お嬢様

 オレ達は二人でトイレに入っていた。

 金持ちのトイレと言うのは、すさまじい。

 何がすごいかって、トイレなのに4畳半くらいの広さがあるのだ。


 布団を敷いて寝られる広さを何に使うのか分からない。

 だが、二人でトイレにこもりたかったので、ありがたくスペースを利用させてもらおう。


「どうすんの?」

「……うぅむ」


 トイレの床に胡坐を掻き、ジョンくんと向き合って座る。


「あれ。絶対にヤバいよ」

「分かってるよ」


 NOと言えない悪癖が発揮されたオレは、「よろこんで!」と笑顔で答えてしまった。


 ジョンくんの言う通り、一億円の依頼なんて聞いたことがない。

 数々のヤクザ映画や裏社会を元にした映画などを見てきたオレには、ライリーさんの提案する依頼が、真っ黒に思えた。


 金額と言うのは、重大さを表すものだ。

 一億円の価値がある依頼でなければ、そもそも頼んだりしない。

 問題は頼む相手が、オレってことだ。

 ウチの小さな便利屋に頼むってことは、他の企業に目を付けられたくないからだろう。


 ジョンくんはお腹を押さえて、頬を膨らませる。


「ん”っ。ちょ、ちょっと。すいません」

「え、おい……」


 息を荒くして、ジョンくんが急いで便器のカバーを空ける。

 カチャカチャとベルトを外したら、大きなお尻を便座に下ろし、「ぷふー」と息を吐いた。


 たぶん、緊張で腹を壊したのだろう。


「ごめん。ゴロウちゃん。歌、うたってくれない?」

「何で歌うんだよ」

「いや、音……ん”っ、聞かれたくないから……」


 二人で相談し合って、どうするかを考えているっていうのに。

 今なら、まだ館の中だから断る事だってできる。

 信用はがた落ちだろうが、ヤバい仕事は受けたくないしな。


 もっと、オレに勇気があれば、ハッキリと断れたのに。


「ゴロウ……ぢゃんっ!」

「分かったよ」


 ジョンくんから目を逸らし、オレは白い壁に注目した。


「ぼ~くらは、みんなぁ、生きている」

「ん”っ!」

「生き~ているから、ふんふんふ~ん」

「ん”ん”っ!」


 オレの優しいメロディーが、トイレの空間にこだまする。

 久々に歌うが、何だか気持ち良くなってしまい、自分で手拍子をしてしまう。途中で歌詞は忘れたが、鼻歌で乗り切った。


「すっげぇな。金持ちのトイレって、臭いが全然こもらないな」

「だ、だぶん、脱臭の機能付いてるんだとおも、う”っ」


 ジョンくんの白かった頭が、急激に赤くなっていく。

 前のめりに縮こまり、ブルブルと頭を震わせる様は、まるで大型電動マッサージ器のようであった。


 コンコン。


 オレが次の歌を披露しようと口を開けた時だ。

 トイレのドアがノックされた。


「は、はい」

『大丈夫ですか? 何やら、おかしな声が聞こえたもので……』

「あぁ、はい。大丈夫です。相方が腹を壊しまして」


 絶対に心配で声を掛けたわけじゃない。

 長い間、二人でトイレに入ってるから、不審に思ったのだろう。

 オレはヒソヒソと囁き、ジョンくんに言った。


「とりあえず、今回の仕事は適当に終わらすぞ。何か言われたら、報酬は結構ですって、他に当たってもらおう」

「ん”っ! ん”ぐぅ!」


 分かったのか。分かってないのか。

 何とも曖昧な返事だった。


 ひとまず、ジョンくんが用を済ませたら、とっとと帰るか。

 煙草が吸いたくなって、ポケットの中にある箱を指でタップする。

 その時だった。


 ドンッ。ドンッ。


 強めにノックされたのである。

 いい加減にしろ、と怒っているのか。


「すいません! まだ、出れないです!」

『ねえ。どうして、猿が二匹上がり込んでるわけ? キモいから消えて』


 お?

 まさかの暴言にオレはビックリして、ジョンくんの方を見た。

 ジョンくんは、さっきより顔を赤くして、便座に座ったまま力士のように拳を床に突いていた。


『~~~~~~~~』


 何やら、声が聞こえたが、何を話してるかは分からない。

 たぶん、英語だろう。

 英語で何を話したかは知らないが、ライリーさんの英語が聞こえて、その後に、別の声が一蹴する。


be quietだまって。――さっきから、うるさいのよ。誰よ。歌ったの』


 防音じゃないのか。

 声が筒抜けだったことに焦ったオレは、尻ポケットを握り、周りをキョロキョロと見回した。


 逃げ道を探しているのだ。


『10数える内に出てきなさい。ライリー。銃持ってきて』

『……まったく』


 何か、普通に日本語話してるんだなぁ、って感心した。

 感心することで、オレは現実逃避をしようとした。

 ジョンくんのうめき声が時計の針のように、頭の奥に響く。


『10。9。8』


 焦ったオレは、ジョンくんに駆け寄る。


「ヤバいって。銃持ってくるぞ。どうなってんだよ」

「はぁ、はぁ。お腹が、ん”、ヤバくってぇ」

「ヤバいな。どうしよう」


 とりあえず、ジョンくんが腹を壊してるのは事実なので、先にオレだけ出て、事情を説明するか。

 相手は日本語を話せるようだし、何とか待ってもらうように伝えないと。


『7。6。5――』

「ま、待ってください。今、出ますんで!」


 ガチャ。

 勢い良く扉を開き、オレは何もしないという意思表示のために、片手を前に突き出した。


「……あ」


 結論から言うと、オレは胸を触ってしまった。

 手の平に伝わった妙な感触。

 例えるなら、乾燥した枯葉に包み込んだマシュマロってところか。

 硬い部分は、ブラか。


 何も言わずに手を引っ込めて、後ろに回す。


「すいません」


 全身に冷たい汗が流れていく。

 見たところ、目の前の子はオレよりも、ずっと年下。


 外国の子だからか、かなり大人びた外見だが、高校生くらいの年齢じゃないか。

 女の子にしては、身長が高め。

 スラリとしていて、モデルのような子だった。


 綺麗な金色の髪はストレートにしていて、絹糸のように美しかった。

 肌は真っ白で、ペンキでも塗ったみたいに、日本の人間とは違う質感をしている。


 青い目は感情を宿さず、ただオレをじっと見下ろしていた。

 赤を基調としたワンピースの恰好で、仁王立ちをする美少女。

 顔はいかにも気が強いと言わんばかりで、オレは黙っている間に、どう言い訳をするか考えている。


「わざとじゃ、……ないんです」


 日本語、分かるよな。

 さっき、日本語話してたもんな。


「この度は、どうもすいませんでした」


 頭を下げ、そっと扉を閉じる。

 その途中で、足が差し込まれた。


「お、おぁ!」

「なに。この気持ち悪い生き物……」


 べちっ。と、容赦なく頭を叩いてくるのだ。

 お嬢様と言えば、もっと品のある所作とか、アニメ映画に出てくるようなシャララとした感じだと思った。


 実物は眉を釣り上げて、ベチベチと叩いてくる。

 時代もあるんだろうか。

 それとも、金持ちランクの中では、まあまあなくらいで、所作とか気にしない感じなんだろうか。


 いずれにせよ。

 オレは金髪のお嬢様に絡まれてしまった。


「いつから、豚って二足歩行で歩けるようになったの?」

「……すいません」


 胸を触った手前、オレは強気に出れない。


「あなた。名前は?」

「大塚……ゴロウです……」

「あら。そう」


 目の前のお嬢様の脇下あたりに、戻ってきたメイドが見えた。

 両手に持っているのは、警備員が持っていたようなライフルで、銃口を下に向けている。


「リヴァ様」


 名前を呼ばれたお嬢様は、リヴァという名前らしい。

 澄ました顔で振り向くと、ライリーさんが処遇を尋ねてくる。


「せめて、外に出た辺りで撃ちたいのですが……」

「ここでは家が汚れるものね」


 胸を触った事には一切触れず、リヴァは腕を組み、冷たい目で見下ろしてくる。


「ねえ。生きたい?」

「……そう、っすね。生きたいです」

「ん”~~~~っ、ん”っふぅ、ふぅ」


 後ろからは、出産を頑張る声が聞こえる。


「住民ID。持ってるでしょう?」

「はい」

「出して」


 住民ID。――マイナ〇バーカードの事だ。

 個人情報が詰まった国民番号で、今ではアプリ一つで管理されている。

 他の人に教えたら、銀行からお金を下ろされるだけではなく、例えば借金の連帯保証人へ審査を出されたり、被害がとんでもない。


 だから、オレは両手を突き出し、「それは、ちょっと……」と断った。


「出せって言ってるの」

「勘弁してください」

「ライリー」


 リヴァが退くと、今度は銃口が突き付けられる。

 信じられないかもしれないが、今の日本では当たり前の光景。

 まさか、その一人に自分がなろうとは思わなかったが。


「……どうぞ」


 ポケットから出したカードを渡すと、リヴァが何やらスマホを弄り出した。


「はい。今日の所は帰っていいわよ」

「良かったですね」


 カードを乱暴に投げ返された。

 リヴァはとっとと立ち去ってしまい、残されたオレは銃を持つライリーさんと一緒になる。


「……まあ、首輪だと思えばいいですよ」


 悪い夢でも見てるんじゃないか、って気を失いそうだった。

 後ろでは、なおも出産が続いていた。

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