第36話

 日が傾き始めた頃、

「暗くなる前に宿を探さないといけないな。美夜部みやべ、少し飛ぼう」

 玄理くろまろが言うと、

『うむ』

 と美夜部みやべが頷き、

子狐こぎつねは俺が運ぶ』

 と紅蘭こうらんを掬い上げるように両腕で大事そうに抱えた。

「おう、よろしくな!」

 紅蘭こうらんが慣れたように言うと、

『ふんっ!』

 と美夜部みやべは鼻を鳴らした。そんな二人を見て玄理くろまろは微笑みを浮かべ、

「それじゃあ、行こうか」

 と言って飛翔した。暫くすると、眼下に灯りが見えてきた。

「降りてみよう」

 そこは小さな集落だった。玄理くろまろたちが空から舞い降りるのを見た者が驚き、

「なんと! 神が降臨なされた!」

 と平伏した。

「驚かせて済まない。俺たちは神じゃない、仙人だ。旅をしているのだが、この辺りで宿を取れるところはないか?」

 と玄理くろまろが平伏す男に尋ねると、

「仙人さまでしたか。この辺りには宿はないですが、私の所でよければ、どうぞいらしてください」

 と答えた。

「それは、ありがたい」

 そう言って、男について行くと、粗末な建物が幾つかあり、その中で一番大きな建物が男の家だった。

「私はこの集落の長です。さあ、どうぞ入って下さい」

 大きいといっても、他の家が小さいだけで、この家も玄理くろまろたちの暮らす家に比べたら、遥かに小さい。中に入ると、女が一人と、子供が三人いて、玄理くろまろたちを見て驚いた顔をした。

「妻と子です」

 と男は玄理くろまろたちに向かって言って、家族に向き直り、

「仙人さま方だ。挨拶をしなさい」

 と言うと、

「妻です」

 と女がお辞儀をして、

「子供たちです」

 と子供たちにも頭を下げるように促した。子供たちは母に倣って頭を下げた。

「うむ」

 と玄理くろまろも頭を下げて答えた。

「今日は仙人さま方にお泊り頂くことにした。お前たちは妹の家に行きなさい。私は弟の所へ行く」

 と男は家族に言って、

「仙人さま、お食事は済まされましたか?」

 と玄理くろまろに聞いた。

「いや、まだだ」

 と玄理くろまろが答えると、

「では、ただいま、ご用意致しますので、お待ちください」

 と言って、家族を促して出て行った。それを見て、

「なんだか、悪い事をしたな」

 と玄理くろまろは申し訳なさそうに言った。

『気にすることはない。あの者はここの長であり、俺たちを迎え入れたのもあの男だ。この好意を甘んじて受けよう』

 と美夜部みやべが言う。

「おい、子兎こうさぎ。俺は歩けるから下ろしていいぞ」

 いつまでも美夜部みやべに抱きかかえられていた紅蘭こうらんが言うと、

『ああ、お前を抱えていたことを忘れていた。あまりにも軽すぎて』

 と美夜部みやべは口元に笑みを浮かべて言った。

「なんだと! 馬鹿にしているのか⁉」

 と紅蘭こうらんが息巻いて暴れると、

『大人しくしろ、落ちるだろう?』

 と美夜部みやべが眉を寄せて言う。

「ふんっ! ここなら落ちても痛くないぞ!」

 と紅蘭こうらんが言うと、

『そうか?』

 と言って、美夜部みやべ紅蘭こうらんを落とした。紅蘭こうらんはそのまま尻を地面に打ち付けて、

「痛い!」

 と叫んだ。

『ほら、痛いだろう? だから大人しくしろと言ったのだ』

 と美夜部みやべが笑みを浮かべて言う。

美夜部みやべ、意地悪をするな」

 玄理くろまろはそう言って、紅蘭こうらんを支えて立たせると、尻についた土を払う。それを美夜部みやべは不機嫌そうに見て、

『ふんっ!』

 と鼻を鳴らした。

「まったく! 子兎こうさぎのくせに!」

 と紅蘭こうらんが言うと、

紅蘭こうらん、大丈夫? そんなにお尻が痛かったのか? 俺が具合を見てやろう」

 と玄理くろまろが言って、紅蘭こうらんの服を捲ろうとすると、その手を掴み、

『その必要はない。痛くはないはずだ。俺の力で浮かせていた』

 と美夜部みやべが言う。

「ん? そう言えば、痛くないな」

 紅蘭こうらんがけろりとした顔で言う。紅蘭こうらんの尻に土は付いていなかったが、玄理くろまろがわざと土を払う様にしたのだった。

玄理くろまろ、わざと子狐こぎつねの尻に触ったな?』

 と不機嫌な顔で美夜部みやべが言う。

「はははっ。お前が紅蘭こうらんを揶揄うからだ」

 と玄理くろまろが言うと、

『無闇に触れるな』

 と美夜部みやべが言葉を返す。

「なんだ? なんで二人は言い合いしてるんだ?」

 紅蘭こうらんがきょとんとした顔で聞くと、

紅蘭こうらん、大丈夫だ。喧嘩じゃない」

 と玄理くろまろ紅蘭こうらんに言って、

美夜部みやべ、悪かった。お前の紅蘭こうらんに無闇に触れないと約束する。だから、怒るなよ」

 と言ったあと、一つ息をついて、

美夜部みやべ紅蘭こうらんは心が幼い。お前が言わなければ、気持ちに気付くことはない。優しくすることに不慣れなお前には難しいかもしれないが、紅蘭こうらんに分かるように気持ちを伝えてあげて」

 と言葉を続けた。それを見て紅蘭こうらんが、

「え? 何? 気持ち?」

 と二人の顔を交互に見た。美夜部みやべは覚悟を決めたように、深く息を吸って吐くと、

子狐こぎつね、俺はお前を大事に想っている』

 と一言言う。

「おう! ありがとう!」

 と紅蘭こうらんは満面の笑みで礼を言う。それを見た玄理くろまろが、

「まあ、今はこれで良しとするか」

 と笑ったが、意を決した美夜部みやべはその想いが伝わっていない事に落胆したのだった。

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