点いていたので、やっとライリーさんの顔が見えた。


「お前のせいで。どんどんお嬢様がおかしくなっていく」

「んなこと言われても……」


 廊下を歩き、ライリーさんの後を追った。

 向かう先はリビングだろう。

 ちょうど、水が飲みたかった。


「何で、布団に潜りこんでくるんすか」


 ライリーさんはカウンターに寄りかかり、冷蔵庫から水を取り出すオレを見ている。


「この際、隠し事はやめましょうよ。何も解決しない」

「ファザコン」

「まあ、さっきので薄々感づきましたけど」

「あんたが思ってるより、よ」


 棘のある言葉で言われる。

 半ば敵視するかのような視線だ。


「重度って……。ファザコンに重度もクソもないでしょうよ」

をしても?」

「ぶっふっ!」


 口に含んだ水を吐き出してしまった。

 思いっきりライリーさんの顔面に吹きかけてしまい、「やっちまった」と後ずさる。


「……殺してやりたい」

「すいません」


 その辺の布巾で顔を拭き、オレは再び水を口に含んだ。


「あの、まさか。そういう関係ですか?」

「半分ね」

「半分?」

「お嬢様は肉体関係を迫ったけど。父親の方は離れたの。でも、お嬢様は行動力が半端ないから。ピッキングを覚えたり、他国の言葉を覚えて友達を作って、協力者を作ったり。屋敷のメイドは手が付けられなかった」


 やっべぇな、リヴァお嬢様。


「向こうにいた頃は、フェンシングとか、キックボクシング。海兵隊の格闘術とか習ってて。まあ、父親を守ろうとしたんだけど」

「情報量が多いなぁ。もう、どこから聞いたらいいんだ」

「他の資産家に裏切られて、……お嬢様の父上は殺されたのよ」


 金持ちの世界は、恐ろしい。

 魑魅魍魎とは聞くが、想像以上なんだろう。


「唯一、救いなのは射撃が下手な事ね」

「唯一って……」

「得意だったら、あんたは足を撃ち抜かれてる。足をね」

「……意味深だなぁ」

「病的なまでに執着するから。いつ間違いが起きるか分かったものではないわ」


 オレの頭には、ヤンデレというワードが浮かぶ。

 普段は、ツンツンしていて、ツンデレってやつに近い。

 その実、裏側は病的なまでに一人を愛するタイプの女の子。


「今日はリビングで寝て。あと。辞めるって言葉は禁止」

「どうして?」

「ワタシが地下から帰ったら、お嬢様が準備をしてたから」

「は?」


 布巾を放り投げ、ライリーさんが階段の方に向かう。

 その際に、一言。



 ぞわっとした。

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