第55話

 翌日、玄理くろまろが出勤すると、物部真椋もののべのまくらが嬉しそうに、

「葛城様、おはようございます!」

 と声をかけて駆け寄って来た。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 と玄理くろまろが挨拶を返すと、

「いえ、いえ。こちらこそ、よろしくお願いします。さあ、いらしてください。昨日は私しかいませんでしたが、そろそろ、皆さん出勤してきます。そしたら、ご紹介しますね」

 と真椋まくらが言った。すると、若い男が一人入って来て、

「おはようございます」

 と挨拶した。

「おはよう!」

 真椋まくらが挨拶を返すと、若い男はこちらへ顔を向けて、玄理くろまろがいる事に気付き、

「葛城様、初めてお目にかかります。私は物部菟代もののべのうしろと申します。今後とも宜しくお願い致します」

 と深く頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 玄理くろまろ菟代うしろに頭を下げた。こんな風に、出勤する者たちと挨拶を交わしたあと、改めて、物部真椋もののべのまくらから同僚の者たちへ、玄理くろまろを紹介した。

「皆さん、もう知っていると思いますが、昨日から、ここに配属された葛城玄理かつらぎのくろまろ様です。皆さん、よろしくお願いしますね」

 と皆に声をかけて、

「ここはとても忙しいですから、葛城様が来てくれて、本当に良かった。覚えることは多いですが、頑張って下さいね」

 と玄理くろまろに向けて言った。

「はい。ご期待に沿えるよう、努めます」

 と玄理くろまろが答えると、同僚たちから、励ましの言葉と共に、小さな呟きも聞こえた。今、ここには玄理くろまろを除いて七人いるが、どうやら、玄理くろまろを良く思わない者がいるらしい。物部氏は、真椋まくら菟代うしろだけで、他の者たちは蘇我氏、大伴氏で、葛城氏は玄理くろまろだけだった。白朱びゃくしゅの大戦後、葛城氏は、中央政権から遠ざけられていた。しかし、今、こうして葛城氏の玄理くろまろを典薬寮へ入れたことで、葛城氏の地位が復活して、他の者たちが排除されることを危惧しているのだろう。葛城氏は、大王と匹敵する勢力を持つが、先の戦いによって、物部氏に負けたことで、物部氏に政権を奪われたのだった。今の朝廷内の勢力は物部氏が牛耳り、蘇我氏、大伴氏はただ、静かにその情勢を窺っている。

 そして、大王は物部氏の息がかかっていた。このままでは、葛城氏はいずれ滅ぼされるだろう。物部布都久留もののべのふつくるの言葉添えで、この部署に配属されたと、大王が言っていたが、ここにいる物部氏の者は、術者ではなく、玄理くろまろを暗殺するには役不足だ。そして、真椋まくら菟代うしろも、玄理くろまろに対して敵意も無ければ悪意もない。それならば、玄理くろまろの命を狙うものはどこにいるのだろうか。蘇我氏、大伴氏の者たちからは、敵意を強く感じるものの、殺意はない。そして、術者でもない。


「葛城様? 緊張しているんでしょう? 大丈夫ですよ、今日も私に着いて来て下さいね。お仕事はたくさんありますから、さあ、一緒に来てください」

 真椋まくらが笑顔で玄理くろまろを部屋から連れ出した。真椋まくらの気遣いだという事は分かっていた。葛城氏の玄理くろまろが、仲間たちから歓迎されていない事に、玄理くろまろが居づらい思いをしていると思ったのだろう。

「今から薬園へ行きます。薬園師が管理していますが、私も薬園を確認しに行くんです。特に何もしないのですが、しっかり管理されているかを確認します。葛城様は呪禁師じゅごんしですが、私が葛城様の教育係に任命されているので、私の仕事を覚えてください。因みに私は医師です。そして、菟代うしろは医生なので、私が監督しています。他の方がたはそれぞれ、按摩師、針師と、その生徒です。呪禁師は今、物部の屋敷にいて、ここへは来ないんです。あの方たちは特別でね……」

 と言ったあと、真椋まくらは言葉を濁した。同じ物部氏でも、呪術を使える者たちは特別扱いなのだろう。葛城氏でもそれは同様だった。

「そうですか。ご説明ありがとうございます」

 玄理くろまろが言うと、

「葛城様? 敬語が苦手と仰っていましたよね? それなら、畏まらずに、普段通りに話してください。私もその方が楽ですから」

 真椋まくらが笑顔を向けて言った。

「うむ。ありがとう」

 玄理くろまろも笑顔を返した。

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