第57話

 真椋まくら玄理くろまろは牛車に乗り、宮殿へと向かう道中、

玄理くろまろ様は本当に凄い! あんな術を見たのは初めてですよ!」

 真椋まくらが羨望の眼差しで玄理くろまろを見つめた。

「あれは仙術。人前では使わないものだ。しかし、あのままでは、あの子は死んでいた」

 と玄理くろまろはいつになく暗い表情で言った。まだ幼い少女の命が、目の前で尽きようとしていたのだ。他に手立てはなく、あれが最善の方法だった。しかし、この未知の病は、薬だけでは治らず、患えば必ず死ぬだろう。真椋まくらが言っていた。この病が流行っていると。人から人へと移るものならば、早く原因を突き止めなければならない。ただ、玄理くろまろには、これが流行り病ではなく、他に何かあるように思えた。重い病に罹れば、人の霊力は損なわれる。しかし、これほどまでに霊力が消耗しているとなると、何かに精気を吸われたのではないかと考えている。


玄理くろまろ様? 何かお考えがあるみたいですね?」

 真椋まくら玄理くろまろの顔を覗き込んで尋ねた。

「うむ。もしかしたら、あやかしかもしれないと考えている。しかし、あの屋敷には妖はいなかった。少女の精気を吸ったあと、他へ移動したのかもしれない。今夜から見回りをしようと思う」

 と玄理くろまろが答えた。

「そうですか。玄理くろまろ様が妖かもしれないと言うのなら、きっとそうでしょう。今夜、見回りをしたら、明日は出勤しなくてもいいですからね」

 と笑顔で真椋まくらは言って、

「本当に貴方が来てくれて良かったです。とっても頼りになります」

 と更に嬉しそうに笑みを浮かべて言った。


 昼前には、その日の職務を終えて、玄理くろまろ赤麻呂あかまろの屋敷へと帰った。

玄理くろまろ様、お帰りなさいませ」

 布美ふみが出迎え、二人で部屋へ入ると、玄理くろまろは御簾を下げて、

「この都には、何やら妖しげな事が起こっている。布美ふみも用心してくれ」

 と言ってから、

「俺は今夜、見回りをする。何が起こっているのかを確かめたい」

 と言葉を続けた。

「はい、用心します。玄理くろまろ様もお気を付けて下さい」

 布美ふみがそう言って玄理くろまろを見上げると、

「うむ」

 玄理くろまろは微笑みを向けて頷き、布美ふみをそっと抱き寄せた。

 

 その日の夜深く、

「では、行ってくる」

 玄理くろまろは一人で出掛けた。夜の都はひっそりと静まり返っていた。広い都を一人で見まわるには、とても時間がかかるが、玄理くろまろには秘策があった。

「さて」

 玄理くろまろたもとから人型の紙の束を取り出して投げると、それらが玄理くろまろの姿を成した。

「行け!」

 玄理くろまろが分身に声をかけると、彼らは無言で頷いて、それぞれ違う方向へと散らばった。

「何が見つかるかな?」

 玄理くろまろはそう呟いて、大路をゆっくりと歩いた。半時ほど経つと、全ての分身が報告に戻って来た。

「なるほどな」

 その内の一体が、あやかしを見つけたと報告した。そのあやかしはウミガメ程の大きさのガマガエルだという。玄理くろまろはそのガマガエルのいる屋敷へ行くと、その門を叩き、

「夜更けに失礼します!」

 と声をかけたが、もちろん返事はない。玄理くろまろは再び門を叩き、

「すみません! 俺の話を聞いて欲しい!」

 と声をかけると、家人が門の内側で、

「こんな夜更けに何用でしょうか?」

 と質問した。

「ここにあやかしがいる。あるじを起こしてくれ」

 と玄理くろまろが答えると、

「あなた様は、どなたでしょうか?」

 と再び質問し、

「俺は葛城玄理かつらぎのくろまろだ」

 と答えると、

「分かりました。主を起こしてきます」

 と家人は言って、暫くすると主が来て、

「葛城様、あやかしがいるとは本当でしょうか?」

 と尋ねた。

「ああ。その妖は人の精気を吸い取る。早く退治しなければ、誰かの精気が吸い取られる」

 と玄理くろまろが答えると、

「それは大変だ!」

 と主は慌てて門を開けて、

「さあ、どうぞお入りください。そして、早く妖を退治してください」

 と玄理くろまろを招き入れた。

「うむ」

 玄理くろまろは早速、妖の気を感じ取り、その方向へと急いだ。

「まさか、娘が狙われているのでしょうか?」

 主は声を震わせて言った。

「娘の部屋の床下にいる。あなたは下がっていてください」

 玄理くろまろは宙に光る文字を書き、それを妖に向けて飛ばすと、奇妙な声を立てた。

「捉えた」

 そう言って、玄理くろまろが手で招くと、床下にいた大きなガマガエルの妖は、浮いたままゆっくりと玄理くろまろに引き寄せられた。

「なんと、不気味な!」

 主はわなわなと震え、我が身を抱くようにして怯えた。そして、

「娘は?」

 と声を絞り出すと、

「様子を見に行こう。この妖は俺が縛っているから安心しろ」

 そう言って、玄理くろまろは娘の部屋へ様子を見に行った。若い女が寝ていて、額に汗をかき、苦しそうな表情をしていたが、精気を少し吸われた程度で、命に係わるほどではなかった。


「娘は無事だ。この妖は、俺が連れ帰る」

 玄理くろまろはそう言って、その屋敷を出て、赤麻呂あかまろの屋敷ではなく、修理中の自分の屋敷へ戻った。玄理くろまろの屋敷では、昼夜問わず、しきが家の修理をしていて、だいぶ進んでいるようだった。

「さて、蛙よ。お前はなぜ都へ現れたのだ?」

 玄理くろまろが聞いたが、蛙はまったく反応しない。

「人の言葉が分からないのか?」

 蛙はぎょろりと目を動かしたが、何も答えなかった。

「人の精気を吸って、妖力を得たというのに、お前は人の言葉も分からぬのか?」

 玄理くろまろが何度声をかけても、蛙は答えない。それでも玄理くろまろは、蛙に話しかける。

「お前がなぜ、都へ現れたのか、そのわけを聞かせてくれ」

 蛙は答えない。

「何も答えぬ気だな。今、都で奇病が流行っていると騒ぎになっている。それがお前の仕業だと分かった。何か釈明は無いか?」

 蛙は答えない。

「仕方がない。お前は明日、朝廷へ連れて行かねばならない。人に危害を加えた妖は、即刻処刑だ。覚悟はいいな?」

 それでも蛙は答えない。


 翌日、玄理くろまろは蛙を連れて宮殿の門を通ろうとすると、門番に止められた。

「それはなんだ? 不気味でおぞましい蛙のあやかしを連れて入る気か?」

「この妖が、今流行りの奇病の原因であることが分かった。その報告と、このあやかしの処遇を決める」

 玄理くろまろは答えて、門を通ろうとしたが、

あやかしは通さぬ!」

 と門番に止められた。ここで、押し問答していると、大伴赤麻呂おおとものあかまろがやって来て、

玄理くろまろ、どうした?」

 と玄理くろまろに声をかけた。赤麻呂には大体の事情は察しがついていた。玄理くろまろが連れているガマガエルがあやかしである事も分かっている。

「このガマガエル、何かやらかしたのか?」

 赤麻呂が聞くと、

「今、都を騒がせている奇病の原因がこいつだ」

 と玄理くろまろは答えた。

「そうか。それなら、そのあやかしの処遇は、朝廷で決めなければならないな」

 赤麻呂が言うと、門番は不服そうな顔をして、

「行っていいぞ」

 と玄理くろまろあやかしを連れて入る事を許可した。赤麻呂は門番も含む武官を司る役職であるため、門番は赤麻呂の言葉に従ったのだった。

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