3.来ない方がいい


 美紅がちはるに続いて風呂場に入ると、ちはるがくるりと美紅の方を向いた。その拍子に揺れた白い乳房が艶めかしく、美紅は咄嗟にうつむいてしまう。


「今日は私を気持ちよくさせてくれるんでしょう?」


「えっと、そう、だけど、どうしていいかわからなくて……」


「大丈夫。この間されたことを、美紅ちゃんがするだけよ」


 そう言ってから美紅の方に小さく引き締まった尻を向けて「お風呂じゃなくてベッドだったけど、大丈夫だよね。ふふっ」と明るく笑うちはるが少し憎々しく思え、美紅はちはるを後ろから抱きしめた。その細い首筋からちはるの香りが漂い、美紅の中の何かを刺激し始める。


「ちはるさん、こっち向いて」


 美紅の方が背が高いため、ちはるの顎を右手を添えて上げさせる。突然の美紅の行動に目を見開いて驚く彼女の様が、美紅の胸にダイレクトに刺さった。前回のちはるは猫のように、美紅の弱い部分を捕らえ、仕留めたのだ。猫のようだと美紅が気に入っている瞳を、もっと見せてほしかった。


「目、閉じないで」


 そう言うが早いか、美紅は唇をちはるの唇に重ねた。そうして少しだけ開いていた上下の肉の間に舌を滑り込ませ、凌辱するようにちはるの味を堪能する。翔子のことも、考えた。年上の翔子を置いてけぼりにして大人になっていく自分を思うと、より一層体に何かがたぎる気がした。


 体がつらくならないように一旦唇を離してから体勢を整え、再び口付けると、ちはるも応えるように美紅を求める。目を開けたまま、頬を染めたまま。


 うれしい、私の言うことを聞いてくれている、うれしい。そんな仄かに暗い喜びが、次第に美紅の中で大きく膨らんでいった。



 ◇◇



「私、ちはるさんの箱の蓋、開けられましたか?」


「うん。十分だったと思うよ」


「そうですよね。ちはるさんすごくかわいかったし。声も、体も、表情も」


 肉食獣である猫も、ペットとして飼えばかわいい面を飼い主に見せる。ちはるだって同じだと、美紅は思う。前回は肉食獣の本能で攻められたが、今回は飼い慣らすことができたという気分だ。


「やめて、そういうの。照れちゃうから」


「何でですか? 他のお客さんにも言われるでしょう?」


「美紅ちゃんに言われると、何だかすごく恥ずかしいの。でも、美紅ちゃんだって……一緒に、いけたから……」


 ごにょごにょと薄い布団を頭にかぶって言うちはるがかわいらしくて愛しい。このままずっと一緒にいたいと思うが、持ち時間はもうすぐ終わってしまう。


「……じゃあ、帰ります。服着ないと。お金、ここで払っていいですか?」


「うん、テーブルに置いてくれれば。ありがとう」


「また来るかどうかはわからないけど……」


「もうやり方はわかったでしょう? 来ない方がいいんじゃないかな」


 布団をかぶったまま、うつむき加減で表情を見せずに言うちはるに、美紅は苛立ちを覚える。私をこんな風にしてしまったのはあなたなのに、と。


「……そうですね」


「気を付けてね」


 美紅はその言葉には答えず、服を着て代金をテーブルに置いた。部屋を出て歩く美紅の服には、ちはるの爽やかで甘やかなフローラルノートがほんのりと香っていた。



 ◇◇



 翔子は、美紅のやり方にとても満足そうに声を上げる。美紅、格好いい、素敵、というセリフを時々挟み、あとは喘ぐだけだ。


 美紅は物足りなさを感じていた。翔子は初めてだし自分のリード方法が悪いのかもしれないとも思うが、どうしてもちはると比べてしまう。


 親が不在の時しかできないため、一つ屋根の下で暮らしているわりには機会が少なかった。また、翔子は一緒にお風呂に入るのを嫌がった。タオルケットなどで体を隠すことができないから恥ずかしいというのが、彼女の言だ。自分から言い出したくせにと、美紅は考えてしまう。そのような様々なことが不満に結びつき、ちはるに会いたくて仕方ないという日々を、美紅は送っていた。


 ある日、美紅は駄目で元々で、両親に「一人暮らしをしたい」と言ってみた。二年生になってから通うことになった大学のキャンパスが遠く、家から二時間半ほどかかるためだ。すると意外にも、すんなり許しを得ることができた。翔子から離れられることがうれしくて、思わず跳び上がって喜びそうになった自分を必死で抑えた。翔子は不満げだったが、そこまで聞き分けの悪いタイプではない。形だけだろうが、「元気でね」と言って送り出してくれた。


 こうして、美紅は自由を手に入れた。しかし、ちはるに会いに行くことはできなかった。「来ない方がいいんじゃないかな」という彼女の言葉は、美紅の心の奥に重く冷たい苦しみを残していた。



 ◇◇



 前期テストが始まり、大学生にとっては苦しい夏が来た。美紅は二年生になってから通うことになった広いキャンパスにも一人暮らしにも慣れ、彼氏も作らず、独り身の大学生として毎日を過ごしている。テストには苦しめられているが、おそらく成績で『不可』を取ることはないだろう。一応、授業はきちんと聞いているという自負があるのだ。


「あっつ……」


 テスト最終日でキャンパス内を歩く学生も減っている中、美紅は炎天下を汗をかきながら図書館に向かって歩いていた。テストは終わったが、課題のために調べ物をする必要があるからだ。


 図書館の入口を入り、ホールで涼しさを堪能する。火照った顔をぱたぱたと手で扇いでいると、ホールの向こうの貸出カウンターに猫のような目をくるりとこちらに向けた女性がいることに気付いた。


 その女性から目が離せず、美紅はそろそろと貸出カウンターへ近付く。本の整理でもしているのだろうか、彼女は後ろを向いてしまい、顔が見えなくなってしまった。


 それでもじっと彼女を見ていると、あの日、風呂で自分に尻を向けていたちはるによく似ていることに美紅は気付いた。もしかして、という思いは捨て切れない。美紅はちはるに会いたいのだ。理由などわからない。ただ、会いたい、そう思いながらこれまで暮らしてきた。


「……ちはる、さん……?」


 カウンター越しに恐る恐る声をかけてみると、女性が美紅の方を振り向いた。同時に、あの懐かしいグリーンノートとフローラルノートが美紅の鼻をくすぐる。


「やっぱ、り、ちはるさんっ……」


「まさか、美紅ちゃん?」


「あ……」


 「会いたかった」と言おうとして、美紅は口を閉ざした。会いたいと思っていたのは自分だけかもしれないと、思い直してのことだ。


「会いたかった」


 しかしそんな心配は不要だったようだ。美紅に、ちはるはそう言った。少し震える声で。


「あ、あのね、あの仕事は……やめたの。夏休みだけ、ここでバイトすることになって……」


 「今日は暇だから」と言い訳のようにつぶやくと、ちはるはカウンターからホールへと出てきた。


「ちはるさん、ですよね……?」


「うん。会いたかった、美紅ちゃんに。あんなにドキドキしたの、美紅ちゃんだけだったの」


「……ドキドキ、してたんですね」


 たった二回会っただけだった。話したことだって少なかった。他にお客さんもいただろう。でも自分を覚えてくれていた。美紅は、それが何よりうれしかった。


「言わなかったもんね。そんなの知らないよね」


「……私、ちはるさんじゃないと嫌なんです」


 ちはるがうれしそうに笑った。目を細めて。でも美紅は、不思議と目を開いていてほしいとは思わなかった。


「私の蓋を開けてくれたのは、ちはるさんだから」

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【GL】Lily 祐里 @yukie_miumiu

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