第53話

 翌朝、食事を終えて、玄理くろまろ赤麻呂あかまろが屋敷を出る時、布美ふみと赤麻呂の妻が見送った。

玄理くろまろ様、いってらっしゃいませ」

 布美が頭を下げると、

「うむ、行ってくる」

 と玄理くろまろが布美の肩に手を置いて答えた。

「旦那様、いってらっしゃいませ」

 赤麻呂の妻が言うと、

「うむ」

 と頷いて、玄理くろまろと共に牛車に乗った。赤麻呂の屋敷から宮殿までは二十町ほどあるが、これでも随分と近い方だ。牛車に揺られ、赤麻呂が口を開いた。

玄理くろまろ、俺はお前の味方だが、妻子に危険が及ぶようなら手を引かねばならない。物部もののべには気を付けろ。それと、大王おおきみに謁見したのなら気付いているだろうが、あれは物部の駒だ」

 その言葉に、

「うむ。承知している。お前や、お前の家族を危険に晒す事はしないと約束しよう。ただ、家が出来るまでは居させてもらってもいいだろうか? 昼夜問わず、俺の式が家を建てているから、一月ほどで出来るだろう」

 と玄理くろまろが言った。

「うむ。それは構わない。ただ、俺は物部の動向を探る事はしない。下手に動けば怪しまれるからな」

 赤麻呂が言うと、

「うむ。お前は何もしなくていい。これは俺たち葛城氏と物部氏の問題だ。俺も慎重に動く」

 玄理くろまろが重々しく答えた。


 それからしばらくすると、牛車は宮殿に着いて、門番の確認が済むとそのまま奥へと進み、赤麻呂が務める朝堂の前で止まった。

「では、俺はここで。お前はあっちの建物だ」

 と赤麻呂は指で指して言って、朝堂へと入って行き、玄理くろまろは赤麻呂が指示した方向へと向かった。そこへ、男が一人、近付いて来て、

「これは、葛城様。今日からここでお勤めされると伺いました。ご案内致しますね」

 と笑顔で玄理くろまろに話しかけた。

「これは、ご丁寧に。痛み入ります」

 玄理くろまろは頭を下げて礼を言った。

「いえ、いえ。礼には及びません。これからは一緒にお勤めするのですから、よろしくお願い致します」

 と男は言って、

「あっ、失礼致しました。まだ、名乗っておりませんでしたね。私は物部真椋もののべのまくらと申します。葛城玄理かつらぎのくろまろ様は有名ですから存じ上げております。『その容姿は見目麗しく、春風のように穏やかで、佇まいは百合の花のよう』とね。あの~、私は物部氏ですが、これからは仲良くして頂けたら嬉しいです」

 と最後は少し遠慮がちに言った。

「ええ、もちろんですとも。こうして話しかけて頂いただけでも嬉しいです」

 と玄理くろまろ真椋まくらへ笑顔を向けた。すると、真椋まくらの顔がぱっと明るくなり、

「嬉しいです!」

 と答えた。玄理くろまろには人の霊魂が見えていて、その色で感情が分かる。この物部真椋もののべのまくらが素直に喜んでいる事と、玄理くろまろに好意を抱いている事が分かった。

「さあ、こっちです。今は人手が足りなくて、葛城様が来て下さると知って、私はどれほど嬉しかったか」

 と真椋まくらは言ったあと、

「すみません。私ばかりが話してしまって」

 と恐縮しながら、建物の中へと玄理くろまろを案内した。

「葛城様は、呪術、仙術に長けていらっしゃるとお聞きしています。こちらでは、薬の調合もしています。皆様の体調を整えるため、病や怪我の治療などをしています。仕事の内容は大体こんなところです。分からない事があったら聞いて下さい。葛城様はまだ、来たばかりなので、私の仕事を見ていて下さればいいです。あっ、失礼な事を言ってすみません。葛城様の技量の方が、私より断然上ですが、ここでの仕事は見て覚えてくださいという意味です」

 と、真椋まくらは再び恐縮して言った。

「いえ、いえ。そんなにご自身を卑下なさらないで下さい。俺は山で修行して育ちましたから、他の方よりも術を得意とするだけです。都に住む方のような品がなく、無礼があったら言って下さい」

 と玄理くろまろ真椋まくらに笑みを向けたが、普段、敬語を使い慣れていない玄理くろまろは、ただの会話でも相当気を遣って疲れを感じていた。それから、昼まで真椋まくらの仕事を見て覚えた。


「葛城様、今日のお勤めはこれで終わりです。お帰り頂いて大丈夫ですよ。私は、ここで過ごして夕刻に帰りますが、どうします?」

 真椋まくらが言うと、

「俺は赤麻呂の所へ行く」

 と玄理くろまろが答え、

「そうですか。それでは、また明日」

 と真椋まくらが笑顔で答えた。それから玄理くろまろは赤麻呂のいるところへ行くと、彼らはただ、集まって他愛のない話しをしていた。

「赤麻呂、仕事は終わったのか?」

 玄理くろまろが聞くと、

「ああ、終わった。お前はもう、帰るのか?」

 と言葉が返って来た。

「お前は帰らないのか?」

 玄理くろまろが聞くと、

「ああ、仕事を終えても、皆、夕刻までここで過ごす」

 と答えた。玄理くろまろはそれがなぜなのか不思議に思った。仕事を終えたなら、家に帰ればいいのだが、帰らずこうして仲間と話をして過ごす方が、彼らには楽しいのだろうかと。

玄理くろまろ、こっちへ来い。皆にお前を紹介したい。というか、こいつらがお前に会いたがっていたんだ」

 赤麻呂が言うと、

「分かった」

 と玄理くろまろは複雑な面持ちで、彼らの輪に入っていった。

「こいつが葛城玄理かつらぎのくろまろだ」

 と赤麻呂が得意げな顔をして言うと、

「おお~!」

 と感嘆の声が上がった。ここにいる者たちは、玄理くろまろに何を期待しているのだろうか。

葛城玄理かつらぎのくろまろです。今日から呪禁師じゅごんしとして、務めさせていただくことになりました」

 玄理くろまろは紹介を受けて、皆に挨拶した。すると、

「葛城山の修験者ですよね? あそこでは過酷な修行をしていると言われていますが、どんな事をしていたんですか?」

 一人の若い男が質問した。

「過酷ではありません。そして、修行の内容は他言禁止なので、答えられません」

 と玄理くろまろは答えて、

「すみません」

 と謝罪した。

「まあ、まあ。玄理くろまろについて、皆、色々と聞きたいようだが、修験者というのは俗世を離れて厳しい修行を積んで、呪術、仙術を身に着けるものだからな。俺も幼い頃、修行に行った。その時、玄理くろまろと共に学んだ。これだけ話せば十分だろう?」

 と赤麻呂が気を利かせて、皆に話した。

「そうか。赤麻呂も修行に行っていたのか。だから、術が使えるのだな」

 と周りの者たちが納得して頷き合っていた。それから玄理くろまろは、彼らの他愛もない会話を聞きながら、赤麻呂が帰る時を待った。夕刻となると、皆、挨拶をして帰って行き、

「それじゃあ、俺たちも帰ろうか」

 赤麻呂がそう言って、二人は牛車に乗って、屋敷へと帰った。

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