第10話 ピンポン

最近ずっと在宅勤務が続いているので、だんだんオフィスに通勤するのが面倒になって来た。その方が朝早くから仕事を始めることが出来て効率が良い――と、自分に言い聞かせている今日この頃である。

家にいると、結構人が訪ねてきて、インターフォンを鳴らすのが分かる。

ピンポンが鳴ると、うちの愛犬は突然番犬としての本能に目覚めた如く、猛然と吠え始め、その声にビビって、愛猫が一目散に2階へと駆け上がっていく、というのが我が家の日常風景となっているのだ。

在宅勤務中はWeb会議も入るので、会議中のピンポンの音が犬の鳴き声を誘発すると、かなり仕事に支障が出るので困ることも多々ある。宅配便の場合は、会議の予定を外して配達時間を指定できるのでよいのだが、困るのは突然の訪問者だ。

それ程頻繁でもないのだが、家の外壁塗装などの営業の方が、突然ピンポンを押すことがある。面白いのは、そういう方はピンポンを押した後、必ずと言ってよいほど、インターフォンのカメラから身を隠すようにすることだ。宅配業者や郵便局の配達員の方々は堂々とカメラに全身をさらして、やり取りしてくるので、もしかしたら、そういう訪問営業の共通マニュアルのようなものがあるのかな、などと思ったりもする。

そして結構多いのが宗教の勧誘である。こちらは業者の営業の方とは違って、何を世間に恥じることがあるかと言わんばかりに、堂々とカメラの正面に立っておられることが多い。毎回丁重にお断りしているので、どれ程の数の宗教が勧誘に来ているのか分からないのだが、とにかく世の中信心深い方々が多いものだと、つくづく感心してしまう。

その日も家で仕事をしているとピンポンが鳴った。

例によって愛犬は吠え始め、愛猫は2階へと駆け上がっていく。もう1匹の愛猫は、我関せずだ。

インターフォンのカメラをオンにすると、年配のご婦人が正面に立っていた。

そのご婦人曰く。

「私、近所に住んでおります誰それと言う者ですが、ご近所の皆様と建設的なお話をしたいと思い、お訪ねしました」

何?建設的なお話?

この勧誘科白のパターンは初めてであった。

取り敢えず、

「今は仕事中で忙しいので」

と言ってお断りすると、

「ではまた日を改めてお伺いします」

と言って、何か手元でメモを取っている様子。

しかしその時俺は、そのご婦人の容姿に違和感を覚えた。そして道路に面した窓から、こっそり外を覗き見る。歩道に立ってメモを取っているご婦人。髪の毛はまっ金々で、顔は懐かしの香港映画に出て来るキョンシーの如く、まっ白塗りではないか。

金髪キョンシーが顔を上げそうになったので、俺は慌てて窓際から顔を引っ込めた。

これは、やばいのが来たぞ。日を改めるって言ってたよな。

妻が出掛けて、留守だったのが幸いだった。あれを見たら、きっと怯えるに違いない。

金髪キョンシーは素直に去っていったようなので、仕事に戻ることにする。

そして翌日。またピンポンが鳴った。犬は吠え、猫は駆け上がる。

カメラをオンにすると、出た!昨日の金髪キョンシー。

しかも後ろにもう1体いるぞ。まさか増殖したのか?!

「建設的なお話を」

「申し訳ありませんが、ちょっと仕事が立て込んでいて」

そんなやり取りで、取り敢えずキョンシーズを追い払う。

そしてまた翌日。ピンポンが鳴った。

俺が期待半分、ビビり半分でカメラをオンにすると、やはりそこには金髪キョンシーが、威風堂々と立っておられる。しかも今日はもう1体増えて、3体に増殖しているではないか。

確か初日に、近所に住んでいると宣っていたが、一体うちの近所に金髪キョンシーが何体いるというのだ!?

もう来ないでくれと言おうかなと思ったが、どこまで増殖するのか、俄然興味が湧いて来る。まったく悪い癖である。

ということで、

「建設的なお話を」

「申し訳ありませんが、ちょっと仕事が立て込んでいて」

と恒例のやりとりをして、今日もお引き取り願った。キョンシーズ、存外素直である。

そのような日常が続き、10日目に入った。一度も妻の在宅中に来なかったのは、幸いである。このまま行く所まで行ってみようかなという気が、しなくもなかったのだが、さすがに少々飽きて来たので、今日は決着をつけることにする。

俺が玄関からポーチに出て、階段下に目をやると、歩道に整列した金髪キョンシー軍団。眼で数えると、きっちり10人いる。壮観である。背丈や体形、着ている服がまちまちだったので、本体から増殖した訳ではなさそうだ。

俺が階段を降りていくと、多分初日に訪ねて来た金髪キョンシー(1号と呼ぶことにする)が、10人を代表して、いつもの決まり文句を宣った。

「建設的なお話を」

俺は間髪入れず、1号を遮る。

「建設的なお話には、興味がない訳ではないのですが、その前にお願いがあるのです」

「お願いですか?」

1号は困惑したように訊き返す。

「そうです。実は最近この辺りに、不埒な首が出没するのです(第4話、第6話参照)。その首は、マンションの塀や民家の生垣から生えているのですが、とても不条理な奴でして。言うことも支離滅裂で困っているのです」

俺がそこまで言うと、1号はさらに困惑したような表情を浮かべた(ように見えた。実際は顔がキョンシーモードのため、表情が分かりにくい)。後ろに並んだ9キョンシーズも、互いに顔を見合わせて、何やら囁き合っている。しかし俺は構わず続ける。

「ですので、その首をとっ捕まえて、あなた方の建設的理念を、叩き込んでやってもらえませんか?そうすれば私も安心して暮らせますし、あなた方の建設的理念を拝聴することが出来ると思うのですが、いかがでしょう?」

俺の提案に対し、1号は困惑を極めた口調で訊く。

「あのお、その首というのは実在するのでしょうか?失礼ですが、あなたが幻覚を見られたとか…」

見かけと違ってまともな反応だ。それを見極め、俺は押し切ることにした。気が狂っていると思われ、引かれるのもよいかも知れない。

「事実です。私は2度見ましたし、実際にこの手で触ってもいます。あ、もしかしたら、最初は手か足が生えているかもしれませんが、引っ張り出したら首が付いている筈ですので」

確信をもって断言する俺に、1号は目をぱちくりさせる。そして後ろに控えたキョンシー軍団と何やら小声で協議すると、振り向いて言った。

「承知しました。では、極力あなたのご意向に沿えるように努力いたします。それでは失礼します」

そして金髪キョンシー軍団は、そそくさと逃げるように速足で去って行く。

俺はその後姿に向かって言って。

「そいつに建設的理念を叩き込んだら、是非ここまで連れて来て下さいね」

本当に見つけて連れてきたらどうしようかとも思ったが、その時はその時である。

仕事に戻ろう。

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