第59話

 玄理くろまろは蛙を連れて自分の屋敷へ帰り、

「さて、蛙。霊力がまだ回復していないようだな? 俺の霊力を分けてやろう」

 と蛙に言うと、

『なぜ?』

 と疑問が返ってきた。

「お前の霊力を奪ったのは人だ。人の成す悪の所業を俺は見過ごせない」

 玄理くろまろが答えると、蛙はくっく笑ったように見えた。

『面白い。お前のような人がいるとはな。お前の善意を受け入れる』

 蛙は答えて目を瞑った。それを確認すると、玄理くろまろは蛙と向かい合い霊力を注いだ。暫くすると、蛙の霊力は満たされ、ゆっくりと目を開けた。

『お前に感謝する』

 蛙はそう言って、頭を下げた。

「礼には及ばない。お前は人に利用され憂き目にあったが、人の命を奪わなかった。俺はお前に敬意を表する。そして、感謝している。お前を陥れた者の目論見通りにはいかなかった。また、何か仕掛けてくるだろう。お前は暫くこの屋敷に居るといい。式が家を建て替えているが、気にするな」

 玄理くろまろが言うと、

『うむ。お前の言う通りにしよう』

 と玄理くろまろに従った。


 次の日、玄理くろまろが宮殿へ行くと、何やら妖しげな雰囲気を感じた。術者ではない物部真椋もののべのまくら物部菟代もののべのうしろは、その異変には気づかず、いつもと変わらなかった。

玄理くろまろ様、おはようございます!」

 真椋まくらは元気に挨拶して、

「あの奇病の患者さん。皆、回復に向かっています。玄理様のおかげですよ。本当に、あなたがいてくれてよかった」

 と玄理くろまろに笑顔を向けた。菟代うしろは、

「おはようございます」

 と玄理くろまろに挨拶しただけで、黙々と仕事をこなしていた。

玄理くろまろ様、例の蛙さん。どうなりました?」

 真椋まくら玄理くろまろにこっそりと聞くと、

「俺の屋敷にいる。結界を張っているし、式がいるから安全だ。何かあれば俺に知らせが来る」

 と答えた。

「それは良かった。蛙さんも難儀でしたね?」

 真椋まくらはそう言って眉を顰めた。彼は今、ここで起こっている異常に気付いてはいない。玄理くろまろは彼らに向かって言った。

「お前たちはここからしばらく出ないで。結界を張っておく」

「え? 急にどうしたんですか?」

 真椋まくらが呆けたように聞く。菟代うしろは怪訝な表情を向けて、

「何があったのですか?」

 と玄理くろまろに尋ねた。

「分からないが、何か妙な気を感じる。様子を見て来る」

 そう言って、玄理くろまろはある朝堂へ向かった。


 そこには、按摩師あんまし針師はりしの者たちが集まっていたが、様子がおかしい。そこへ、赤麻呂あかまろもやって来て、

玄理くろまろ、気を付けろ。何か変だ」

 と玄理くろまろに声をかけた。

「うむ。お前は、他の者たちを守ってくれ」

 そう言って、玄理くろまろが朝堂へ近付くと、按摩師、針師の者たちが、一斉に出て来て、玄理くろまろに殴りかかって来た。彼らは武器を持たず、ただ、闇雲に素手で向かってきた。その顔には表情はなく、目は半開きで、意思も感じられなかった。

「操られている」

 玄理くろまろが呟くと、

「そのようだな。玄理くろまろ、殺すなよ」

 と赤麻呂あかまろは言った。この騒動に気付いた者たちが集まり、

「なんだ? あの者たちは、どうしたのだ?」

 とざわついた。

「彼らに近付くな。玄理くろまろに任せろ」

 と、赤麻呂あかまろはやじ馬たちを牽制したが、異様な光景に、集まった者たちは、赤麻呂あかまろに言われるまでもなく、近付く気などなかった。ただ、遠巻きにその状況を見守っている。


「お前たち、少し痛いが我慢してくれ」

 玄理くろまろはそう言って、襲いかかって来る者たちを次々と倒していった。彼らは、あまりにも無力で、あっという間に終わった。

「さて、そこで見ている者たち、少し手伝ってもらえると助かるのだが。この者たちを中へ運んで欲しい」

 玄理くろまろが声をかけると、皆、怯えたように後ろへと下がっていった。そこへ、

「おや、おや。何事かな?」

 と声をかける者がいた。高貴な身分を表す服を着て、口元を尺で隠し、部下を引き連れていた。玄理くろまろはその気配と風格、そして、魂の色を見ていた。悪意の色を示している。

物部布都久留もののべのふつくる

 玄理くろまろが呟くと、

「我はおぬしより上位。無礼であるぞ」

 と一言返した。

「お前の仕業か?」

 玄理くろまろは睨みつけて言った。

「何のことだか?」

 布都久留ふつくるは視線を逸らした。

「この者たちに虫を入れたのはお前かと聞いているんだ」

 と玄理くろまろは、なおも布都久留ふつくるに詰問した。

「証拠も無しに、我を責めるとは。蟲毒こどくならお前も出来るだろう? 妖しいのはお前の方ではないか?」

 と布都久留ふつくるは言葉を返した。

「認めぬのなら、もういい」

 と玄理くろまろは言って、

「さあ、この者たちを早く中へ」

 倒れた者を運んで、朝堂の中へ入っていった。赤麻呂あかまろが仲間に声をかけて、倒れた者たちをすべて運ぶと、

赤麻呂あかまろ真椋まくら菟代うしろを呼んできてくれ」

 と頼んだ。暫くして、

玄理くろまろ様!」

 真椋まくらが慌てて入ってきて、その後に続いて菟代うしろが入って来た。

真椋まくら、壺を用意してくれ。この者たちの中にいる虫を取り出して、壺へ入れる」

 玄理くろまろ真椋まくらに言うと、彼は何も聞かずに従った。

「はい!」

 菟代うしろは険しい表情で、

葛城かつらぎ様、彼らに何があったのですか?」

 と聞いた。

「毒虫を身体に入れられ、操られていた。だから、今から毒虫を取り出す」

 と玄理くろまろは答えて、

「彼らの身体を抑えていてくれ」

 と言葉を続けた。

「分かりました」

 菟代うしろ玄理くろまろに従って、一人ずつその処置をするのを手伝った。取り出した虫の入った壺は、封をして、呪符で封印した。

玄理くろまろ様、聞いてもいいですか?」

 と真椋まくらがこっそりと聞くと、

「駄目だ。この事には関わらない方がいい」

 ときっぱり断った。術を使えない彼らを巻き込むわけにはいかなかった。たとえ身内であっても、物部布都久留もののべのふつくるは容赦しないだろう。


「この虫は俺が持って行く。この者たちの治療を頼む」

 玄理くろまろ真椋まくら菟代うしろに言って、

赤麻呂あかまろ、妖しい奴がいないか探してくれ。虫を入れた者がいるはずだ」

 と赤麻呂あかまろに向かって言った。

「うむ」

 赤麻呂あかまろは頷いて、仲間を連れて捜索に行った。そして、玄理くろまろは、物部布都久留もののべのふつくるの気を追って宮殿から出た。時期を見計らったように現れた布都久留ふつくるは、一体何をしに来たのだろうか? あの状況で、蟲毒こどくを使ったのが、玄理くろまろだと責めて、罪人に仕立て上げるつもりだったのか? 玄理くろまろには布都久留ふつくるが何を目論んでいるのか分からなかった。

 布都久留ふつくるの乗った牛車が、大通りをゆっくりと進んでいた。それを追いかけて、

物部布都久留もののべのふつくる!」

 玄理くろまろが声を張り上げた。すると、牛車は止まり、

「騒々しい。我に何用か?」

 と布都久留ふつくるが牛車の中から答えると、

「白々しい。あの者たちに虫を仕込ませたのはお前だろう? 今、宮殿内で下手人を捜索している。お前の手の者ならば、どう釈明する?」

 玄理くろまろはそう責め立てた。

「では、聞こう。お前が間違っていたら、どう釈明するのだ?」

 布都久留ふつくる玄理くろまろに聞いた。

「俺が間違っていても、謝る気はない。お前が無実なら、責める理由もない。ただ、それだけだ」

 玄理くろまろが答えると、

「ならば、我が無実と証明されるのを待とう」

 と布都久留ふつくるは自信有り気に答えた。

「下手人を捕まえるまで、お前を都からは出さない」

「うむ。物部の屋敷で待っている」

 布都久留ふつくるがそう言うと、牛車は再び動き出した。

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