第70話

 美夜部みやべは表へ出て、融合体の力を試すことにした。

「さて、始めるとするか」

 と美夜部みやべは己に言って、

「子狐、お前はただ身を委ねろ」

 と紅蘭こうらんに向けて言った。

「うむ。分かった」

 紅蘭こうらんが返事をすると、満足げに笑みを浮かべ、美夜部みやべは得意の幻術を試した。術を発動させると、辺りは満開の桜に囲まれ、花吹雪が緩やかに舞い、芳しく甘い香りが漂う。

「おお! これは凄いぞ!」

 紅蘭こうらんは大喜びだが、その術が創り出した空間にいる者たちは、慌てふためき、敵の来襲だと逃げ回った。

「始まったな」

 笑みを浮かべて、花霞はながすみの中から優雅に歩いて来たのは葛城蟻臣かつらぎのありおみ

「皆の者、慌てるでない。美蘭みらんの幻術だ。少し修練に付き合ってくれ」

 と術者たちに言って、

美蘭みらん、私が相手をしよう」

 と笑みを向けた。暫くは何事も起こらなかったが、術者たちは何かに怯え始め、叫んだり怒鳴ったり、泣いたりと、様々な苦しみを露わにした。

「みんな、どうしたのだ? 何が起こったのだ?」

 紅蘭こうらんには訳が分からず、美夜部みやべに尋ねた。

「彼らは皆、それぞれに幻覚を見ているのだ」


 蟻臣ありおみは幼き頃に戻っていた。

「父上、私を見てください」

 兄である、葛城円かつらぎのまどかが修練する様子を見ていた父に向かって、蟻臣ありおみは言った。しかし、父は蟻臣ありおみへ視線を向けることはなかった。まるで、自分は存在しないかのように。

「父上、私も上達したのです。だから、見てください」

 何度、声をかけても、父には届かなかった。そして、兄であるまどかも、弟の蟻臣ありおみの声は聞こえていなかった。幼い蟻臣ありおみにはそれが苦痛で堪らなかった、兄までも、自分を見てくれない事に深く傷ついた。

「なぜ、私を見てくれないのです! 父上! 兄上までも! なぜ、私の言葉を聞いてくれないのですか!」

 どんなに叫んでも、蟻臣ありおみの声は届かなかった。悲しみと悔しさが込み上げて、蟻臣ありおみは声を上げて泣いた。


美夜部みやべ、術を解いてくれ」

 蟻臣ありおみは何とか正気を取り戻して言うと、

「分かった」

 美夜部みやべがそう言って幻術を解くと、蟻臣ありおみは膝を折り、力なく項垂れた。

「お前の幻術は、並の術者には解けぬだろう。この私でさえも……」

 蟻臣ありおみの言葉に、

「苦しみを与えて悪かった」

 と美夜部みやべが手を差し出すと、蟻臣ありおみは薄く笑みを浮かべて、

「いや、この術を知る事が出来て良かった」

 と手を握り立ち上がった。他の術者は、意識を失い倒れる者、放心状態の者と、正気に戻るまでには時間を要した。

「お前、大丈夫か? 他の奴らも、どうしたのだ? って、一体なんだ?」

 紅蘭こうらんがまだ理解できていないようで、美夜部みやべに聞いた。

「これは幻術といって、幻覚、つまり夢のようなものを見せたのだ。彼らが見たものは、それぞれ違う。ただ、一番怖いものが見えていたはずだ。それで皆、怯えたり叫んだりしたのだ」

 美夜部みやべが答えると、

「それじゃあ、お前も怖いものを見だのだな? 何が見えたのだ?」

 と紅蘭こうらん蟻臣ありおみに聞くと、

「私が恐れるものが何か知りたいようだが、それは私の弱点でもある。教えることは出来ない」

 と答えた。

「そうか! そうだよな! 弱点は教えちゃ駄目だな」

 と紅蘭こうらんは納得して、

「それで、この術は何に役立つのだ?」

 と美夜部みやべに聞いた。

「この術を敵にかければ、皆、彼らのようになる」

 と、術者たちに視線を向けて、

「戦う事が出来なくなるのだ」

 と続けると、

「そうか! 敵が戦えなくなれば、俺たちの勝ちだな! 子兎、お前、意外と頭がいいんだな!」

 と嬉しそうに言った。

「ああ。俺は賢いんだ」

 美夜部みやべが言って笑みを浮かべると、その二人の会話を聞いていた蟻臣ありおみが、

「本当にお前たちは面白いな。一人の身体で二人が会話するとは」

 と楽しげに笑った。

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