4.旅の事変

丁度食料も尽きた旅人は、太陽が登り始めると国の方へ引き返すことを提案した。

それにしても、この一帯は四六時中蒸し暑い割に、禍々しい虫や凶暴な獣、突然の悪天候なども無い。

実は、なんとも平和な百年旅であった。


向かうべき方向を旅人から教わった獣人は、前を率先して歩いていた。

「こんな湿度の高い森の先に、砂漠地帯なんて存在するものでしょうか」

獣人の鋭い質問に、旅人も感心した様子で

「伝説というのはそういうものだよ」

と、なんとも腑に落ちない回答でいなした。


獣人と丸一日過ごしたものの、未だ慣れない様子で後ろ姿を見つめる旅人。

赤子の虎というのは、岩穴の巣に身を潜め、母親の帰りを待つ習性があるそうだが、なぜ森のど真ん中で彼の傍に居たのだろう。

身寄りの無い虎だったとか。

だとすれば、彼とは“同じ穴の狸”といったところか⋯⋯正確には虎だが。


正直、動物との融合は成功するとは思えなかったが、これは正しく絵に描いたような獣人。

「二足歩行になるか」

蚊の鳴くような声で呟いた旅人を尻目に、獣人は着々と歩みを進めていった。


「師匠は融合魔法を軽んじてましたけど、そのお陰で僕は救われたんですから」

「治癒魔法を習得していた方が手っ取り早い」

旅人の即答に、獣人は眉をひそめて

「その場合、僕は師匠から名前を付けて貰えませんよね」

と頬を膨らませた。


さて、突然ではあるが、ひとつ訂正がある。

今この場をもって、“平和な百年旅”は幕を下ろした様だ。

「師匠、質問があります」

突然足を止めた獣人に、旅人もその場で停止した。

尻尾も天を向いてぴたり、と固まっている。

「こいつの赤い印、やや左を目指せと仰いましたよね」

“こいつ”というのは、持たせた方位磁針のことだ。

赤い印は、北の印。

南東一直線に歩いてきたのだから、北西に戻るのが得策。

帰る地点に多少のずれはあるが、また知らない地域へと帰り着くのも悪くは無いので、毎度この方法をとっている。

「針がぐるぐると回っている場合はどうしましょうか」


あの日の夜には帰れる算段だった。

森は何度も闇に呑まれ、その度にこうして薪の暖に身体を休めている。

「お前が居てくれて助かったよ」

獣人が捕らえてくる動物たちのお陰で、二人が空腹に困ることは無かった。

「師匠の融合魔法あってこそですから」

「物理魔法なら方位磁針くらい直せたかもしれないな」

獣人の得意気な発言は、旅人の冷静さに上手く打ち消されてしまう。

そんな獣人を、旅人は愛おしく思った。


「僕たちは一体、どこに向かっているんでしょう」

三日三晩歩き続けているのだから、不安になるのもやむなしだろう。

「旅の目的は一旦忘れてくれて構わない」

その言葉に、獣人ははっと顔を上げた。

意外にも、彼の顔は優しく微笑んでいた。

「お前との出会いは、単なる偶然には思えないんだ」

瀕死の少年、赤子の虎、獣人の成功、狂った方位磁針。

「旅がようやく始まったような。それでいて、求めている答えは近くにも遠くにも感じる」

獣人には、旅人の考えはよく分からなかったが、彼の温かい表情に、心は呑み込まれていった。

「互いが互いを必要とする。そんな関係を築くのは容易なことでは無い」

旅人の言葉で気付かされた。

彼は辛かったのだろう。

苦しかったのだろう。

言葉面や声色で隠されていたに過ぎない、そんな些細で当たり前のことに。

「僕らの出会いは必然だったという訳ですか」

旅人は口元を緩め、顔を少し傾けた。

「目的は常に変化する。高い水準の正解に辿り着くための大切な過程さ」

だとすれば、現時点で旅人の目的は何に変化したのだろうか。

獣人の考えを見通すように、旅人は彼の頭に優しく手を置いた。

「そしてそれをもっと分かるために、旅を続けているのかもしれない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る