第60話

 赤麻呂あかまろたちは、宮廷内に若い男の遺体を発見した。

「何者だ?」

 若い男は、黒い服を身に纏い、顔には覆面をしていて、如何にも妖しい者と言った風貌だった。遺体を赤麻呂たちの朝堂へ運び込んだところへ、玄理くろまろが戻って来た。

玄理くろまろ、妖しい奴を見つけたが、既に死んでいた」

 赤麻呂あかまろが言って、遺体へ視線を振ると、玄理くろまろは遺体へ駆け寄って、しゃがみ込み、震える手でその覆面をそっと剥がした。

美鳥みとり……」

 玄理くろまろが呟くと、

「知っているのか?」

 と赤麻呂あかまろが聞いた。

「うむ。しかし、この者が手を下したとは思えぬ。謀られたのだろう」

 玄理くろまろが答えると、

「お前がそう言うのなら、それが正しいのだろう」

 と言って、

「この事は他言無用」

 と他の者たちに向かって命じた。赤麻呂あかまろの部下たちは、

「御意」

 と返事をして、その命に従う意思を示した。

「しかし、どう釈明する? この者は無断で宮廷に入って来た。しかも、この服装は、まるで間者のようじゃないか」

 赤麻呂あかまろの言葉に、玄理くろまろは暫し考えて、

「お前ならどうする?」

 と逆に質問した。都で役人として務め、博識でもある赤麻呂あかまろなら、きっと、いい手立てを考えつくだろうと、玄理くろまろは期待していた。

「先ずは、この者の死因を調べよう。それから、どのようにして、この者が宮廷へ入る事が出来たのかを調べる」

 赤麻呂あかまろが答えると、

「うむ」

 と玄理くろまろは頷いて、

真椋まくら菟代うしろにも見てもらおう」

 と言って、二人を呼びに行った。


 真椋まくら菟代うしろは、先ほど虫に操られていた者たちに治療を施していた。

玄理くろまろ様、お帰りなさい」

 真椋まくら玄理くろまろを見て言うと、

「うむ、お前たちに頼みがあるのだが良いか?」

 と尋ねた。

「もちろんですとも。もう、この人たちは大丈夫です。あとは、安静にしていれば回復するでしょう。それで、玄理くろまろ様の頼みとは?」

 真椋まくらが聞いて、

「着いて来てほしい」

 と玄理くろまろが答えた。ここで、事情を説明しないのは、秘密の頼み事なのだろうと察した真椋まくらは、

「はい」

 と返事をして、余計なことは聞かずに、

菟代うしろも」

 と彼の手を取り、玄理くろまろについて行った。


 玄理くろまろが二人を連れて、赤麻呂あかまろのいる朝堂へ入ると、

「この者の死因を調べて欲しい」

 と蓆に横たわる若い男の遺体を指して玄理くろまろが言った。

「分かりました」

 真椋まくらは、遺体の身体を調べて、何やら頷いていた。

「分かったのか?」

 玄理くろまろが聞くと、

「内臓が潰れていて、吐血の痕がある。身体に外傷はないけれど、内臓に直接衝撃を与える術でもあるのなら、術者の攻撃による他殺です」

 と真椋まくらがきっぱりと断言した。

「うむ。口を封じられたのだろう」


 玄理くろまろは毒虫の入った壺を持ち、遺体の傍へ来て、その封を解き、中の虫を地面へと出した。虫は既に死んでいる。それを見て、

「術者が死ねば、虫も死ぬ。この虫を作ったのは美鳥みとりだろう」

 玄理くろまろはぼそりと言った。

「それならば、この者が下手人なのですか?」

 真椋まくらが聞くと、

「手を下したのは美鳥みとりだろう。しかし、それには何か裏があるに違いない。美鳥みとりは虫を作り、それで人を操り、俺を攻撃させたが、殺すつもりはなかったはずだ。あれでは、俺は殺せないと、美鳥みとりは分かっている」

 と玄理くろまろが答えた。

「この者は、なぜ、玄理くろまろ様を襲ったのです?」

 真椋まくらが聞くと、

「それは、これから調べよう」

 と玄理くろまろが答えて、

赤麻呂あかまろ、他に妖しい奴はいなかったのか?」

 と尋ねた。

「すべて見回ったわけではない。ただ、この者が死んでいるのを見つけて運んできたのだ。捜索してすぐに見つけた。それも、解せぬがな」

「それなら、お前たちがすぐに引き上げた隙に、逃げた者がいるのだろう。現に、美鳥みとりは誰かに殺されたのだ」

 玄理くろまろの言葉に、赤麻呂あかまろは静かに頷いた。外傷を付けずに内臓を潰す事が出来る者は限られている。

「ならば、美鳥みとりを殺した者を見つけ出せばいいのだな?」

 赤麻呂あかまろが聞くと、

美鳥みとりを殺した者も、既に口を封じられているかもしれないが、とにかく、探し出して欲しい」

 と玄理くろまろが答えた。

「うむ」


 菟代うしろは、彼らの言動を黙って見ていた。師である真椋まくらもまた、口を噤み、現状を把握しようと、玄理くろまろ赤麻呂あかまろの会話に集中していた。

「皆の者、この事は、くれぐれも内密に。玄理くろまろを陥れようと企む者の仕業だ。敵は容赦なく、人の命を奪う。この件については、術者である、俺と玄理くろまろが対処するから、これ以上は関わるなよ」

 赤麻呂あかまろが厳しい表情で皆に言うと、

「御意」

 赤麻呂あかまろの部下は、揃って返事をした。真椋まくら菟代うしろも、黙って頷き、従う事を示した。


 その日の勤務を終えた玄理くろまろと赤麻呂が屋敷へと帰ると、

玄理くろまろ様!」

 布美ふみ玄理くろまろに駆け寄り、

「お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」

 と泣きそうな顔で見上げて言った。

「うむ。心配かけて済まなかった」

 玄理くろまろ布美ふみに笑顔を向けて、その頭にそっと手を置いて、髪を撫で頬に触れて、

「淋しい思いをさせてしまったね」

 と抱きしめた。そんな二人を見て、

玄理くろまろ、少し部屋で休むといい」

 と赤麻呂が声をかけて、妻の音波おとはと奥の部屋へと入っていった。

布美ふみ

 玄理くろまろ布美ふみに声をかけて、その身体を抱き上げて、部屋へ入ると褥へ彼女を寝かせて口付けをして身体を重ねた。十分に満たされると、肌を合わせたまま玄理くろまろは言った。

布美ふみ、この都で物騒なことが起こっている。宮廷では身内の遺体が発見された。何者かの策に嵌り、陥れられたのだろう。お前や、赤麻呂の家族に危険が及ぶ事は避けたい。ここからは葛城氏の問題だ。赤麻呂にもこの件から手を引いてもらう。そして、お前はこの件が解決するまで、安全な場所に居て欲しいと思っている」

 それを聞いた布美ふみが、

「安全な所とは?」

 と質問すると、

「お前の兄の居る出雲国いずものくに

 と玄理くろまろが答えた。

玄理くろまろ様……」

 布美ふみ玄理くろまろの傍から離れたくないという想いを、ぐっと堪えて、

「分かりました」

 と目を伏せて、玄理くろまろの意に従った。そんな布美ふみを見て、玄理くろまろも切なさが込み上げてくる。しかし、ここに居ては、布美ふみに危険が及ぶだろう。

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