第65話

 腹を満たし、満足した紅蘭こうらんはうとうとし始めた。そんな彼を穏やかに見つめる美夜部みやべ

「まるで小さな子供のようだな」

 と小さく呟き、紅蘭こうらんの髪をそっと撫でた。そうして、しばらく二人の時間を過ごし、陽が高く昇る頃、玄理くろまろが彼らの部屋へ来て声をかけた。

美夜部みやべ紅蘭こうらん、話しがあるがいいか?」

 美夜部みやべは、子狐の姿で眠る紅蘭こうらんを見て、

「うむ」

 と答えた。御簾みすを上げて玄理くろまろが部屋へ入ると、

「おっ! 玄理くろまろ!」

 紅蘭こうらんは飛び起きて、ふさふさの尻尾を激しく振る。

紅蘭こうらん、今から大事な話をするからよく聞いていて」

 と玄理くろまろが言葉をかけると、

「うむ!」

 と紅蘭こうらん返事をして、人の姿になり、美夜部みやべの隣へ座した。

「話してくれ! よ~く聞いているぞ!」

 と真剣な眼差しを玄理くろまろに向ける紅蘭こうらんを見て、笑みを浮かべ、玄理くろまろは話し始めた。


 今、宮中で起きている事は、物部氏もののべうじ葛城氏かつらぎうじの因縁によるもので、『白朱びゃくしゅの大戦』という、激しい戦いで、互いに多くの仲間を失っていた。その恨みが、見えない所で沸々と煮え滾っている。この戦いはきっと、どちらかが滅びるまで続くだろう。

 と言う玄理くろまろの顔に影が落ちる。

「それで? この落とし前、どうつける?」

 美夜部みやべが眼光を光らせて言う。彼の怒り、そして恨みは深い。『白朱びゃくしゅの大戦』で兄と弟が命を落とし、そのむくろが物部の鬼術きじゅつにより、傀儡かいらいとして操られ、美夜部みやべを襲わせたのだ。そして、その兄弟の手にした二本の剣に刺されて一度死んでいる。その美夜部みやべの身体を玄理くろまろが術で元に戻し、妖化した魂を徐福じょふくの術によって、身体へと戻したのだ。彼の数奇な運命は、すべてあの大戦が元凶だった。すべては物部が元凶だった。それ故に恨みは深く、物部氏を根絶やしにしてもその恨み、怒りは収まらないだろう。失った者は二度と戻らないのだから。


「そうだな。もちろん、このつけは払ってもらう。お前と考えは同じだ。葛城氏の敵は全て殺す」

 玄理くろまろがそんな物騒な言葉を口にすることは、おそらく初めてだろう。美夜部みやべも僅かに眉を上げて驚いていた。しかし、玄理くろまろのその意を決した表情を見ると、彼もまた、怒りに燃えているのだと知る。

「だが、相手は狡猾だ。そして、『鬼術十篇きじゅつじっぺん』を持っている。あれにどんな術が記されているかを知る必要があるだろう。そして、その術にどう対処するかを考えなければならない。あの骸を傀儡として操る術、あれを防がなくてはこちらに勝機はない」

 あのおぞましい鬼術。思い出しただけでも、玄理くろまろは胸が締め付けられた。美夜部みやべもまた、苦悩の表情を浮かべている。

「お前たち? 大丈夫か?」

 二人を見て、紅蘭こうらんは心配そうに声をかけた。

「大丈夫だ」

 美夜部みやべがそう言って、紅蘭こうらんの頭に手を置いて、無理に笑顔を作った。

「大丈夫じゃないだろう! そんな顔して! お前ら、酷い目にあったんだろう! 俺が物部の奴らをやっつけてやる!」

 と紅蘭こうらんは怒りを露わにして立ち上がり、足でくうを踏みつけ、拳でくうを殴りつける。

「怒ってくれてありがとう」

 玄理くろまろがいつもの柔らかな笑顔を向けて紅蘭こうらんに言って、

「落ち着け、子狐」

 と呆れたような、それでいて、少し嬉しそうに笑みを浮かべて美夜部みやべが言った。

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