2.一番気持ちいいやり方


「ちはるさん、あの箱って、何が入ってるんですか?」


 『ネコ』としての役割を終えた美紅は、ちはるに尋ねた。部屋の奥の、シャッターが閉じられている窓の下に約五十センチ四方の白く塗られた金属製の箱があることに気付いたのだ。側面に何か緑色の文字が書かれているようだが、ちょうどその部分に錆や傷が付いており、読むことができない。


「あれは、避難梯子よ」


「避難梯子が、あの中に? あんなに小さいのに」


「使ったことはないけど、一応点検はしてるみたい」


「……何だか、不思議ですね。あんな錆びた小さい箱の中に、人を救ってくれるものが入ってるなんて」


 美紅は、疲れてだるくなった体を裸のままベッドの上に投げ出し、寝転びながら話す。初めてのことばかりでどうしても緊張してしまっていたためと、ちはるによって何度も絶頂を迎えたためで、思い出すとあまりの恥ずかしさから泣いてしまいそうで、今は別のことを考えていたいのだ。


「箱と中身は別物よ。開けてみたら、思いもよらない何かが出てくるかもしれないじゃない?」


「まあ、そうで……」


 「例えば、キスで蓋を開けたら美紅ちゃんのかわいいところが出てきた、とか」と、美紅の言葉を遮り、ちはるは言った。


「えっ、や、そんなこと、な……」


「美紅ちゃん、また来て。ね? 今度は逆でやろ?」


 素直に「はい」と返答するほかない状況で、美紅は顔を真っ赤にしてちはるから顔をそむけた。



 ◇◇



 義姉の翔子しょうことの縁は、美紅の母親と翔子の父親がバツイチ同士で再婚した八年前から始まった。当時の美紅は十歳、翔子は十二歳で、かわいくて優しい姉ができたと喜んでいた。


 翔子が美紅におねだりを始めたのは、二年ほど前だった。ある日、翔子が「男の子は乱暴だからキスするのも嫌なの。美紅としたい」と言い出し、付き合っていた彼氏を振って美紅に毎日寝る前にキスをねだったのだ。美紅は、翔子の言いなりになっていた。キスをするたびに、義父が翔子に渡している多額の小遣いの一部をもらうことができていたから。


 ただ唇同士を軽く重ねるだけの翔子との数秒間のキスは、嫌ではなかった。美紅はふわりと漂う翔子のボディミストの石鹸の香りや、その小さくて肉感のある唇の柔らかさを気に入っていた。だから文句も言わず、毎日判で押したように寝る前のキスを続けていた。それでお金ももらえるのだから、やらない道理はないと思っていた。


 一週間ほど前、いつものようにキスを終えると、翔子が「美紅とエッチなこともしたい」と言い放った。驚きながらも具体的にどういうことかと尋ねたのだが、翔子からは要領の得ない答えが返ってくるのみだ。「格好いい美紅が好きなの、女同士だと気持ちいいんだって。一番気持ちいいやり方探そうよ」としか。


 何かの熱に浮かされているだけだろうと、無視して放っておいたのがまずかったのかもしれない。そのうち翔子は「言うことを聞かないとパパに頼んで学費の支払いをやめさせるわよ」と言ってきた。さすがにそれは困ると、美紅は色々とインターネットを使って調べてみたが、やたらと派手な広告ページやどこかの店の情報量の少ないホームページしか出てこず、仕方なく『Lily』と書かれていた地味なホームページを選んだのだ。


 『Lily』のトップページには、こう書かれていた。『あなたの中の一番女性らしい部分を、一緒に見つけましょう』と。



 ◇◇



「美紅、一番気持ちいいやり方わかった?」


「……ううん、今、勉強してるところ」


「そう。わかったら教えてね」


「うん」


 翔子はそう言うと、寝る前の準備として大学の授業で使う本やノートなどをカバンに入れ始めた。


「翔子ちゃん、女子大って楽しい?」


「うん、まあ。でも何かちょっと……って思うことはあるよ。高校生の時の延長で、グループで分かれてたりするし。女子しかいないから、過激なこともみんな平気で言うの。大きい方が感じるよね、とか。もう二十歳だし、大人になった気分なのかな、みんな。でも私、そういうの苦手で……」


「そっか」


「だから、美紅がいいの。優しくしてくれるでしょう?」


「男の子みたいには、いかないと思うけど……」


「その方がいいの。興味はあるけど、男の子は嫌なんだから。美紅がいい。お願い、言うこと聞いて」


 必死に懇願する翔子が哀れに思え、「うん、わかってる。おやすみ」と言い捨てて翔子の部屋を出ると「何が、わかってる、よ」と小さくつぶやく。本当に美紅がわかっていることは、何かが歪んでねじ曲がってしまっているということだけだ。


 『Lily』に行ったことで翔子を置いて一人で大人になったような後ろめたさを、美紅は感じていた。



 ◇◇



 『Lily』に入れた次の予約は、一週間後だった。予約時刻の午後六時ちょうどに美紅が店を訪ねると、ちはるが笑顔で迎えてくれた。


「また予約してくれてうれしかった。いらっしゃい、美紅ちゃん」


 ちはるの形の良い唇が、薄く塗られたローズカラーを引き立てている。


「こ、こんばんは。今日はちょっと早めの時間帯で……」


「両方する?」


「う、ううん、今日は逆だけでいいです」


「そう? じゃあ、またあの部屋で」


 ちはるは今日も、細ストライプのブラウスにネイビーのジャケットとフレアスカートという、オフィスワークにぴったりな装いだ。それなのに色気を感じる。あの目がそうさせているのかな、唇もかな、と取りとめなく考えながら、美紅は部屋まで歩いた。


 前回と同じように梅ドリンクのペットボトルを乗せた簡易テーブルを挟んで椅子に座ると、ちはるは言った。


「今日は時間あるよね? 一緒にお風呂入ろう」


「お風呂はもう入ってきたので……」


「そうじゃなくて、お風呂でもしようってこと」


 二回目とはいえ、やはりまだ緊張してしまう。美紅は黙ってうなずくと、ちはるに促されて服を脱ぎ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る