第63話

 翌朝、紅蘭こうらん玄理くろまろの気配に気付いて飛び起きた。

玄理くろまろ!」

 紅蘭こうらんの尻尾に包まれて眠っていた白兎しろうさぎの姿の美夜部みやべは、激しく振る紅蘭こうらんの尻尾に当たり、コロコロと転がった。

子狐こぎつね! 尻尾が当たったぞ!」

 そんな二人の様子に笑みを浮かべた玄理くろまろが、下がった御簾みすの向こう側から、

紅蘭こうらん美夜部みやべ、久しいな」

 と二人に声をかけると、美夜部みやべは人の姿になって御簾を上げ、

「懐かしむほど時は経っていない。さあ、入れ」

 と心なしか不機嫌そうに言った。紅蘭こうらん玄理くろまろと会えたことを喜んでいるのが気に食わないのだろう。

「それで? どうけりをつける?」

 美夜部みやべが聞くと、

「俺たちの身内が殺されたんだ。その代償は払ってもらおう」

 と玄理くろまろがいつになく語尾を強めるのを見て、彼の怒りが相当なものだと紅蘭こうらんにも分かった。

「うむ。俺も怒っているぞ! 悪い奴らはみんな殺してやる!」

 と紅蘭こうらんが怒りを露わにして言うと、玄理くろまろは息を一つ吐いて、心を落ち着かせ、

紅蘭こうらん、俺たちの為に怒ってくれてありがとう。でも、相手は強い。お前が傷つくのは見たくないのだよ」

 と優しく笑みを向けて言った。紅蘭こうらんは、頬を膨らませ、

「俺だって、お前たちが傷つくのは見たくないぞ!」

 と言葉を返した。それを見て美夜部みやべは、紅蘭こうらんをそっと包むように抱き、

「お前の気持ちは分かっている。俺がお前を守る」

 と紅蘭こうらんに誓った。

「おう! 俺もお前を守る!」

 紅蘭こうらんも嬉しそうに美夜部みやべに誓った。そんな二人を見て、片時も離れたくないのだと悟った玄理くろまろは、諦めたように息を吐き、

「分かったよ。お前たちは離れずにいろ」

 と言葉をかけて、

紅蘭こうらんから、絶対に離れるなよ』

 と美夜部みやべに念で伝えると、

『無論だ』

 と美夜部みやべから返って来た。玄理くろまろは静かに頷き、

「さて、そろそろ俺の屋敷に戻ろうかな?」

 と言った。

玄理くろまろの屋敷って、どこにあるんだ?」

 紅蘭こうらんがきょとんとした顔で聞いた。


 都に来た時、玄理くろまろには屋敷が与えられたが、それはまるで嫌がらせのようにボロボロの廃屋。それに動じることなく、玄理くろまろは人足と木材を手配し、しきを使って昼夜問わず作業を続けさせていたため、既に住むことが出来るほどに出来上がっていた。

 屋敷が出来るまで大伴赤麻呂おおとものあかまろの屋敷に仮住まいしていたことを美夜部みやべ紅蘭こうらんに話した。

「赤麻呂、世話になったな。自分の屋敷へ戻るよ。美夜部みやべ紅蘭こうらんも来て賑やかになった」

 と赤麻呂に礼を言って別れた。赤麻呂や、彼の家族に害が及ぶ事は避けなければならないと、玄理くろまろは心に強く決めていた。

 玄理くろまろたちが屋敷に着くと、美夜部みやべが怪訝な表情をして、紅蘭こうらんは、その異様な雰囲気に、

「なんだ? ここに何をかくまっているんだ?」

 と聞く。

「まあ、入れ。お前たちには害はない」

 と笑みを浮かべて、二人を促し、結界の張られた屋敷へと入っていった。美夜部みやべ紅蘭こうらん玄理くろまろのあとに続いて屋敷へと足を踏み入れる。強いあやかしの妖気に気付いたが、玄理くろまろが害はないと言うなら、その判断は正しいと、美夜部みやべ紅蘭こうらんは知っていた。

「蛙、警戒しなくていい。二人は俺の友だ。お前を害することはしないから安心しろ」

 と姿を見せない蛙に向かって玄理くろまろが言うと、

『うむ』

 とだけ、念で返事が返って来た。美夜部みやべ紅蘭こうらんにもその声は聞こえて、

「おお? 頭の中に声が聞こえたぞ?」

 紅蘭こうらんが不思議そうに辺りを見回した。

「蛙は人見知りでね。慣れるまでは姿を見せないだろう」

 玄理くろまろは笑って言った。

「なんで、頭の中に声が聞こえるんだ?」

 紅蘭こうらんが聞くと、

「それは念という。高位の修行者が使う術で、声を出さずとも会話が出来る。術を極めれば、どれほど離れていても念で話せるのだ」

 と美夜部みやべが答えた。

「ふむ? なんか、分かったような? お前と玄理くろまろも念で話したと言っていたよな? 遠く離れていても話せると? でも、蛙は遠くに居るわけじゃないだろう? なんで念で話すのだ?」

 紅蘭こうらんが再び聞くと、

「蛙は念でしか話せないのだよ。修行により、念が使えて、人と話すことが出来るようになったのだ」

 と玄理くろまろが答えた。

「そうか! それは偉いな! 偉いぞ、蛙! どこにいるんだ蛙? かくれんぼしてるのか? 俺と遊ぼう!」

 紅蘭こうらんは嬉しくなって、子狐の姿になって、ぴょんぴょんと飛びながら蛙を探し始めた。

紅蘭こうらん、蛙は恥ずかしがり屋なんだ」

 呆れて玄理くろまろが言うが、その声は届いてはおらず、蛙の妖気をくんくんと嗅いで、その居場所を見つけたようで、そちらの方向へと駆けだして行った。

「大丈夫かな? 蛙……」

 玄理くろまろが心配そうにつぶやくと、

「安心しろ、子狐は蛙を傷つけはしない」

 と美夜部みやべがぽつりと答えた。玄理くろまろも、紅蘭こうらんが蛙を傷つけることはないと分かっている。ただ、あの無邪気さは、蛙にとって好ましくはないだろうと思うのだった。

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