わたくしの物
呼び出しを受けたオレは、昨日行った大豪邸に向かった。
着いて早々、オレはリビングの床で正座をしている。
「ふん。無様ね」
「……はぁ」
相変わらず、見てくれだけは、この世の者とは思えないほどに美人だった。ストレートの金髪ロングは、上体を動かすだけでサラサラと流れるように位置をずらす。
厚過ぎず、薄過ぎず、程よい膨らみの唇はピンク色。
外国の人は身振り手振りだけでなく、表情でも主張する文化なので、笑みを浮かべると、綺麗に一本線になっていた唇が、逆アーチ型に曲がる。
オレよりずっと年下だってのに、色気が半端なかった。
「あの。オレ、何で呼ばれたんですか?」
「契約書にサインをしてもらいたいの」
「契約書?」
依頼のだろうか。
生憎、ウチは古き良きシステムで、契約書なんてものは書いていないし、仕事が終われば、「んじゃ、これで」と片手を挙げて帰る感じだ。
リヴァが何やらスマホを操作し、オレを見る。
ピロン。
ポケットの中で、スマホが鳴った。
「今、あなたに契約書を送ったから。それにサインして」
言われて、自分のスマホを見る。
スマホに届いたのは、一通のメール。
メールからリンクを踏み、サイトにアクセスすると、覚えのないデジタル契約書が表示された。
契約書の内容を見て、オレは言葉を失った。
「専属……庭師……」
「そうよ。光栄に思いなさい。おーっほっほっほ!」
手の甲を口元に当て、リヴァが高笑いをする。
「ま、マジでお嬢様って、その笑い方なんだ」
隣に立っているライリーさんは、呆れた顔でお嬢様を見下ろしていた。
契約内容の続きを読むと、以下の事が書かれていた。
『1、雇用主の許可なく外出しない事。
2、雇用主への奉仕を最優先とする事。
3、契約者の資産と財産は、全て雇用主に献上する事。
4、法律に則り、雇用主への罵詈雑言を禁ずる。また、逆らった場合は、示談金を支払う事。
以上』
スマホを持つ手が震えた。
「な、何すか、この現代の奴隷契約!」
「不満そうね」
「当たり前ですよ! 人権ないじゃないですか!」
ツンと澄ました顔で見下ろしてきたかと思いきや、リヴァが立ち上がり、こっちに歩いてくる。
あろうことか、片足を膝に乗せ、つま先をぐりぐりとしてきたのだ。
微笑を浮かべて、囁くような優しい声色で、彼女は指示をする。
「きっと、猿はタップの仕方も分からないのね。ほら。ここよ。下にスクロールして……」
「スクロールして」
「一番下の四角い所を指で……」
「指で……、いやいやいやいや! あの、やめてください!」
少しだけ怒った風に、リヴァが口を尖らせる。
というか、片足を乗せた事により、スカートが持ち上がって太ももが見えていた。
若い子の下着を覗こうなんて思わないけど。
目のやり場に困る。
「だいたい、ボクあれですよ。依頼の内容まだ終わってないので」
「別に、庭師の仕事をしながらでいいじゃない」
「ブラック過ぎるぅ。人権が本当にない!」
実は、リヴァの館に来るまでの間、イギリスの事を少しだけ調べた。
ネットの隠語で、イギリスは『ブリカス』と揶揄されるほどの鬼畜エピソードが満載である。
プライドが高いのは、昔からのようで、かつてはアメリカとも戦争をしたとか。
ネットで調べただけでは、「んなことないよなぁ」と思っていたが、リヴァのあり得ない態度と言動に、今では若干信じている自分がいた。
見てくれは、本当に可愛いのに。
「早く押しなさいよ」
「無理ですよ! メンタルぶっ壊れます!」
「この……。もういいわ。わたくしが押してあげる」
手が伸びてきたので、オレは慌てて後ずさった。
すると、リヴァも後ずさった分、近づいてきて、肩をペチペチ叩きながらスマホを奪い取ろうとする。
「くっ。この……っ。あなた! わたくしの……胸……くのっ……触ったでしょうに!」
「あれはすいません! 本当に事故だったんです!」
「許さないわ! いいえ。許してあげるから、それ押しなさいよ!」
いつの間にか、リヴァがオレの膝の上に乗る格好となっていた。
前から抱きしめるようにして、後ろ手に持つスマホを盗ろうと、躍起になっている。
不覚にも、距離が近い事から服の柔軟剤の香りが鼻孔をくすぐった。
他にも、首筋からはボディソープなのか、香水なのか分からないが、良い匂いが漂ってくる。
「んもおおおお! ライリー! 押さえて!」
「お嬢様。はしたないですよ」
「いいから、押さえてよ!」
ため息を吐いたライリーさんが、仕方ないと言わんばかりに横に立った。
オレはスマホを奪われないように、両手を後ろに隠す。
「ふふん。終わったわね」
リヴァが肩に肘を乗せ、勝利の笑みを浮かべる。
柔らかい筆のように、髪の毛が頬や額を撫でてきた。
あまり運動をしないタイプなのか、リヴァは息が上がっており、湿った吐息まで顔に掛かってくる。
もう、何もかも良い匂いがしていた。
目の前のお嬢様に気を取られていると、今度は横からもの凄い力で、ぐいっと腕を引っ張られる。
「イデデデデデ!」
「……で……送信……と」
奪ったスマホを操作し、勝手に契約書の同意をどこかへ送信する。
「ちょっと! どこに送ったんですか!」
「どこって、日本の司法よ」
「マジで腐ってるよ、この国!」
オレは日本に絶望した。
今の日本は、他国の利権が幅を利かせており、ほとんど外国と化している。
名前だけ、日本。
絶望するオレから退こうとせず、リヴァはオレのスマホを受け取り、内容を確認する。
「やたっ。手に入れたっ」
一昔前に流行ったゲームを思い出すような口調だ。
ボールを投げて、モンスターをゲットする、あのゲームだ。
「これで、ゴロウはわたくしの物だから」
どうして、このお嬢様はオレなんかに執着するのだろう。
40歳にもなったオッサンを捕まえたって、何も良い事はない。
オモチャにして遊びたいだけなのか。
リヴァがオレから退いたのは、ライリーさんが咳払いをしてからだった。
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