第40話

 玄理くろまろたちが食事を済ませると、先ほどの男が、

「では、ご案内致します」

 とにこやかに言う。

「うん」

 玄理くろまろは男に誘われるままついて行くと、街から離れ、木々の茂る薄暗い道へと進んだ。その道の両側の灯りは宙に浮いていて、妖灯であることは明らかだった。先ほどの店で、玄理くろまろたちが仙人であることを知っているはずの男が、なぜ、あやかしの世界へと導いたのだろうか。玄理くろまろと共に歩く美夜部みやべ紅蘭こうらんも、この男があやかしであることは最初から気付いていたが、玄理くろまろが何も言わずに、この男について行くのを止めはしなかった。きっと、何か考えがあるのだろうと、玄理くろまろに黙って従ったのだ。あやかしの男は、ただ黙って先を歩き、後ろの玄理くろまろたちを振り返る事もなく進んだ。暫く行くと、煌びやかな灯りと共に、派手な建物が見えてきた。

「あちらがお宿でございます。さあ、どうぞ、いらしてください」

 と男はにこやかな笑みを称えて、玄理くろまろたちを促した。

「うむ」

 玄理くろまろが頷いて、その建物へ入ると、

「いらっしゃいませ~!」

 華やかな衣装を纏った美しい女たちが、玄理くろまろたちを笑顔で迎え入れ、

「さあ、こちらへ」

 と彼らの手を取り、奥へと引き入れる。玄理くろまろはそれを拒むことなく、奥へと進んだ。美夜部みやべ紅蘭こうらんも同様に、女たちに導かれて奥へと進むと。広い部屋へ通された。そこで待っていたのは、きつねあやかしだった。人の姿をしていて、赤い服を身に纏い、大きな長椅子に身体を預けるように座っていた。やなぎの葉のように細くて綺麗な眉に、切れ長の目、黒い瞳に筋の通った鼻に薄い唇。完璧なほどに美しい顔立ちの男だった。

「来たか」

 狐のあやかしは笑みを浮かべて、

紅蘭こうらん、その名を付けたのは我だ」

 と言った。

「誰だ? お前?」

 紅蘭こうらんが聞くと、

「はははっ! 我を知らぬと言うか? まあ、無理もない。お前とは初めて会うからな。しかし、お前の気を感じたのは、父子ふしであるが故だ。まさか、生きていたとは」

 と狐のあやかしが答えた。

「ん? ふし?」

 紅蘭こうらんが首をかしげると、

子狐こぎつねの父と言うが、こいつはお前を知らないようだ。お前の目的は何だ?』

 美夜部みやべ紅蘭こうらんを庇う様に抱き寄せて言った。

「ん? こいつ、俺の父なのか?」

 紅蘭こうらんが聞くと、

「お前の名を知っている事が、その証拠だ」

 と狐のあやかしが答えた。

『ふんっ! 父であることが本当だとしても、それに何の意味がある? 一度も会ったことがないというのに』

 美夜部みやべが狐のあやかしに言うと、

「死んだと思っていた我が子が現れたのだ、会いたいと思うのは当然だろう」

 と答えた。

『ふんっ! 詳しい事情などどうでもいいが、何か企みがあるなら、容赦はしない』

 と美夜部みやべは既に敵視しているようだ。玄理くろまろは狐のあやかしから話しを聞くために、彼らの会話に割り込んだ。

「二人とも、少しいいかな? 俺は狐の話が聞きたい。紅蘭こうらんは俺たちの大切な友だ。お前が紅蘭こうらんの父と言うならば、何があって、紅蘭こうらんと離れたのかを話して欲しい」

 と言葉をかけた。すると狐のあやかしは、

「うむ。紅蘭こうらん、お前にも話さねばならない事だ」

 と前置きをして、語り始めた。


 それは今から二百年ほど前の事。狐はつがいである白狐と共に、人里離れた山でひっそりと暮らしていた。しかしある時、人がその山に入り、白い狐を見つけて捕らえようとした。狐は白狐を助けて、何とか人の手から逃れたが、白狐は深手を負い、そのまま腹の子と共に事切れた。深い悲しみと、人への憎悪の念が沸き起こり、妖力が増すと狐はその者たちを殺し、その魂を食らった。すると妖力は更に増し、人の姿へと変化へんげできるようになり、つがいの白狐の為に墓を掘り手厚く弔いをした。それから暫くすると、人々が妖狐ようこを退治しに山へと入って来た。つがいの墓を荒らされては困ると思い、自ら姿を現し、人々を殺してその魂を食らった。そうして、狐の妖力は増していった。それを聞きつけ、今度は名のある術者が差し向けられた。山へ入るその術者の気を感じた狐は、その山を去っていった。それから、幾つか場所を変えて、今はここに住み着いているという。


「そうか。話は分かった」

 と玄理くろまろは言って、

紅蘭こうらん、お前の父は間違いなど犯してはいない」

 と紅蘭こうらんに微笑みを向けた。

「人でありながら、我らへ理解を示すとは、変わり者だな」

 と狐の妖は口の端を上げて言った。

「うむ。そうかもな」

 と玄理くろまろも笑みを浮かべた。

『ふんっ! だから何だ? 父と子で仲よくしようとでも言うのか?』

 と不機嫌そうに美夜部みやべが言う。

「まあ、そう言うな。今夜はここで宿を取ろう。そのつもりで着いてきたんだ」

 と玄理くろまろが笑みを向けて言うと、

「はははっ! 面白い奴だな。気に入った。ゆっくり休んでいけ」

 と狐のあやかしは言って、

「ところで、紅蘭こうらん。母はどうなったのだ?」

 と急に不安そうな面持ちで聞く。つがいの白狐について真実を知るのが怖いのだろう。

「ん? 母さんか? 元気だぞ! 色ボケ爺と仲良くしている。それが腹立たしいから、傍にはいられない。だから、こうして旅をしている」

 と紅蘭こうらんが答えると、狐のあやかしの表情はぱっと明るくなり、

「そうか! 生きているのだな? あやかしとなったのだな? 良かった」

 と嬉しそうに言った。

「いいもんか! 色ボケ爺と睦み合っているなんて想像するだけで腹が立つ!」

 と紅蘭こうらんは憤るように言うと、

紅蘭こうらん、お前も大人になれ。母が幸せなら、お前はそれを喜ぶべきだ。我は複雑な思いだが、幸せならそれでいい」

 と狐のあやかし紅蘭こうらんを諭した。

「俺は大人だ! 生まれてから二百年経つんだ!」

 と紅蘭こうらんは胸を張った。そんな紅蘭こうらんを見つめる狐のあやかしの眼差しは、穏やかで優しいものだった。それを見た美夜部みやべは、一つ息をついて、

『狐、俺の誤解だったようだな。非礼を詫びよう』

 と狐のあやかしに向かって言った。それから、

子狐こぎつねは弱いが、俺が守ると誓うから安心して任せて欲しい』

 と言葉を続けた。

「ほう、そういうことか。分かった、お前に我が子を託す」

 と狐のあやかしは答えた。

「ん? 何の話だ?」

 紅蘭こうらんが呆けたように聞くのを、

「お前の父が、お前の事を美夜部みやべに託すと言ったのだ」

 と玄理くろまろが答えた。

「そうか! 分かった! 子兎こうさぎ、よろしくな!」

 紅蘭こうらんはにっこりと笑って美夜部みやべに言うと、

『うむ』

 と美夜部みやべは満足そうに頷いた。


 一晩、狐のあやかしの屋敷で宿を取り、その翌日、

「それでは、行きます」

 と玄理くろまろが言う。

『機会があれば、また来よう。子狐こぎつねと共に』

 と美夜部みやべが言って、

「父、また来るぞ! 子兎こうさぎと共に!」

 と紅蘭こうらんが元気に言って、その場をあとにした。

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