第23話 ~強い絆~

 現れたその人は、龍馬さんだった。


 陽之助さんの胸倉を掴んでいる沢村さんを見て、龍馬さんが目を見張る。

 だけどそれは一瞬で、彼は直ぐに険しい表情になって叫んだ。

「何をしゆう!!」


 龍馬さんが足早に近づいてくるのを見て、沢村さんが陽之助さんの胸倉を掴んでいた手を、バッと乱暴に放した。

 陽之助さんもイラッとした表情で、気崩れた着物を正す。


「おんしらァは何をしゆうがじゃ。『仕事に戻りや』ち言うたはずぜよ」

「何を言いゆう。龍馬も龍馬ぜよ」

 隊士たちを見回しながら言う龍馬さんに、沢村さんが言い返す。

 龍馬さんが、怪訝な表情を浮かべた。


 沢村さんは続ける。

「龍馬、謙吉から聞いたけんど、陸奥は労咳やったがじゃにゃァ。不治の病をわずろうたヤツが隊内にるゆうに、どういてオレらァに言わんがぜ」


 竹中さんを昏倒させ、屋敷から逃げていた夜――龍馬さんは陽之助さんに、海援隊士たちに病のことを知らせるか訊いていた。最初は龍馬さんも、海援隊士たちに知らせるつもりだったらしいけど、陽之助さんが首を縦に振らなかった為、せめて長岡さんだけには言うことになったみたいだった。


 だけどそれと同時に、龍馬さんはこう言っていた。

『心配せんでい。オマンを泣かせるようなヤツは、ワシが許さんき』


 その言葉を聞いた時は何も思わなかったけど、あれは一体どういう意味だったのだろう?

 長岡さん以外には言わないから、心配することも泣くこともないという意味だったのか。それとも、隊長として一応皆には言うけれど、仮にそれで陽之助さんを非難する人が出てきても、自分が護るという意味だったのか。


 でもどちらにせよ、龍馬さんには龍馬さんの考えがあるはずだ。


「それが、陸奥の希望やったき。けんど……」

 僅かに声のトーンを落としながら、龍馬さんが陽之助さんを振り返る。


 そういえば龍馬さんは、仕事中は陽之助さんのことを名字で呼んでるんだったな。きっと彼は、隊士さんたち全員に対して、平等に接しようとしているんだろう。


「陸奥、オマンには悪いけんど、ワシはオマンのらん場所で、皆ァに労咳のことを伝えるつもりやったがじゃ。オマンも海援隊の大事な仲間じゃ。仲間が不治の病にかかるゆうがは、重大なことやき。けんど、オマンは普段から皆ァと折り合いが悪い……。やき、オマンのらん場所で言うて、オマンを非難しようとするヤツは、ワシが止めようち思いよったがじゃ」


 つまり、あの言葉の真意は後者だったんだ。陽之助さんの人間関係や意向に配慮した上で、隊全体の為に動く――それが龍馬さんの目的だったんだろう。


 陽之助さんは、驚いたように軽く目を見張っていたけど、龍馬さんに不服を唱えたりはしなかった。


「改めて言うけんど、陽之助は労咳ぜよ。ワシの前でも、


 長岡さんから聞いていた為か、隊士の皆さんはさして驚くことなく、龍馬さんを見ている。


「陸奥に仕事を休ませたがは、龍馬オマンかえ?」

「そうじゃ。ワシが陸奥に、仕事を休むように言うたがぜよ。昨日の夜から今朝まで、高熱に魘されよったき」

 沢村さんの問いに頷き、昨夜のことを軽く説明する龍馬さん。


 海援隊の隊長である龍馬さんの言葉は、信頼しているのだろう――沢村さんを始めとする隊士さんたちが、幾らか納得したような顔で相槌を打った。


 隊士さんたちに責め立てられていた陽之助さんが、「龍馬さんに仕事を休むように言われた」と言わなかったのは、恐らく彼らの誹謗中傷の矛先が、龍馬さんに向かない為だったのだろう。


「長岡、ちっくととおせ」

 龍馬さんに名を呼ばれた長岡さんが、彼と陽之助さんの前に進み出てくる。


 あたしは、この人に看病されることになるんだ。

 着物と同じように袖の広い白衣と、整えられた短い黒髪――清潔感のある爽やかなその佇まいは、相変わらず小児科のイケメン医師のようだった。


「オマンは医家の出やき、陽之助や萌華の看病をしちゃってくれんかえ? 勿論、ケガ人が出たときは、治療も頼むぜよ」

理解わかったき。任せとおせ」

 長岡さんは快く返事をした後、あたしと陽之助さんを一瞥した。


「……ケホッ」

 と、陽之助さんが不意に咳をし始め、長岡さんが彼に懐紙を手渡す。


 龍馬さんが反射的に振り返り、咳のたびに揺れる陽之助さんの肩を、両手で支えた。


「コン、コン……ケホッゴホゴホッ……ゲホゲホッゴホン!!」

 乾いていた咳は湿り気を帯び、痰が絡み出す。咳はよりヒドくなった。


 陽之助さんが懐紙を口に当て、喉と胸の辺りを押さえる。


「ゴホッゴホッ……ゲホゲホッゴホッ、ゲホッ!!」

 彼が口元に当てる懐紙の一部が、ジワッとあかくなった。――血痰だ。


 懐紙を握り締めて固く目を閉じながら、陽之助さんは乱れた呼吸いきを整えようとする。

 彼の唇の端は、少量の鮮血に濡れていた。


「陸奥、血が……!」

 沢村さんと長岡さんが言った。


「陸奥、大丈夫かえ……!?」

 龍馬さんが声を掛ける。

 陽之助さんが頷いた。


「オレらァに感染うつしたら、承知せんぜよ。オマンはやき」

 沢村さんが舌打ちして、吐き捨てるように言う。


 陽之助さんの背中をさすっていた龍馬さんが、突然立ち上がった。

「そんな言い方ないろう!!」


「どういてぜ。ホンマのことじゃないかえ」

 と、嘲笑うように口の端を持ち上げる沢村さん。


 龍馬さんが眉をひそめた。

 陽之助さんが口を真一文字にキュッと引き結び、刺し貫く程の眼差しを隊士さんたちに向ける。


「ちっくと休んだ方がいぜよ、陸奥。立てるかえ?」

 咳き込んだ陽之助さんを気遣ってか、長岡さんが言った。


「陽之助も萌華も、ちっくと休みや。長岡、2人を部屋に連れていっとおせ」

 龍馬さんが同調する。


 陽之助さんが頷き、長岡さんの手を借りて立ち上がった。そして長岡さんに連れられ、その場を後にする。

 あたしも、2人の後に続いた。


 1階の奥にある、少し急な階段を上る。大人の男女2人が並べるくらいの幅で、上るたびにミシミシと音がしていた。

 階段を上った先には、まっすぐに廊下が伸びていた。廊下の両端には、ズラリと襖がある。恐らく、隊長の龍馬さんや主要隊士さんの部屋だろう。


 案内されたのは、最奥にある5畳の和室だった。

 陽之助さんの部屋は、あたしの部屋のはす向かいだ。労咳だからだろう――障子を開けて、換気をしてある。


「何かあったら、誰やちいきすんぐに呼びや」

 そう言って、長岡さんは階段を降りていった。


 あたしと陽之助さんが残される。

 長岡さんが階段を降りる音がとお退いていき、廊下は静まり返った。


 あたしの胸に、大きな後悔が襲ってきた。


『お願いだから、死なないで。生きて』

 以前、あたしは陽之助さんにそう言った。まだ、陽之助さんが龍馬さんをどれだけ大切に想っているか知らなかったあの日、新撰組と戦っている龍馬さんを助けに行こうとした陽之助さんに、あたしが掛けた言葉だ。


 陽之助さんは龍馬さんが本当に大好きで、兄のように慕っていて、2人は家族にも等しい強い絆で結ばれている。家族から心理的虐待を受けてきた陽之助さんにとっては、家族よりも強い繋がりだろう。


 9年前に龍馬さんに救われ、海援隊という活躍の場を与えられたからこそ、陽之助さんは龍馬さんに全てを捧げようとしている。


 龍馬さんの為なら、武器を持っていなくても敵に立ち向かっていく。

 龍馬さんの為なら、憎まれ役も買って出る。

 龍馬さんの為なら、病が悪化することも厭わない。


 陽之助さんの龍馬さんへの想いは、本当に本当に強い。


 それは今だからこそ理解わかることであって、あの頃のあたしはまだ理解わからなかった。

 理解わからなかったのに、自分の都合であんなことを言ってしまった。陽之助さんは、どんなに傷ついただろう? どんなに不快な想いをしただろう?


 あたしは、陽之助さんが好きだ。気が付くと、1番失いたくない人になっていた。


 だけど、今になって思う。陽之助さんがあたしを愛してくれても、きっとあたしは陽之助さんの『1番』じゃない。

 あたしじゃ――彼の『1番』にはなれない。


 今だから理解わかる。

 彼は、だったんだ――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

《旧版》涙色の夢路(ゆめ)【上】 陽萌奈 @himena1159

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画