交換の宝箱
黒中光
第1話
ある日、僕の恋人が死んだ。
理由は分からない。朝目が覚めると、僕のベッドに彼女がもたれかかっていた。手に小さな木箱を乗せて、穏やかな表情だった。眠っているようにしか見えなくて、僕が最初に考えたことは「どうしたら起こさないで済むだろう」ということだったくらいだ。
一週間経った現在でも、どうして彼女が死んだのかは分からない。まだ二十代で、病気も怪我も何もない。医者も原因不明だと言っていた。
ただ、彼女の死に際して、彼女の友人や家族は皆歯切れが悪く、僕と距離を取っていることに気付いた。最初は僕に遠慮をしているのかと思ったけど、そうじゃない。何か隠している。そのくせ、貝のように口をつぐんで、僕には真相の欠片も零してはくれない。
僕は悔しくて堪らなかった。
僕は彼女を愛していた。
出会ったきっかけは、大学の軽音サークル。僕は自分の中に浮かんできたメロディーを形にしたかったけれど、楽器も歌も下手くそで、入って一年ほどで凹んでしまった。そんな時に出会ったのが、恵だった。恵は高校の頃から音楽をやっていて、アコースティックギターを手にして小さなライブ会場で歌っていた。僕は彼女の透き通るようなまっすぐな声に惹かれて、ダメ元で「自分の書いたオリジナル曲を歌ってくれないか」と頼んだ。
すると彼女は、快く引き受けてくれた。
彼女の声で歌い上げられた音楽は、僕の理想通りの、いや、それ以上に切なく、美しい曲となった。お客さんからの評判も良くて、僕たちはいつの間にかコンビになっていた。
彼女は歌だけではなく、人柄も素敵だった。
明るくて、前向きで。イベントに向けての準備にトラブルがあって、僕が焦っていたときでも「きっと大丈夫。なんとかなるよ」と笑ってくれたことに、僕がどれだけ救われたか。実際に舞台に立つ彼女の方がプレッシャーは遥かに大きかっただろうに。そして、僕は彼女が、裏でどうなっても良いようにと、いくつもパターンを考えて練習してくれていたことを知った。
その時だ。僕が彼女を守りたい、傍にいたいと愛するようになったのは。
彼女が僕を受け入れてくれたことは、僕にとって間違いなく人生最良の出来事だ。
それなのに。僕はどうして彼女を失ってしまったのか。
恵が死んでから、寝る間も惜しんで僕は調べた。一体、彼女の身に何が起こったのか。
そして、僕はあることを知った。
彼女が最期に握りしめていた箱。
それは「交換の宝箱」と呼ばれる物だった。それはまるで、神様か悪魔が作った代物だった。
箱を開けば、最も望む物が手に入る。しかし、その対価として最も大切な物を失う。
恵は、この箱を使ったのではないか。そうまでして、彼女が何を求めたのか心当たりがないことが、もどかしくて堪らない。しかし、これならば、彼女の不可解な死にも説明がつく。
僕は今、部屋の真ん中に座って、「交換の宝箱」を膝に乗せている。
彼女のいない世界は、がらんとして何もない。寒い。雨音だけが響く。
深呼吸して、箱の縁に指をかける。
僕が望む物――恵。どうか、もう一度彼女に会いたい。
箱を開けると、世界が眩しい光に包まれた。そのただ中に、恵がいた。
僕は立ち上がると、彼女を抱きしめた。温かい。恵が生きている。その艶やかな髪を指で梳くと、一歩離れて驚く彼女の顔を覗き込んだ。いつもよりも幼く見える、僕の大好きな表情。
椅子に座り込んだ僕を見下ろして、恵が呟く。
「どうして」
「僕は……君に、どうしても、生きていて欲しかったんだ」
「でも、これじゃあ、わたしのしたことが……」
「やっぱり……そうか」
彼女はまるで現実を受け入れられないかのように首を横に振る。
彼女の答えは、僕の予想していた通りだった。恵の家族や友人が僕を見る目は、単なる憐憫ではなく、怒りや憎しみも感じられた。
そこで、僕はこう考えた。僕は、死んでいたのではないか、と。
彼女が「交換の宝箱」を使ったのはそのせいだ。恵は、僕の命を自らの命で
確証はなかったが、目の前にある彼女の表情が全てを物語っていた。
だから、僕は彼女に命を返すだけだ。何よりも大切な人が、自分のために傷ついて欲しくはない。
死が近付いてくる。目がかすみ、もう息をするのも苦しい。鉛のように重い手を上げて、テーブルを指さす。
「新曲を、書いたんだ。き、君に歌って……ほしい」
いつもは恥ずかしくて書けなかったラブソング。恵への想いを恥ずかしくなるくらいに詰め込んだバラード。
涙でぐちゃぐちゃになった恵が僕の胸に飛び込んでくる。
「歌う。歌うよ。絶対に、天国まで届けてみせるから!」
ああ良かった。これで何も思い残すことはない。僕は、最期にもう一度だけ彼女を抱きしめた。
交換の宝箱 黒中光 @lightinblack
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