第71話

蟻臣ありおみ、部屋で休みたいのだが?」

 美夜部みやべが言うと、

「うむ、案内しよう」

 と蟻臣ありおみ美蘭みらんを部屋へと案内した。

「ここを使ってくれ」

 と蟻臣ありおみは言って、自分も自室へ戻った。

「合体術を解く」

 美夜部みやべはそう言って術を解くと、二人の精神は分離し、美夜部みやべは元の姿に、紅蘭こうらんは妖力を使い果たし、子狐の姿に戻り、ぐったりと横たわった。

「無理をさせてすまなかった」

 美夜部みやべはそう言って、紅蘭こうらんの身体にそっと触れて、霊力を注いだ。

「俺は大丈夫だ。休んでいれば回復する。お前も力を使って弱っているんだから、俺に力を分けなくていい」

 紅蘭こうらんが弱弱しく言うと、

「俺たちは二人で一人。俺の力はお前の物だ。遠慮はいらぬ」

 そう言って、美夜部みやべ紅蘭こうらんに微笑みを向けた。紅蘭こうらん美夜部みやべに顔を向けると、人の姿になって笑みを返した。

「力が満ちた。もう大丈夫だ」

 紅蘭こうらんのその言葉を聞き、

「うむ」

 美夜部みたべは頷いて、紅蘭こうらんの身体をそっと包み、

「もう少し修練が必要だな」

 と言葉を続けた。


 陽が傾く頃、美夜部みやべ紅蘭こうらんの部屋へ、蟻臣ありおみしきが食事を運んできた。

「お食事です」

 としきが声をかけると、

「おおっ! 飯だ! ここでもしきって奴を使ってるんだな?」

 紅蘭こうらんが嬉しそうに御簾を上げて膳を受け取った。

「子狐、箸を使え」

 早速、手で食べようとする紅蘭こうらんに向かって美夜部みやべが言った。

「箸は馴れぬ!」

 と不服そうな顔をしながらも、紅蘭こうらんは素直に箸を使って食べ始めた。

「ほら、こぼすなよ」

 不器用に箸を使う紅蘭こうらんを、美夜部みやべは甲斐甲斐しく世話をした。

「ほら、口を汚したぞ」

 と手拭きで拭うと、紅蘭こうらんは嬉しそうに笑みを浮かべながらも、

「仕方ないだろう! 箸は馴れぬ!」

 と文句を言った。


 食事が済むと、しきは黙って膳を下げて戻っていく。それを見て、

「あいつら、働き者だな」

 と紅蘭こうらんは感心しながら言った。

「そうだな」

 美夜部みやべ紅蘭こうらんに優しい眼差しを向けて答えて、

「今日はゆっくり休め。明日は出来るだけ長く合体術を保ってみようと思う」

 と続けた。

「おう! 分かった!」

 外は夕日が沈み、ゆっくりと帳が下りてゆくと、涼し気な虫たちの声が秋の始まりを告げた。


 一方、玄理くろまろは都にいる葛城の術者と連絡を取るため、ある者を呼び寄せた。

「兄様、お呼びいただき光栄です。兄様のご期待に沿えるよう力を尽くします」

 そう言って、玄理くろまろの前に跪いたのは、若い術者で、名を武内真鳥たけうちのまとり。先日、宮中で殺された美鳥みとりの兄。

「うむ。美鳥みとりの事、守ってやれず、済まなかった」

 玄理くろまろが詫びて頭を下げると、

「兄様! おやめください。美鳥みとりの死は兄様のせいではございませぬ。兄である私の責任です。どうか頭をお上げください」

 真鳥まとりは平伏し、玄理くろまろに懇願した。

「分かった。もう頭は下げない。だから、お前も頭を上げなさい」

 真鳥まとりが頭を上げて向き直ると、玄理くろまろはいつもの柔らかな笑みを向けた。

「お互い、辛かったな。お前を死なせはしない。俺の頼みを聞いてくれるか?」

 玄理くろまろの言葉に、真鳥まとりは嬉しそうに、

「はい!」

 と元気な返事をした。


 玄理くろまろ真鳥まとりの弟、武内美鳥たけうちのみとりについて、赤麻呂あかまろからの報告を受けていた。美鳥みとりを宮中へと招き入れたのは、警備の大伴氏の者だった。物部布都久留もののべのふつくるとの繋がりは確証を得られず、その大伴氏の者は自宅で自害していた。大伴氏と言えば、赤麻呂あかまろとは同族であり、この事については赤麻呂あかまろも介入すると怒りを露わにした。美鳥みとりについては、死因が術者による外傷で、殺したのは自害した大伴氏の者だと断定した。朝廷でもその事件について処分が下され、自害した大伴氏の屋敷を取り上げ、家族は退去させられたという。そして、赤麻呂はその家族を住吉へと転居させた。


 美鳥みとりの亡骸は葛城山へ運ばれ、家族が見守る中、丁重に埋葬された。美鳥みとりには幼い弟が二人と、兄の真鳥まとりがいた。彼らは仲が良く、強い絆で結ばれていただけに、美鳥みとりの死はとても辛いものだった。しかし、彼らは術者であり修行者。家族の死とはいつもとなり合わせ、大切な者の死を、いつまでも引きずるわけにはいかなかった。真鳥まとりは毅然とした態度で葬儀を終え、これからの戦いに気持ちを向け、修練に励んでいた。そんな時に、玄理くろまろから声がかかり、都へと馳せ参じたというわけだ。


「では、これからお前の任務を伝えよう」

 玄理くろまろはそう、前置きして説明を始めた。


 この都には、葛城氏の術者が数人いる。彼らは、物部氏の者の陰謀により、宮中での職を解かれ、自宅に軟禁状態で監視されている。彼らが謀反を企む事を恐れているからだろう。そんな状態だから、俺が直接会いに行く事も、しきや術を使った方法での連絡も、敵に知られてしまう。そこで、お前の出番だ。お前の得意な方法で、彼らと連絡を取りたいのだ。やってくれるか?


 玄理くろまろ真鳥まとりに聞くと、

「はい! 喜んで!」

 真鳥まとりは嬉しそうに返事をした。真鳥まとりの得意な方法とは、虫を使う事だった。弟の美鳥みとりも虫を使った蟲毒の術を得意としていた。真鳥まとりは虫使いとしては特段に秀でていて、小さな虫を使い、敵に悟られることなく、どこへでも侵入させる事が出来、虫を通じて見る事も聞くことも出来た。

「では早速、この地図を見て場所を覚えてくれ。全部で五か所。五人の術者のそれぞれの屋敷だ。虫を彼らに元へ送ったら、俺の言葉を彼らに伝えて欲しい。今すぐできるか?」

 玄理くろまろが聞くと、

「はい、出来ます」

 と真鳥まとりが答えた。

「では始めろ」

 玄理くろまろの指示に従って、真鳥まとりは虫を操り、それぞれの屋敷へと向かわせた。

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