第61話

 そして翌日、布美ふみに帰り支度をさせて、

赤麻呂あかまろ、俺は布美ふみ出雲国いずものくにへ送ってくる。すぐに帰るが、用心しろよ」

 と玄理くろまろは告げた。

「うむ、言われなくとも、無理はしない。相手は相当な手練れだ。俺の手には負えぬだろう」

 と赤麻呂は答えて、一度言葉を切ると、

「親父殿には報告はしたのか?」

 と尋ねた。

「うむ。葛城は既に動いている。だから、お前はもう、この件から引いてくれ。お前の家族に害が及ぶのは避けたい」

 玄理くろまろが言うと、

「分かった」

 とだけ赤麻呂は答えた。赤麻呂にしても、家族が一番大事なのだから、玄理くろまろの申し出には素直に従ったのだった。

布美ふみ様、暫く会えないのは淋しいですが、またお会いできるのを心待ちにしております」

 そう言って、赤麻呂の妻の紀音波きのおとはは、布美ふみの手を両手でそっと包んで目を潤ませた。妹のように可愛く思っていた布美ふみと、離れるのが辛いのだろう。布美ふみも目を潤ませて、

音波おとは様、今までありがとうございました……」

 それ以上の言葉を言えず、涙を堪えていた。

「では、俺たちは行きます。音波おとは様、赤麻呂、布美ふみに良くしてくれてありがとう。事が済めば、布美ふみを都へ連れ帰る事が出来る」

 玄理くろまろが言うと、

「うむ」

 赤麻呂は頷いて、

「さあ、急げ」

 と二人を促した。玄理くろまろは頷いて、縮地しゅくちの術で出雲国いずものくにへ瞬時に移動した。


 出雲国いずものくにの入り口である大門へ着き、役人が身元を確認しようと、玄理くろまろたちに声をかけた。

「手形はあるか?」

 すると、そこへ、

葛城かつらぎ様、布美ふみ様。お帰りなさいませ」

 出雲いずも氏の使いの者が役人の前に進み出た。

「これは失礼しました!」

 役人は玄理くろまろたちに頭を下げて謝り、

「お帰りなさいませ、葛城かつらぎ様、出雲布美いずものふみ様」

 と改めて挨拶をして、二人を通した。玄理くろまろ布美ふみは、用意された牛車ぎっしゃに乗り、出雲氏の屋敷へと向かった。牛車に揺られながら、玄理くろまろ布美ふみを包むように抱いた。布美ふみ玄理くろまろの懐に顔をうずめながら、自分が非力である事を悔んだ。兄のように強ければ、玄理くろまろの傍に居られただろうと。

布美ふみ

 玄理くろまろ布美ふみの心の色が見えていた。

「お前はそのままでいい。俺はお前を守りたい。布奈ふなのように強ければ、俺がいる意味がないではないか」

 そう言って、玄理くろまろ布美ふみに微笑みを向けた。布美ふみは男であり、兄の布奈ふなのように修行で筋骨隆々となっていたなら、そもそも、恋愛感情など芽生えなかっただろう。そんな事を想像して、玄理くろまろはふっと笑った。

玄理くろまろ様?」

 そんな玄理くろまろを見て、布美ふみが小首をかしげた。

「お前が、布奈ふなのようになっていたらと想像したら可笑しくてな」

 玄理くろまろが答えると、

「まあ、玄理くろまろ様ったら。変な想像はなさらないで下さい」

 と頬を膨らめてみせる布美ふみ。そんな彼女が愛らしくて、その身体を抱きしめて口づけをした。その時、牛車が出雲氏の屋敷へ到着し、

葛城かつらぎ様、布美ふみ様。着きました」

 と従者が声をかけた。

「うむ」

 玄理くろまろが返事をして、二人は牛車から降りると、

玄理くろまろ布美ふみ。よく来たな。と言っても、ここを発ってから、まだそれほど経っていないがな」

 と出雲布奈いずものふなが笑いながら言った。

「兄上、葛城かつらぎ様。お帰りなさいませ」

 布美ふみの弟の布由ふゆがぺこりと頭を下げて挨拶した。

「兄上、只今戻りました」

 布美ふみは兄に挨拶をしてから、布由ふゆに向かって、

「ただいま、布由ふゆ

 と笑みを向けた。

「さあ、上がれ。話しは中で聞こう」

 布奈ふなはそう言って、玄理くろまろ布美ふみを促した。


 布奈ふな玄理くろまろたちを部屋へ通すと、人払いをして結界を張り、

「お前が念で話した内容を吟味した。敵は明らかに葛城氏を陥れようとしているようだな。俺の助けが必要なら言ってくれ」

 と口火を切った。

「うむ。お前がそう言ってくれて心強い。だが、今は俺たちで対処する。美夜部みやべにも話してあるから、駆け付けてくれるだろう」

 と玄理くろまろが答えた。

「そうか」


 一方その頃、美夜部みやべ紅蘭こうらんは、徐福じょふく金立山こんりゅうざんから拠点を移し、小さな小屋を建てて穏やかな日々を過ごし、紅蘭こうらんは毎日、山の中で小動物と遊んでいた。

「おっ! 白兎しろうさぎ!」

 紅蘭こうらんは真っ白な子兎を見つけて、嬉しそうに追いかけた。捕って食べるつもりはなく、ただ、追いついては逃しを繰り返して、楽し気に声を上げた。

「まて~!」

 そんなふうに遊んでいる紅蘭こうらんの傍には美夜部みやべはおらず、そこへ数人の男たちが近付いていった。

「おい、見ろよ。女だ」

 下卑た笑いを浮かべた男たちは、どこかの戦で逃げ落ちてきたような風貌だった。夢中で白兎を追っている紅蘭こうらんは、人の気配にはとうに気付いていたが、気にもしないでいた。

「お前、一人か? 俺たちが遊んでやるぜ?」

 にたにたと厭らしい笑みを浮かべて、その手を伸ばしたその時、疾風が吹き、男たちが瞬き一つすると、紅蘭こうらんの隣には美夜部みやべが鋭い眼光を光らせて立っていた。

「なんだ⁉ お前は!」

 一人の男が声を荒らげて聞くと、

「汚らわしい手で触れるな! 下種共が!」

 と言う美夜部みやべの手には、赤い血がとろりと滴る剣があった。

「子兎? なんで、あいつの手を斬ったのだ? 俺と遊んでくれると言っただけだぞ?」

 紅蘭こうらんが聞くと、下種な男は己の腕を見て悲鳴を上げた。

「う、腕が!」

 男の腕は、すっぱりと斬り落とされていたのだ。

「ふんっ!」

 美夜部みやべは不機嫌そうに鼻を鳴らして、

「こいつらは、お前と交尾をしようと言ったのだ」

 と言うと、

「何だって⁉ ふざけやがって! 俺は妖狐だぞ!」

 と紅蘭こうらんは憤りを見せて、熊ほどの大きさの赤狐に変化した。それを見た下種な男たちは、

あやかしだー!」

 腰を抜かしながらも、何とかその場から逃げようと地を這った。それに冷ややかな視線を向けて、

「ふんっ! 俺もあやかしだ」

 そう言って美夜部みやべも、赤狐より大きな白兎に変化し、赤い目を光らせた。男たちは大声で叫び、何度も転びながら無様に逃げて行く。それを見て美夜部みやべは人の姿に戻り、

「子狐、俺から離れるな」

 紅蘭こうらんを真っ直ぐ見つめて言うと、

「俺は妖狐だぞ? 人など何人来ても怖くはない」

 と人の姿に戻った紅蘭こうらんが胸を張った。

「それでも駄目だ」

 美夜部みやべが不機嫌そうに言う。紅蘭こうらん美夜部みやべのの顔を下から覗き込み、

「そうか~。お前、俺が傍に居ないと淋しいんだろう?」

 とにやりと笑って揶揄ったが、

「お前が大事なのだ」

 と美夜部みやべ紅蘭こうらんを抱き寄せて、その身体を優しく包んだ。

「お前、ほんとに俺の事、大好きなんだな?」

「そうだ」

 紅蘭こうらんは揶揄うつもりで言っても、こんな返事が返ってくると、どうしたらいいか分からなくなるのだ。なんだかむず痒くなる。身体に痺れが走る。包まれるとその温もりが心地よいし、美夜部みやべの匂いも心地よかった。

「分ったよ。お前の傍から離れない。なあ、それより腹が減ったぞ」

 紅蘭こうらんが言うと、

「そうか。それなら、街へ行って飯を食おう」

 美夜部みやべが笑みを向けて言った。


 二人が店で食事をしていた時、玄理くろまろから念が送られて来た。

『どうした玄理くろまろ?』

 美夜部みやべが念で答えると、玄理くろまろは都で起きた出来事を伝えた。

『分かった。子狐と共にそちらへ向かおう』

 美夜部みやべはそう答えた。

「子兎? どうしたのだ?」

 紅蘭こうらんは、食べる手を止めて聞いた。

「今、玄理くろまろから報告があった。俺たちは念で話せる。都で問題が起こった。玄理くろまろの元に行かねばならない。もちろん、お前も一緒だ」

 美夜部みやべが言うと、

「うむ。お前が行くのなら俺も行くぞ。玄理くろまろにも会えるしな!」

 紅蘭こうらんは嬉しそうに言って、再び手に持った肉に食らいついた。

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