【25】

志賀武史(しがたけふみ)二等陸佐が率いる部隊は、その後<ストリーム>と遭遇することなく、下水道の出口に繋がる階段まで到達することが出来た。そういう意味では大蝶斉天(おうちょうなりたか)の想定が正しかったということになるのだが、志賀は単なる僥倖だったと考えている。そもそも彼は、大蝶が他人の生命に、毛ほどの重みも感じていないことを熟知しているので、今回の作戦が、それ程成功率の高い想定で練られていないということを確信していた。むしろ成功率はかなり低いだろうと考えている。何しろ敵陣深く入り込んで、本陣に控える猫の首に鈴をつけて来るような、馬鹿げた作戦なのだから。

それでも志賀が、自分を含めた部下全員の生命を投げ出すような、この作成の遂行に同意したのは、単にそれ以外の選択肢がなかったという理由だけだった。伊野慧吾(いのけいご)などは、作戦の成功率の低さと危険性を考慮してか、衛星画像による<ストリーム>本体の特定と爆撃の目標設定を主張したのだが、現在木場公園付近は、現在高い磁場に覆われているため、衛星画像による特定が不可能という結論に達していた。磁場の原因は、<ストリーム>が帯びている電気のようだ。結局現地に行って、目視による確認が必要ということになったのだ。作戦のために用意されたGPS信号の発信機はかなりの高出力であり、磁場の影響を受けないらしいのだが、それを可能な限り<ストリーム>本体の近く、出来れば本体そのものに設置しなければ、作戦目的は水泡に帰することになる。途轍もなく難易度の高い作戦なのだ。志賀の部下たちも、そのことを作戦自体の危険性と共に十分に認識していて、部隊全体が緊張感に溢れていた。

階段の下で部隊を停止させた志賀は、田島と岡のベテラン二名を偵察に出す。慎重に階段を上った二人の隊員は出口の前で立ち止まると、慎重に鉄製の扉を押した。すると扉は施錠されていないらしく、音もなくゆっくりと開く。蘆田光たちが言っていたように、広田という下水道局の職員が、鍵を掛けないままにしていたようだ。田島は金属棒の先に取り付けた、監視用のスコープカメラを扉から突き出し、周囲の状況を撮影し始めた。その映像は志賀たちの待機場所で、パソコンに映し出される。出口周辺の建物の敷地内に異変はなさそうだ。<ストリーム>がここまで進出していないらしい。

志賀は小隊長の小柴に、

「2列で出口まで昇るぞ。先頭の4名にはいつでも窒素を噴射できるように準備させておけ」

と命令した。小柴は無言で肯くと、小さいが鋭い声で小隊に志賀の命令を伝達する。隊員たちは黙々と準備を整えると、整列して階段を昇って行った。隊の最後尾で階段を登り切った志賀は、隊員たちを掻き分けて先頭に出ると、田島と岡を下がらせ、扉の外の様子を伺った。そして周囲の安全を確認すると、先頭の隊員4名に命令して扉の外に展開させる。外に出た4名は窒素の噴射器を構えて周囲を油断なく見回した。周辺に異常はないようだ。志賀は4人に続いて自ら外に出ると、後続の隊員たちを促す。その指示に従い、小隊全員が黙々と外に出て整列した。

「嬢ちゃんたちの話だと、反対側に事務所の入口があるらしい。小柴、4人偵察に出せ」

志賀の命令に敬礼で返した小柴は、隊員の中から4名を指名し、建物の反対側の偵察に向かわせた。4人は黙々と命令に従う。5分程経過して1人が戻って来ると、

「事務所の入口付近、異常ありません」

と低い声で報告した。それに頷いた志賀が「全員移動」と短く命令すると、小柴が隊の先頭に立って進む。志賀は隊の最後尾で下水道局の玄関に入った。ロビーは比較的広かったが、隊員たちで溢れかえっている。まだ空調が利いているのが有り難かった。

「4名建物内の偵察に行かせています」

小柴の報告に彼は無言で肯くと、

「その他の者には小休止を取らせろ」

と命令し、自身はその場に胡坐をかいて座り込んだ。隊員たちも彼に見習い、それぞれの場所に座り込む。そうしているうちに屋内の偵察に出ていた4名の隊員たちが戻って来た。

「誰か生存者がいたか?」

志賀の問いに全員が顔を見合わせたが、富樫という隊員が、

「生存者は見当たりませんでした」

と皆を代表するように言った。その報告に志賀は、「そうか」と一言呟くだけだった。

光たちの話では、屋内に広田という職員が残留している筈だったが、その姿がないということは、この場所を離れたということだろう。その後の彼の運命いついて、志賀は考えなくもなかったが、今は作戦の実行が最優先だと思い直す。

「どこか全員で作戦会議が出来る部屋はないか」

志賀が富樫らに向かって問うと、木村という若い隊員が、

「3階に大きめの会議室がありました。そこであれば全員を収容できると思います」

と歯切れよく答える。

「よし、全員3階に移動」

即座に命令して、志賀は3階に向かった。

会議室は木村の報告通り、かなりの大きさで、椅子を並べて全員がすわれるだけのスペースがあった。そして幸いなことに液晶プロジェクターが設置されていた。全員が着席するのを待って、杉尾がパソコンをプロジェクターに接続して、デスクトップの画面を正面のスクリーンに投影する。そこには木場公園と、現在いる下水道局周辺の地図が映し出されていた。

「現在地はここ、目的の木場公園噴水広場はこちらであります。直線にして約1Km程の距離であります」

杉尾が地図上でマウスを操作しながら説明した。

「GPS発信機をドローンに装着して、<ストリーム>の中心まで飛ばすとして、どの辺りまで前進するかが作戦の要だな」

スクリーン上の地図を睨みながら志賀が呟く。そして、

「小柴、ドローンは何機持ってきた?」

と確認した。

「13機携行してます」

「GPS発信機は?」

「作戦には、かなりの高出力が求められるということでしたので、2つのみです。」

「発信機が目標に到達した際に、遠隔で発信装置をオンにする必要があるんだったな」

「はい、オンにした状態で飛ばすことも可能ですが、目標に到達しなかった場合に誤爆につながりますので」

隊員たちは二人のやりとりを、固唾を飲んで聞いている。

志賀は少しの間黙考していたが、

「遠隔操作の電波はどの程度の距離まで届くんだ?」

と、今度は杉尾に向かって訊いた。

「500mが限界と聞いております」

杉尾が彼に答える。それを聞いた志賀は、即座に決断した。

「よし、ここの西方向の建造物の間を抜けて、この豊住公園まで進軍する。そこから木場公園内にドローンを飛ばして、目標物を狙うこととする」

志賀の言葉に小柴が反応した。

「隊長、蘆田さんたちの話では、その建造物のある箇所は、米軍機の墜落場所ということでした。一旦斥候を出して通行可能かどうか、確認する必要があると思います」

しかし志賀の決断は揺るがない。

「駄目だ。時間が惜しい。斥候を出すにしても全隊で進軍しながら逐次的に出すようにする。全員装備着用の上、1階ロビーに集合!」

志賀の有無を言わせぬ命令に、小柴は少し渋い顔で頷き、隊員たちは一斉に動き出した。


***

下水道の出口まで来た蘆田光と篠崎渚は、踊り場で一息ついた。扉は開け放してある。おそらく自衛隊員たちがそうしたのだろうと光は思った。

「これからどうする?」

渚が訊くと、

「取りあえず外の様子見ながら、あのコンビニの方まで行って見るしかねえべ」

と光が呑気に言った。

「つまりノープランって訳ですね。やれやれ」

渚は呆れながらも反対はしなかった。そして扉の外に顔だけ出して、周囲の状況を確認すると、光に「行くよ」と言って外に出た。

二人は急ぎ足で建物の周囲を進み、事務所の玄関に滑り込む。中は相変わらず空調が利いていた。ほっとした二人は、持参したペットボトルの水を飲んで水分補給する。長時間歩き通しだったので、かなり汗をかいていたからだ。一息ついた光は、

「広田さんを探してみよう」

と渚を促した。そして建物の奥に入って行く。途中から二人で手分けして4階建ての建物内部をくまなく探し回ったが、広田の姿はなかった。ロビーに降りて渚と落ち合った彼女は、

「どうだった?」

と念のため確認したが、渚は黙って首を横に振るだけだった。光は落胆と同時に、再び激しい怒りを感じた。厳しい顔で黙り込む彼女の肩を叩いた渚は、

「とにかく外に出て様子を見よう。何時までもここにいたって仕方ないし」

と言った。光の心情を察したのだろう。頷いた光は、渚と共に下水道局の事務所を後にした。大通りに出た二人は周囲の様子を伺う。例の突起物が幾つか路上に突き出していたが、いずれも表面が白く凍りついている。

「これって、自衛隊がやったんかな」

「多分そうだろうね」

二人は車道を渡り、昨日決死の思い出走り抜けた橋の向こう側の様子を伺った。そこでは車道に沿って突起物が突き出していて、むしろ昨日よりも数が増えているように見えた。

「あっちは無理っぽいね」

渚が言うと、光は悔しそうに舌打ちした。

「あんたの気持ちは分かるけど、あっちに行くのは自殺行為だよ」

「分かってるよ」

「それよりもこっちに行って見ねえ?」

「自衛隊の後追うの?」

「何か決着が気になるじゃん」

「確かにね。ほんじゃあ、行って見るか。このまま帰るのも何か癪だしな」

二人は頷きあい、木場公園の方向に向かって歩き出した。


***

志賀武史率いる小隊は、豊住公園を目指して進んでいた。隊列の先頭から後尾までの一定間隔で、隊員が空中に液体窒素を噴霧して隊のカムフラージュを試みる。斥候を出すまでもなく、目的地方向に向かって突起物が一定間隔で並んでいるのに遭遇したが、即座に液体窒素を噴霧して沈黙させた。目的地までの中間地点付近では、撃墜された米軍機の残骸が発見された。機体は周囲の建物を巻き込んで爆発炎上した後に、<ストリーム>の攻撃を受けたらしく、大部分が骨格を残して消失していた。その惨状を横目に見ながら隊は先へと進む。前方に新たな突起物が認められたが、先頭の数名が盾を構えて突起物に向かって突進し、続く数名が液体窒素を噴霧する。

「隊長」

「何だ」

小柴の呼びかけに志賀が短く答える。

「先程から<ストリーム>の様子がおかしいと思われるのですが」

「続けろ」

「途中遭遇したものもそうですが、あの突起物も妙に反応が鈍いというか、殆ど我々に反応していないように思われるのですが」

「確かにそうだな。いくら兵隊どもが素早く窒素を吹きかけてるとは言え、まったく動きがないのは妙だな」

「どうしましょうか?このまま進軍しますか?」

「当然だ。敵の反応が鈍いのは僥倖だと思え。ただし、くれぐれも油断するな」

志賀の命令に頷いた小柴は隊を先導すべく、隊列の前方に向かって駆けて行った。


***

<ソミョル>の外郭内部で異変が生じていた。

核を中心に全方向に伸ばした外殻の、ある個所の最先端で取り込んだ物質の中に混入していた物体が、外殻に蓄えられた水分の中で、爆発的に増殖し始めたのだ。その物体は周囲の<共生体>を破壊して取り込みながら、テリトリーを広げ始めた。その様な状況は以前にも発生したが、その時は比較的短時間の間に異物を駆逐することが出来た。<共生体>にはテリトリーの防御機能があり、侵入者に対して反射的に攻撃を仕掛けるからだ。しかし今回の異物は以前の物とは比較にならない程強靭で、その場に存在する<共生体>だけでは、駆逐することが出来ない程だった。<ソミョル>自体には感情や感覚はなく、当然危機意識の様なものはなかったのだが、その壮大な外殻を通して、内部の<共生者>にシグナルが発信された。そのシグナルを受け取った<共生体>が、異物が発生した部位に向かって一斉に移動し始める。

今、村崎貴之(むらさきたかゆき)の執念と、玉木勇の覚悟が、人類反攻の狼煙を上げたのだった。


***

志賀が率いる小隊は、目的地である豊住公園に到着した。下水道局を出てから、既に1時間が経過している。

部隊は公園内の灌木が茂る場所に展開していた。<ストリーム>からの攻撃に備えて、隊員たちが断続的に液体窒素を部隊周辺に噴霧している。また周囲にある突起物も液体窒素で沈黙させていた。しかし携行した液体窒素を既に8割方消費していたので、作戦を急ぐ必要があった。ここから運河を挟んだ対岸に位置する、木場公園内にある<ストリーム>本体に向かってドローンを飛ばし、GPS信号の発信機を設置することが彼らの任務だった。その信号を受けた米軍横須賀基地の爆撃機が、バンカーバスターを用いてピンポイントで<ストリーム>本体を攻撃する予定なのだ。目標物である本体は、ここから肉眼で目視できる程の大きさだった。

「栗橋、対岸の状況確認。杉尾、ドローンの準備」

志賀は鋭く命じた。その命令に従って、栗橋は双眼鏡で対岸の状況を確認しつつ報告した。

「目標物と思われる巨大突起物は、約400m前方にあります。周辺にはかなりの突起物が密集しています。その数は20を超えています」

報告を聞いた志賀は、

「ちっ。迫撃砲で周りの奴をけん制しようと思ってたが、携行してる81mmじゃあ、射程が届かんか。仕方がない。杉尾、偵察用のドローンを飛ばせ。GPSの発信機はまだ装着するな」

と命令した。既に準備を終えていた杉尾は、リモコンを操作して黒光りする機体を発信させた。そのプロペラ音が周辺に鳴り響く。杉尾はドローンを垂直に上昇させた後、ゆっくりと木場公園方面に向かって飛翔させる。やがて別の隊員が携行していたパソコンの画面に、ドローンからの映像が送られてきた。運河を超え木場公園内に入ると、広々とした園内のあちこちから突起物が生えているのが確認できた。ドローンが本体と思われる突起物に向かって近づいて行くと、突然画像が乱れ、やがて消失した。

「撃墜されたらしいな。あの近辺の<ストリーム>は活発に活動しているということだ。これまでのような僥倖は期待できないということか。まあ、それ程甘くはないわな」

志賀は一人呟くと、部隊に命令を発した。

「ドローン数機で陽動を行う。敵が囮を攻撃している隙を狙って発信機を搭載したドローンを、目標物に到達させるんだ。小柴、ドローンの操作が出来る者は何名いる?」

「杉尾を除いて5名であります」

「では、その5名は囮の操作。杉尾は本命を操作しろ。液体窒素の残量も少ない。急いで用意しろ」

指名された6名が志賀に向かって敬礼し、きびきびと動き始めた。やがて準備が整うと、

「GPS発信機は2個だけだが、1度失敗してもやり直しがきくと思って、落ち着いて行け。陽動班はなるべく乱雑な軌道でドローンを飛行させろ。杉尾が本体を飛ばすタイミングは俺が指示する。いいか。全員気合い入れて行けよ。作戦開始!」

志賀の命令一下、5機のドローンが一斉に発進した。間隔を開けながら垂直方向に飛びあがった機体は、それぞれ目標に向かって飛行する。5機すべてが木場公園上空に到達した時、

「杉尾、飛ばせ」

という鋭い命令が飛んだ。杉尾は命令に従ってGPS発信機を装着させたドローンを発進させる。そしてその機体が本体の上空に差し掛かろうとした時、陽動で飛ばしていた5機のドローンが、次々と<ストリーム>に呑み込まれていった。パソコンの画面を見ながら状況を見ていた志賀は、杉尾が操作するドローンが本体の映像を映し出した時、

「今だ、降下させろ」

と命じた。すぐさま杉尾が機体を降下させる。

その時、ドローンからの画像が先程と同じく唐突にパソコンの画面から消失した。

それを見ていた小柴や他の隊員たちが、一斉に失望の声を上げる。部隊に落胆が広がった。しかし志賀は動じない。

「速やかに次のドローンを飛ばす準備をしろ。囮部隊は1回目と同じ要領でやれ。杉尾、今回は出来るだけ低空から本体に接近させるんだ。いいか?」

志賀の命令に、隊員たちは我に返ったように活動を再開した。

「小柴、本部に連絡して横須賀の米軍に爆撃機の発進を依頼させろ。時間が惜しい」

小柴はその命令に頷くと、無線機を手に取り対策本部に連絡する。その様子を見ながら志賀は杉尾に向かって言った。

「いいか杉尾。お前が操作するドローンに、人類の運命が乗っかってるんだ。大役だぞ。気合い入れて行け」

その激励に、杉尾は顔を青ざめさせて応える。

「隊長、プレッシャーきつ過ぎます」

「アホ。それくらいのプレッシャーを跳ね返すくらいの根性がなけりゃあ、軍隊なんぞやってられるか。失敗したら俺の隊から叩き出すぞ」

「止めて下さいよ、隊長。それに俺たち軍隊じゃないですって」

そう言いながら杉尾は、一度掌の汗を隊服で拭うと、緊張に青ざめた面持ちでドローンの操縦デバイスを手に取った。

「よし、作戦開始。囮部隊、発進させろ」

志賀が命じると5機のドローンがすぐさま発進した。

「よし、杉尾、お前の機も発進させろ。ゆっくりと低空から目標物を狙うんだ」

杉尾は黙って肯くと、ドローンを発進させた。運河上空では水面のぎりぎり上を滑空させ、木場公園に入った後は慎重に灌木の間を縫うように飛行させる。

その様子を、パソコン画面を通して見ていた志賀は、

「よし、一旦そこで静止させろ」

と命じた。その間に囮のドローンのうち3機が撃墜されていたが、残りの2機を操作する隊員が、必死の形相で<ストリーム>の攻撃を躱している。その2機を目掛けて複数の水流が噴きつけたその時、

「今だ!目標物に向かって飛ばせ!」

と志賀が語気鋭く命じた。そして杉尾が操縦するドローンは、<ストリーム>本体に向かって地上すれすれを滑るように飛び、その根元と思われる場所に着陸した。その様子をパソコン画面で見ていた隊員たちが、一斉に歓声を上げる。周囲の警戒に当たっていた者たちも、その声に振り返って思わず笑みを浮かべた。

その時。

液体窒素で沈黙させていた突起物の先端から水流が噴出し、一人の隊員を飲み込んだ。周囲に展開していた別の隊員二名が、憤怒の形相を浮かべて、その突起物に向かって液体窒素を噴射する。それによって突起物は再び凍結されたが、それが終わりではなかった。隊の周辺のあちこちにある突起物が、不気味な音を上げ始めたのだ。

「総員終結!固まって円陣を組み、前方に盾!後方から液体窒素噴射」

志賀の怒号のような命令が飛ぶ。

隊員たちは速やかに志賀の周囲に集結すると、彼の命令通りの体勢を整えた。しかし一人の隊員が遅れていた。携帯した荷物の中から、GPS発信機の起動スイッチを取り出すのに手間取ったのだ。隊員が円陣に向かって駆けだしたその瞬間、彼の後ろで水流が噴出した。その音に振り返った隊員は、咄嗟の判断でスイッチを思い切り放り投げる。しかし足元を取られた彼がスイッチを投げたのは、円陣とはかけ離れた方向だった。

その一部始終を、その場に立ち上がって見ていた志賀の眼に次に映ったのは、彼が<ストリーム>に呑み込まれる姿だった。

「岡あああああああ!」

志賀の咆哮が、<ストリーム>の発する轟音をかき消すように周囲に響く。

栗橋と富樫が、今にも円陣から飛び出しそうな志賀の巨躯を必死に押さえつける。

「隊長!冷静になって下さい」

そう叫ぶ小柴を、志賀は凄まじい形相で睨みつけたが、「ふう」と一つ大きく息を吐くと、その場で姿勢を低くした。そして、

「スイッチはどこだ?」

と周囲に訊く。

「あちらです」

と隊員の一人が指差す方を見た志賀は、厳しい表情を浮かべた。

段差の上に灌木が植えられた付近に、スイッチが落ちている。距離にしてここから20m程ありそうだ。そしてその手前両側に、地面から突起物が2つ飛び出していた。

「もう1個のスイッチは?」

志賀が短く訊くと、

「岡が携行しておりましたので、おそらく」

と小柴が顔を伏せる。状況は最悪だった。取れる手段は一つ。液体窒素を撒き散らしながら全部隊でスイッチに向かうことだ。しかし多数の犠牲は避けられないだろう。全滅する可能性も否定できない。

それでもやるしかないと、志賀が再度スイッチが落ちた方向を見たその時、段差の向こう側から誰かが顔を覗かせ、こちらに向かって手を振っているのが見えた。


***

蘆田光と篠崎渚が、自衛隊員たちが展開している場所付近に到着し、段差になった場所から顔を出した時、目の前に何かが転がり落ちてきた。拾い上げて見ると何かのスイッチのようだ。灌木の向こう側の様子を見ると、20m程向こうで自衛隊員たちが透明な盾を前面に出して円陣を組んでいた。その右の方では突起物に水流が戻っていくのが見える。それに向かって志賀という、どでかい体の隊長が何か叫んでいた。

光は志賀たちに向けて、リモコンを持つ手を少し振って合図する。志賀ともう一人がすぐに気づいたようで、こちらに向かって必死の形相で何か叫び始めた。しかし遠過ぎて、その声がよく聞こえない。

「そのスイッチ、押せって言ってんじゃねえ?」

横から顔を出していた渚が呟く。

そうか――と思い、光がその機械を見ると、中央に何かスイッチのボタンらしきものがあった。光は渚の方を見て頷くと、勢いをつけて段差の上に跳び上がると、あたりを睥睨(へいげい)するようにすっくと立った。遥か向こうに、巨大な突起物が聳えているのが見える。

「何で上ぼるわけ?」

そう言いながら、渚も光の横に立った。

「ヒロインってえのはね、こういう時は堂々と立つものなの」

「なあにがヒロインだよ!いいから、さっさとそれ押しなよ!」

「まったくロマンの欠片もない奴だな。あんたは」

そうぼやきながら光は、右手を高々と上げると、

「これでも喰らえ!」

と叫び、スイッチを勢いよく押した。しかし光の意気込みも虚しく何も起こらない。

「何も起こらねえぞ。もしかして故障か?」

「あたしに聞かれても知らん。それより、何で『これでも喰らえ』なわけ?」

「ほっとけ!咄嗟に出たんだよ。それよりこの後どうすんだろう?あれ?オッサンたち何か言ってねえ?」

「確かに。逃げろって言ってるみたいだな」

その時、轟音と共に遥か上空を何かが通り過ぎた。それに呼応するように水柱があちこちから一斉に噴き上がる。光たちが空を見上げると、上空から翼のついた巨大な鉛筆の様な物が、物凄いスピードで落ちて来ていた。それは公園内に、ひと際高く聳え立つ突起物めがけて一直線に落下すると、轟音と振動を周囲にまき散らした。

その光景を呆然と眺めていた光は突然我に返ると、

「渚!やべえぞ。隠れろ!」

と叫び、さっき飛び出して来た段差の下に飛び降りた。渚もそれに続く。しかし二人が着地した途端、近くで水流が噴き上げる轟音がした。見上げると数m先で何本もの水柱が立ち上っている。そのうちの1本が、まるでこちらを感知したかのように、光たちに向かおうとしていた。

「やべっ!こっち来るぞ」

「げっ!こりゃ死んだか?」

二人が同時に叫んだ瞬間、先程とは比べ物にならない規模の轟音と振動が響いた。光と渚は反射的に地面に突っ伏すと、両手で頭部を保護する姿勢を取る。轟音はしばらく続き、やがて辺りに静寂が戻った。光が顔を上げると、頭上からパラパラと何かが振りそいでくる。掌をかざして落ちてきたものを見ると、それは何かの燃滓のようだった。

「何だこりゃ?」

そう言いながら隣の渚を見ると、あらぬ方向に目を向けている。

「あんた、何見てんの?」

「え?ああ、とにかく水の方は収まったみたいだな」

そう言いながら立ち上がった渚は、

「よっこらせ」

と、オッサンくさいことを掛け声で段差の上に昇った。続いて段差の上に立った光は先程の巨大鉛筆が落下した場所を見ると、思わず驚きの声を上げる。

「すっげえ!あのでっかい筍、跡形もなくぶっ飛んでるぞ!」

「おお、マジかい。さっきのあの爆弾かな?」

「水も噴き出してないな。もしかして、まとめてやっつけた?」

「かもな。すっげー威力」

その時遠くから二人を呼ぶ声がした。

「おおい、嬢ちゃんたち。無事か?」

二人が声の方に顔を向けると、志賀の巨体が見えた。後に隊員たちもいるようだ。光はこちらに駆け寄ってくる志賀たちに向かって手を上げると、

「ジエータイのオッサンたち、無事のようだな」

と、隣の渚に笑顔を向ける。

「そうみたいね」

しかし渚はあらぬ方を向いて、上の空で返事をするだけだった。

――こいつ、さっきから何を気にしてんだろう?

そこへ志賀たちの一団がやって来た。

「あんたら、怪我はねえか?」

「ああ、大丈夫。それよりさっきのあれ何?空から降って来たやつ」

光はそう返したが、渚はあらぬ方向を向いたままだ。

「あれは通称<バスターバンカー>っていう、地中貫通爆弾だ」

「何それ?」

「固い地盤を貫通して、地中に入って爆発する爆弾だよ。まあ、アメリカ製だけどな」

「ふうん。でもって、あたしが押したスイッチは何よ?」

「あれはGPS発信機の起動装置。あのでっかい奴の根元に設置した発信機のスイッチだよ。そこから発進された信号をキャッチして、米軍の爆撃機がピンポイントでさっきのバスターバンカーを落としたってことだ」

「ふうん。つまりあたしがスイッチを押したおかげで、あの筍をぶっ飛ばせたわけだ」

「そういうことだな」

「ほんでもって、あの水はどうなったん?1本も噴き出してないけど」

「そいつは俺も分からんな。だが、どうやら本体がぶっ飛んだおかげで、末端の水流の方も収まったようだな」

「ということは、あいつらまとめてやっつけられたのは、あたしのお蔭ってこと?」

「まあ、そうなるな。しかし何であんたら、ここにいるんだ?地下道のあそこから帰る約束じゃなかったか?」

「えへへ、そこはまあ結果オーライということで」

光の返事に志賀は苦笑する。

その時、それまで無言でいた渚が、急にその場を離れて歩き出した。そして20mほど歩いたところでしゃがみ込む。渚を追いかけて来た光が、

「あんた急に何やってんの?」

と訊くと、

「これがね。さっきの爆発の時に飛んで来て、ここに落ちた」

と言いながら地面を指さす。光が見るとそこには、表面が毛のようなもので覆われたボール状のものが落ちていた。

「何それ?」

「分からん」

渚がその球体に手を伸ばそうとすると、

「ちょっと待て!それに触るな!」

と、背後から鋭い声で静止された。二人が一斉に振り向くと、そこには志賀の慌てた顔があった。

「それに触るな。害があるかも知れん」

「害?何これ?」

「多分それが、あの巨大植物の本体だ」

光の問いに志賀が答える。

「これがあ?」

「マジで?」

「ああ、多分な」

二人のツッコミに、志賀は苦笑混りで返す。

「こんなしょっぼい毬藻みたいなのが?やれやれ。で、これどうするの?」

「ああ、回収して、どこかの研究所行きだな。あとは知らん」

そう言いながら志賀は、部下にそれの回収を命じる。その時渚が、いつの間にか手にした木の枝で球体を突きながら言った。

「ねえねえ、これってちょっと小分けして、お持ち帰りしたら駄目かなあ?」

「駄目に決まってんじゃん。大体そんなもん持って帰ってどうすんだよ?」

呆れて言葉が出ない志賀に代わって、光がツッコむ。すると渚はしゃあしゃあとした顔で答えた。

「いやあ、その。家で増やして、ネットで売りさばこうかなっと」

「はあ?馬鹿か、お前?!んなもん増やして、また暴れ出したらどうすんだよ?」

二人のやり取りに、志賀はとうとう堪えきれず爆笑してしまった。周囲の自衛隊員たちからも笑いが漏れる。

「じゃあさ、こいつを退治したあたしらに何か賞金とか出ないの?」

それでも渚は諦めない。

「確かに。一応あたしら、江東区をこいつから救った訳だし」

光も同調した。その光に、志賀は苦笑と共に返した。

「江東区って、何でそんなスケールが小さい?あんたたちは一応、日本というか、長い目で見て、世界を救ったことになるんだがな」

「えっ?世界?」

「てことはあれか。国連とかから賞金が出る?」

二人が同時に目を輝かせると、志賀は困った顔で答えた。

「多分出んな。まあ、首相か、せいぜい東京都知事からの感謝状が関の山だろう」

「ちぇっ。やっぱし無理か」

「表彰状って。いらんわ、そんなもん」

「それより、さっきの返事がまだなんだがな」

「さっきの返事って何よ?」

「だから何で、あそこで帰らずに、こっそりここまで来たかってことだよ。何か目的があったんだろう?一応民間人を危険に晒しちまったからな。理由くらいは聞いとかんとな」

志賀の問いに光が口籠っていると、横から渚が口を挿んだ。

「ああ、それはこいつの探し物、というか人探しかな」

「人探し?何だそりゃ?」

志賀がさらに問い詰めようとした時、「隊長」と、少し離れた場所から隊員の一人が彼を呼んだ。

「どうした?」

志賀が訊くと、

「民間人を一人保護しました」

という返事が返って来た。見れば小柄な男を連れている。

「あ、お前!生きてたんか!」

光が叫ぶと、隊員に支えられて歩いてきた男が顔を上げた。一昨日の脱出行の際に光たちを先行させるために残った、彼女の<ストーカー>、沢渡裕(さわたりゆたか)だった。

沢渡は光の姿を認めると、「光さん」と弱々しく言って、泣きそうな表情を浮かべた。

「知り合いか?」

志賀の問いに、

「あれがこいつの探し物」

と渚が答える。

「彼氏か?」

「んなわけないだろ!」

光は即座に否定する。志賀は困惑した顔を渚に向けた。

「あれはこいつのストーカー。んでもって何であたしらが、そのストーカーを探しに来たかと言うと、話せば長いんで止めとくわ」

渚は彼の困惑を察して答える。その答えを聞いて志賀は、今日何度目かの苦笑を浮かべた。

――まったく、この嬢ちゃんたちには敵わんな。

その時近づいてきた沢渡が、

「光さあん」

と弱々しく言いながら、彼女に縋りつこうとした。その肩に光の回し蹴りが炸裂する。

「てめえ、勝手にあたしの体に触るんじゃねえ!それから、あたしのことを、光さん――なんて馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ!何回言ったら分かるんだ?」

よろけて倒れ込んだ沢渡を傲然と見下ろしながら、光はそう言って凄んだ。周囲の自衛隊員たちは呆れてその様子を眺めている。

すると渚がその場にしゃがみ込み、

「お前さ。いい加減この暴力女に絡むの止めとけって。そのうち怪我するぞ」

といいながら、沢渡の頭をポンポンと叩く。

「誰が暴力女だって?」

すかさず光が返すと、渚は立ち上がって言った。

「あんた以外にはおらんな。ジエータイの皆さんもそう思ってる」

渚の指摘に周囲を見回した光は、そこにいる隊員たちが笑いをこらえているのを見て、思わず赤面してしまった。その時爆音と共に、2機のヘリコプターが近づいて来るのが見えた。

「お迎えが来たようだな。お前ら、撤収の準備。島田、そこのストーカーの兄ちゃんを立たせてやれ」

志賀は部下に指示すると、光たちに向かって言った。

「あんたらも撤収だ。一応、対策本部で事情聴取くらいはあると思うが」

「え?事情聴取って何よ?」

渚が彼の言葉に即座に反応する。

「まあ、勝手にここまでついて来たんだから、仕方ないだろう。心配すんな。俺からも、あんたらのお蔭で作戦完遂出来たことを、大蝶の奴に言っとくから。後はあいつが悪いようにはせんだろう」

「大蝶って、あのカンリョーのオッサン?頼りになるの?」

渚の言葉に志賀は思わず噴き出した。あの大蝶を捉まえて<オッサン>呼ばわりするのは多分この二人が初めてだろう。

――この二人、ある意味最強かも知れんな。

志賀のそんな慨嘆をよそに、光たちは今後の話し合いを始めた。

「ところで渚、あんたこれからどうすんの?」

「マンション戻れるかなあ?」

「この様子じゃ、当分無理じゃね?しゃあねえから、うちの実家で面倒見てやるよ」

「マジ?助かるう」

そんなやり取りをする光の脳裏に、突然富田良子の顔が浮かんだ。すると急に涙が込み上げて来る。

――富田先生、終わったよ。

「どうした?あんた、もしかして泣いてんの?」

渚が光の顔を覗きこんで言った。

「泣いてねえよ」

光のその言葉を、ヘリコプターの轟音が遮る。

「おおい。引き上げんぞ」

志賀のドスの効いた声が響いた。

ヘリに向かいながら光は、

――ところで、これからK幼稚園て、どうなるんだろう?

と、場違いなことを考えていた。

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