第62話

 食事を終え小屋へ帰り、暫し黙してから、

「子狐、身支度をしろ。日が暮れる前に都へ行く」

 と美夜部みやべが言うと、

「おう! 身支度も何もない。いつでも行けるぞ」

 と紅蘭こうらんは答えた。

「うむ。では行こう」

 美夜部みやべはそう言って、紅蘭こうらんを掬う様に抱き上げた。

「ん? 俺、歩けるぞ?」

 紅蘭こうらんが小首をかしげて言うと、

縮地しゅくちの術で行く」

 と美夜部みやべが答えた。

「あの、しゅって行くやつ、お前も使えるのか?」

 紅蘭こうらんが聞くと、

「ふんっ! 無論だ」

 と得意げに答えて、

「しっかり掴まっていろ」

 と紅蘭こうらんに視線を向けて言った。二人の顔の距離は鼻先がつくほどに近い。紅蘭こうらんはにっこり笑って、

「おう! ちゃんと掴まっている」

 と答えて、美夜部みやべの首の後ろに手を回して、しっかりと身体を寄せた。美夜部みやべは満足気に笑みを浮かべ、

「行くぞ」

 と言った。次の瞬間には都の大正門の近くに来ていた。夜になれば門は閉まる。そろそろ、陽が傾き始めていて、門を通る者も少なかった。二人が門へ近付くと、警備の役人が声をかけてきた。

「許可証はあるか?」

 もちろん、そんなものは持ってはいない。

「ない」

 と答えると、

「名を言え」

 と役人が言う。

武内美夜部たけうちのみやべだ」

 と答えると、

「うむ、通れ」

 と通行を許可して、美夜部みやべの手に紙切れを渡した。それを開いてみると、赤麻呂あかまろからの伝言だった。役人が美夜部みやべを通したのも、赤麻呂が命じていたのだろう。そのまま真っ直ぐ赤麻呂の屋敷へ向かい、その門前まで来ると、

美夜部みやべ

 門を開けて、赤麻呂が笑顔で迎え入れた。

「子狐も」

 と紅蘭こうらんにも笑顔を向けて中へと招き入れた。赤麻呂は屋敷全体に結界を張ると、二人を板の間にあげて、

「よく来てくれた。お前が人の姿を取り戻したと知って、俺も嬉しい」

 赤麻呂が言うと、

「だが、もう人ではない」

 と美夜部みやべが答えた。

「はははっ。お前が人でなくても構わぬ。お前はお前だ。そこの子狐も人ではないが、お前と玄理くろまろの友だろう? 何の弊害もない」

 赤麻呂はそう言ってから、

「それはさておき、本題だ。玄理くろまろからも聞いているのだろう?」

 と話を切り替えた。

「うむ。美鳥みとりが殺されたと。誰が相手だろうと、この敵は必ず取る」

 美夜部みやべは怒りを露わにすると、その目は赤く光った。

美夜部みやべ、冷静に。と言っても無駄だろうな。しかし、慎重に事を運ばねばならない。敵は狡猾だ」

 赤麻呂が宥めるように言うと、

「分かっている」

 落ち着いた口調で美夜部みやべが答えた。紅蘭こうらんには、まだ何も分からず、二人の顔を交互に見て、

「なあ、一体何があったんだ?」

 とのん気に聞いた。

美夜部みやべはお前に話していないのか?」

 赤麻呂が紅蘭こうらんに聞くと、

「うむ」

 と紅蘭こうらんは答えた。

美夜部みやべ、子狐はお前の伴侶だろう? 巻き込みたくないのは分かるが話してやれ」

 と赤麻呂が言うと、

「そうだな」

 と美夜部みやべは答えて、玄理くろまろから聞いた話を紅蘭こうらんに伝えた。


「なんだって⁉ なんて悪い奴らなんだ! 俺がみんな食ってやる!」

 と怒りを露わにして息巻いた。

「落ち着け。お前の敵う相手じゃない」

 紅蘭こうらんは怒りのあまり、妖狐に変化していた。

「はははっ。子狐、お前はいい奴だな」

 と言って、赤麻呂は楽し気に笑った。それから、二人に向かって、

「今日はここで休むといい。玄理くろまろ布美ふみ殿を出雲国いずものくにへ送って行った。明日には帰ってくるだろう」

 と言って、部屋を出て行った。

「あいつもいい奴だな。何て名だった?」

 紅蘭こうらんが珍しく人に興味を持ったように聞くと、

「赤麻呂だ」

 美夜部みやべは少し不満げに答えた。紅蘭こうらんの興味が他の者に向くのが不服だったのだ。

「お前、何で怒ってるんだ?」

 紅蘭こうらん美夜部みやべの表情に気付いて聞くと、

「怒ってなどない!」

 と言葉を返し、ぷいっと顔を背けた。

「おかしな奴だなぁ。ほら、もう寝るぞ」

 紅蘭こうらんは子狐の姿に戻り、ふさふさの尻尾を振った。

「子兎、ほら、おいで」

 紅蘭こうらんに言われると、美夜部みやべは小さな白兎に姿を変え、いつものようにその尻尾に包まれた。

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