5.砂漠地帯
旅人が目を覚ますと、そこに獣人は居なかった。
一体どこへ行ったのものか、そう遠くへは行っていないだろうが。
親指と人差し指で作った輪を口に押し込み、甲高い笛の音を森中に響かせた。
朝の森はとても静かで、木霊する音までも鮮明に聞こえる。
目を閉じて、耳を澄ましてみよう。
―――――後方か。
そう思い、後ろを振り返った時には、静かに息を切らせた獣人が三間程先に立っていた。
流石は肉食動物、些細な気配しか感じ取れなかった。
「見つけました、師匠」
どうやら興奮状態の様だが、勝手に離れてもらっては困る。
「一体何を見つけたんだい」
少しは含みを持たせたかったが、目をきらきらと輝かせた彼をこの場で咎めるのは難しそうだ。
「本当にありました、砂漠地帯」
これだけ長く旅をしてきて、実際に砂漠を見るのは初めてだった。
意外にも耐えきれないという程の暑さは感じず、裸足で歩いている獣人が少々気掛かりな程度。
「足は熱くないか」
獣人は足裏を後ろに向けて、旅人に肉球を見せつけた。
掌に肉球は無かったが、二足歩行である故に足裏にはあるらしい。
さて、一体どんな仕組みで森と砂漠が同居しているのだろうか。
全く検討もつかない。
数年前読んだ本によれば、砂漠が砂漠である為にも、いくつかの条件が必要だということ。
無論、砂漠には草木が生えない。
数年に一度大雨が降るか降らないか、逆にそれ以上雨が降ってしまえば、砂漠にだって芽が生える。
数年に一度の大雨で、森は森であり続けられるか。
森林地帯との境目を思い出してみれば、やはり不可解な点が余りにも多い。
何か意図的な、人工的な、水平線の様に真っ直ぐ伸び続ける境界線。
自然の摂理に反する現象なのだから、それはもう
「物理魔法の一種、としか説明がつかないな」
獣人は振り返り、旅人越しに広がる森林地帯を一望した。
見渡す限りどこまでも伸びている、木々で出来た壁。
「師匠のお陰で、魔法と隣合わせの生活にも慣れてきましたよ」
ふむ、嫌味たらしく聞こえたのは気の所為か。
「なにか見えますね、あれ」
獣人の指差す先に、砂漠のど真ん中でぽつんと刺さっている何か、道標か看板か。
近くまで行ってみると、見覚えのない記号が書かれていた。
「気味の悪い文章ですね」
「お前、これが読めるのか」
「師匠は読めないんですか」
ふむ、馬鹿にされた気がする。
獣人は文字の上に息を吹きかけ、人差し指でなぞりながら呟いた。
ー 天使の国は すぐ頭上 ー
ー 其の存在を 信じるか ー
ー 其の存在を 崇めるか ー
ー 肯く者には 露われる ー
ー 肯 否 ー
「どこの国の文字だ」
「それが思い出せたら楽なんですけどね」
旅人は“肯”の字に指を二本置き、目を閉じた。
「師匠、何をしているんですか」
獣人の声は、もう届いていない。
「私は貴様の国を信じよう、貴様を崇めよう」
次の瞬間、旅人は消えてしまったのだから。
世界の二乗(じじょう) 宇留井るい @urui_rui
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