リヴァちゃん

 リビングで正座をして、かれこれ30分は経ったか。

 時刻は午後2時。

 学校は終わりのようで、帰宅したリヴァお嬢様はツンツンした様子で、ソファに座っている。


 ゴミでも見るかのような目だ。

 外国人特有の彫りの深い顔は、人を見下す時の顔はあからさまで、これでもかっていうくらいに冷たさを表情で主張している。


 オレはクビを覚悟した。

 でも、落ち込んではいない。

 今の法律では外国の人間に勝てないから、示談金を払わないといけないだろう。


 何年掛かるか分からない。

 どうせ、受けた依頼はこなす気力がない。

 ならば、いっそのことクビでいいかと開き直っているわけだ。


「下着……盗んだの?」

「いやいやいや! 下着!?」


 長い沈黙の末、お嬢様が口にしたのは、それだった。

 目元をヒクつかせ、ドン引きしているではないか。


「聞いたわ。日本の人って変態なんでしょう? わたくしの部屋に忍び込む理由は一つしかないじゃない。あーあ、嫌だ嫌だ。汚らわしいわ。ほんっとに、気持ち悪い」


 腕を組んで、顎を引く所作。

 近寄るな、と言いたげだ。


「下着は盗んでないですけど」

「ふん。何をしていたか分からないけど。今後は気を付ける事ね」


 これにはライリーさんが「え?」という顔で前のめりになる。

 ソファの脇に立っていたのだが、上体を傾けてお嬢様の顔を覗き込んだ。


 意に介さず、意地の悪い笑みを浮かべたお嬢様は、「紅茶が飲みたいわ」と振る舞うのだ。


「お待ちください。この男、明らかに不審な行動をしたんですよ?」

「わたくしに欲情したのでしょう。愚民には――、もといアジアなんて猿しかいないのだから、当然よね。寛大な処置に感謝なさい」

「寛大すぎますよ! いつもなら、ワタシに射殺を命じるではないですか!」


 ……こえぇな。

 射殺を当たり前に命じてきた光景が目に浮かび、ゾッとした。

 お嬢様は足を組み替え、ライリーさんは声を荒げる。


 けれど、お嬢様はツンと澄ました顔で吐き捨てる。


「もう済んだことよ」


 オレは考えた。

 お嬢様が寛大な処置をしても、ライリーさんが許されないだろう。

 今後の事を考えれば、パワハラを受ける事間違いなし。

 ていうか、気持ち半ば辞めるつもりでいたので、責任を取る意味でも、ここで辞めるとキッパリ言った方がいいだろう。


「お嬢様。いや、リヴァさん。俺、責任取ります」

「……責任?」


 イラっとした感じに、表情が歪む。


「この仕事、……辞めます!」


 正座から立ち上がり、足の痺れを我慢する。

 表情は引き締め、握り拳を胸に、オレは叫んだ。


「今まで、短い間でしたが、ありがとうございました。お幸せに!」


 お嬢様の顔を見ないで、オレは自室の方に向かった。

 荷物を取って、今すぐ離れよう。

 そして、工場計画を食い止めるために、一揆を起こすのだ。

 館で有力な情報やできる事はなかったが、頭数として反対派に入れば、日本の人間として行動できることはあるはずだ。


 ガッ――。


 ベルトを引っ張られ、危うく転びそうになった。

 振り返ると、頬をぷくっと膨らませたお嬢様がいた。


「ま、待ちなさいよ!」

「お嬢様。なんて優しいんだ。……でも、オレは卑劣な事をしちまった。もうだめだ」

「ここから出て行くのは許さないわ。というか、あなたに賠償金を支払えるの? あなたに渡そうとした一億円を支払ってもらうわよ!」

「なるほど。途方もないな。だけど、自分の罪を考えたら、当然かもしれない」


 優しく手を解き、オレは笑った。


「ありがとう。そして、さようなら」

「ま、ちなさいって!」


 再びベルトを引っ張られ、引き寄せられる。

 意外と強い力をしているため、情けない事にオレはお嬢様に抱き着きそうになった。


「契約の内容を忘れたの!? わたくしの命令を聞きなさいよ!」

「無理ですよ……」

「なんですって!?」

「オレは、年端もいかない娘さんに、失礼なことをした。そんなつもりはなかった。でも、疑われた以上は、もう誰も信じてくれない」

「わたくしが信じるわ」

「いいや、無理だ。今の時代は女社会だ。男の意見は通らないんだ」


 ベルトに絡む指を解こうと、全力で引っ張る。

 だが、リヴァの指は爪が食い込むほどに、ギリギリと掴んでおり、一向に剥がせなかった。


「離してくださいよ。いや、ちょ、……つえぇな……。くっ」

「ライリー! 手錠持ってきて! 早く!」

「えぇ、正気ですか!?」

「持ってこいって言ってるでしょう! 首刎ねるわよ⁉」


 戦国時代かよ。

 ライリーさんは怒鳴られたことで、戸惑いながら、どこかへ行ってしまう。


 その間、オレはお嬢様の指を離そうと悪戦苦闘した。


「ああ! もう!」


 痺れを切らしたのか。

 キレたお嬢様に突き飛ばされ、オレは大きくよろめいた。

 オレを迎えたのは硬い床。

 さらに、上からお嬢様が馬乗りになり、両腕を押さえつけてくる。


 勝ち誇った笑みを浮かべて、お嬢様が言った。


「ふーっ、ふーっ、ふふふ。どう? これで逃げられないわよ」

「離してくれ! こんな事おかしいって!」

「何もおかしくないわ。世界はわたくしを中心に回っているのだから」


 自己中心的な考えも、ここまでくると一級品だった。


「リヴァさん。オレなんて、その辺にいるただのオッサンですよ。男手が必要なら、他から取り寄せればいいですって!」

「できない相談ね」

「どうしてですか!?」

「…………」


 お嬢様が目を逸らし、黙ってしまった。

 その反応を見て、オレは何かを察した。

 お嬢様は何か隠してる。

 その隠してる物は、きっと他人に知られたらマズいことだ。


 何だ。

 何を隠してる。


 本当に見てくれだけは、絶世レベルで整ったお嬢様。

 目と目の間に寄った皺も、美しく見えた。


「悪いけど。オレはここまでっすよ。もう、無理だ」


 腕に力を込め、すり抜けようとする。が、お嬢様は全体重を腕に掛けてくるので、腕は剥がれなかった。


 しかし、これこそがオレの計算。

 前のめりになれば、腰の方に重点を置かなくなる。

 腰は痛めているが、緊急時だ。

 下から突き上げるように動かせば、お嬢様が体勢を崩すと睨んだのだ。


「お、らぁ!」

「ひやぁ!?」


 腰を思いっきり突き上げ、トランポリンのようにお嬢様の体を浮かせる。


「はぁ、はぁ、……お、も……」

「なぁんですってぇ⁉」

「くっ。お、らああああ!」


 17歳といえど、成熟した体は重かった。

 日本人体型より、外国人体型の体は、ズッシリとした肉の重みを感じる。


 これは――腰にくるな。


 切り倒した木を持ち上げるつもりで、足から腰に、腰から上に力を込めて、オレは力いっぱい踏ん張る。


「ふん、ぬ!」

「あ、きゃっ!」


 精一杯の突き上げをかました後、顔には柔らかい感触があった。

 甘い果実の匂いがしたので、フルーツ味のマシュマロが頭に浮かぶ。

 だが、目の前にあるのは、大きくて柔らかな肉塊。


「ぐ、ぎ」


 重かった。

 ひたすら重くて、顔の半分が潰れている状態だ。


 色々と思う所はあるが、体勢を崩した期を逃すわけにはいかず、オレは腰に腕を回し、入れ替わるようにして床を転がった。


「ふぅ、ふぅ。格闘アニメを観ておいてよかったぜ。くそ。腰がいてぇ」


 入れ替わったオレは、お嬢様に覆い被さる格好となった。

 どうしてか、お嬢様は口をきゅっと噤み、見た事もない弱弱しい表情を浮かべていた。


「申し訳ないが……、はぁ、はぁ、……オレは、辞めさせて……」


 息切れのせいで言葉が続かなかった。

 とりあえず、起き上がろうと上体を仰け反らせる。

 その時だった。


 ぐいっ。


 首の後ろに腕を回され、再び胸の中に顔から突っ込んでしまった。


「うぶぅ!」

「に、逃がさないもん!」

「ちょ、ほぶっ、待ってくれ。はぁ、はぁ。おじさんだから、体力が……はぁ、はぁ」


 40歳の体力は小学生以下だ。

 いや、人に寄るんだろうけど、オレは無理だった。

 起き上がる体力もなくなり、かろうじて頭を持ち上げる。


「せっかく、て、手に入れたから。離さないもん」

「り、リヴァさん?」


 目尻に涙を浮かべたお嬢様は、気のせいか見た目よりずっと幼く見えた。文字通り、全身を使って抱きしめてくる所は子供のようだ。


 あるいは、大きな熊がじゃれ合う時に、仰向けで抱き着くアレだった。


「お前……」


 視線をさらに持ち上げると、戻ってきたライリーさんが手錠を片手に立ち尽くしていた。


 傍から見れば、オレがお嬢様を押し倒しているように見えたのは、言うまでもなかった。

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