第17話 涅槃3
またまたしつこいですが、朝の愛犬の散歩中の話。
例のご夫婦を見かけなくなったと思ったら(第9話参照)、最近一人の男性を見かけるようになった。
年の頃は70代前半くらいで、中々体格のいいおじさんだ。
何故その人が気になったかというと、長期の海外旅行に持っていくような大きさの真っ赤なキャリーバッグを、毎日引っ張りながら歩いているからだ。1日、2日ならば大して気にならないのだろうが、2週間も続くと、やはり引っかかる。
もう既に3回目なので、慣れつつあったのだが、そろそろ来るかなと思っていたら案の定だった。
その日おじさんは俺に近づいてくると、「もしもし」と声をかけてくる。
「何でしょう?」
俺が応えると、おじさんはニコニコ顔で言った。
「このところ毎朝お会いしますね。そろそろ、このキャリーバッグの中身が気になりだす頃ではありませんか?」
一瞬俺はどう答えるべきか考えたが、関わるのが面倒だと思い、
「その中身が、あなたの奥様のご遺体などという、ありふれた平凡な話でしたら、まったく興味がありませんので、ご遠慮します」
と突っぱねて見た。
途端におじさんの顔が引きつる。
図星だったのか!
「えっと、私はどうしたら良いのでしょうか?」
そんなこと俺に訊かれてもな――と思いつつ、
「あなたは毎朝どこに行かれてるんですか?」
と、つい訊ねてしまった。悪い癖である。
途端におじさん、困り顔になって言う。
「それが、行く当てがなくて困ってるんです」
まるで答えになってないなと思いつつも、俺は閃いた。
「あなた、ネハンをご存じですか?」
「ネハン?仏教でいう涅槃のことですか?」
おっと、俺と同じ反応だ。これが正常な反応というものだろう。
「どうやら仏教の涅槃とは違うようなんです。聞いた話では、生きたまま行く場所のようで。ただ、最近そのネハンに行きたがっている方に、3人お会いしまして。どんな所かは詳しく教えて頂けなかったのですが、皆さん、とてもそこに行きたそうにされていたので、あなたもどうかと思った次第です」
おじさんは少しの間考えていたが、恐る恐る訊いてきた。
「そのネハンというのは、どこにあるのでしょうか?」
「私もよく分からないのですが、皆さん、山の方に向かって行かれましたよ」
俺がそう言うと、早速おじさんは踵を返し、
「ありがとうございました」
と言い捨てると、山の方向に向かって急ぎ足で歩いて行った。もちろんキャリーバッグの中の奥さんを連れて。
その後姿をホッとしながら見送りつつ、俺は思った。
これで送り込む側に回ってしまったようだが、この先俺もネハンに巻き込まれて行くのだろうか。それはそれで困ったことだな。興味がないと言えば噓になるが…。
すると愛犬が足元で急かし始めたので、俺は切り替えて散歩を続けることにした。
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