3.獣になった少年

日が落ちると森は表情を変え、容赦の無い暗闇に包まれる。

声の低い鳥たちの鳴き声、夜風に揺れる木々のざわめき、森に響くそれらは全て、パチパチと薪が燃える音に吸い込まれた。

鼠色の髪束を後ろで結んだ彼は、虚ろな目で火の向こうを見つめながら、淡々と話を聞かせてくれた。


「さて、次は君の話を聞く番だ、黄色い髪の少年よ」

そうは言われても、何も話すことが無いので困った。

旅人の百年話を聞かされた後に綴れる物語など、あって溜まるものか。

言葉を詰まらせている僕を他所に、旅人は言葉を連ねていく。

「尻尾が生えた気分はどうかな、窮屈でないと良いのだけれど」

その声を合図に、僕の尻尾は左右に素早く揺れた。


「記憶が、無いのです」

旅人に命を救ってもらったことは、まず間違いようの無い事実だろうが、他のことを思い出そうとすると、こう、こめかみの辺りがずきずきと痛む。

まるで思い出すことを妨害するかの様だ。


「名前も覚えていないかい」

旅人の声は、ただただ優しい。

今迄は勿論、いやきっと、人間の耳があったのだろうが、今は三角の大きな耳が頭に二つ、髪を掻き分けてぴん、と生えている。

問いかけに対し顔を左右に振ると、尻尾も釣られて再び左右に揺れた。


覚えているのは一つだけ。

かんかんに照らされた太陽の下、体を動かすことも目を開けることも出来なかったこと。

ふと聞こえる獣の甲高い鳴き声。

手元に毛並みの温もりを感じていると、やがて旅人の声がしたのだ。

「お前は生きたいかい、例え人間で無くなったとしても」

こんな森で、孤独に死にたい訳が無い。

僕は、生きたい。


目が覚めると、獣になっていた。

先の旅人の話から察するに、僕の懐に居たであろう獣と融合されたのだろう。

紛れもない命の恩人だ。


「獣人、でどうだろうか」

旅人は相変わらず、僕の尻尾の動きを注意深く見ていた。

「安易な名前だが、お前に名前をつけてやれるほど立派な人間では無いからね」

「感謝します、師匠」

思わず口から零れた言葉に、旅人は恥ずかしそうに下を向きながら、それでも横目で尻尾の先を追いかけている。

「師匠と呼ばれるほど立派な人間では無い」


彼の為に出来ることが僕にはあるだろうか。

行く宛ても無い、自分が何者かも分からない、そんな似た者同士の二人の前に、神さまは微笑んでくれるだろうか。

今はただ、この人の傍に居たい。


薪の燃える音に耳をすませながら、これから始まる旅物語に胸を膨らませるのであった。

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