第52話 とある日の風景

大学街へと続く石畳の細長い通りには、たくさんの小さな商店が並んでいる。


色とりどりのレンガや扉が織りなす風景はパステル調のかわいらしいモザイク画のようで、歩いているうちに心楽しい気分になってくる。


そんな街並みだ。


通りの中ほど、花屋とチーズ屋に挟まれたベーカリーの中に入ると、まず小麦粉とバターのほの甘い香りが流れてきて、たいていのお客さんはおいしい空気を体いっぱいに吸い込む。


扉の斜め向かいのショーケースの中には、数十種類ものパンやケーキ、焼き菓子がみっちりと並んでいる。


ここはパンとスイーツの人気店だ。


毎日開店と同時に、お客さんが途切れずにやってくる。


まだほんのりと温かい食パンのブロックを壁際の棚に積み重ねていた日鞠は、ドアベルがカランカランと鳴ったので上半身をひねった。


「こんにちは」


「いらっしゃい、みどりさん」


最近よく来てくれるお客さんに、日鞠は笑顔を向けた。


数か月前にこの地へやってきたみどりは、声楽の勉強をしに近くの音楽大学へ通っているという。


「今日はバゲットをいただいていくわね」


「はい、ありがとうございます」


バゲットを取り出して包み紙に巻き、ショーケース越しに手渡すと、みどりはお代のコインを差し出しながら日鞠の顔をしげしげと見つめた。


「なんでかしら。会うたびに、あなたのこと、前から知っているような気がしてしまうの」


また来るわね、とほほ笑みを残し、みどりは店を出ていった。


「ありがとうございました」


みどりを見送ると、店奥の厨房から、職人のジャンが出てきた。


「はい、ヒマリ。エクレアが焼きあがったよ」


「わぁ、おいしそうですね」


ジャンの作るエクレアはお店の人気商品だ。


シュー生地にコーティングされたチョコレートがつやつやとした光沢を放ち、うっとり眺めていられる美しさだ。


エクレアの載ったトレーを受け取り、つい頬を緩めていると、ジャンはくすりと笑った。


「君はいつも幸せそうな顔をしているね」


「そうですか?」


「そうさ。だから見ているこっちも幸せな気持ちになってくるよ」


ジャンが指先で日鞠の頬をつついた。


製菓技術を褒められたわけではないのだが、それでも目標にしている先輩職人の言葉に日鞠が内心喜んでいると、ドアベルが乱暴な音を立てた。


「おい。外から丸見えだぞ」


怒気をはらんだ声と共に、咲夜が店の入り口に立っていた。


「おまえたちは昼間から何をやってるんだ。ちゃんと働け!」


「学生くん。君こそ何を言ってるんだ。僕らは朝早くからちゃんと働いているよ」


ジャンの言葉に咲夜がますますいきり立つ。


「ジャ、ジャンさん……」


「ごめんごめん。つい面白くて。怖い番犬さんが来たから、僕は引っ込むとしよう」


ジャンは去り際に日鞠の頬をもう一度つつくと、厨房の中に戻っていった。


「日鞠っ」


「はいっ」


「クロワッサンを二つっ」


「はいっ」


クロワッサンを紙袋に入れて咲夜に渡す。


それを受け取りながら、咲夜がぶぜんと尋ねた。


「今日は何時に仕事が終わるんだ?」


「五時までです」


「じゃあいつもの公園のベンチで待ってる」


「え、でもあと二時間はありますよ?」


日鞠は壁の時計に目をやりながら答えた。


「別にいい。読まなきゃいけない本もあるし」


咲夜がまだどこかブスっとした表情で答えた。


「わかりました。終わったらすぐに向かいますね」


ん、とうなずき、店を出ようとした咲夜に向かって、日鞠は小さく手を振った。


「咲夜さん。また後で」


咲夜も軽く手を上げ、店を出ていった。


扉が閉まり、ドアベルが機嫌良さそうにカランと音を鳴らした。


咲夜は今、大学で法律の勉強をしている。


毎日夜遅くまで机に向かっていて、とても大変そうだ。


今日は日鞠が夕食当番の日なので、何がいいかと考え、寒くなってきたから体が温まるようにポトフにしようと決めた。


下宿先の部屋に帰る時、咲夜と一緒に公園のそばの市場に寄って、にんじんとローズマリーを買っていこう。


カランカランとまた音がしてお客さんが入ってきたので、日鞠は顔を上げた。


「いらっしゃいませ!」


店内に元気な声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花守の少女 かなた @g520236

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ