第11話

 翌朝、宿を出る前に軽く朝食を取り、三人は西へと向かった。

玄理くろまろ、目指す場所までどのくらいかかるんだ?」

 紅蘭こうらんが聞くと、

「俺にもそれは分からない。ただ、俺たちのいた都から不死の山までは一月ひとつきかかった。目指す場所は都を超えて、そのずっと先にある」

 と玄理くろまろが答えた。それを聞くと、

「ひょえ~!」

 紅蘭こうらん頓狂とんきょうな声を上げた。

『なんだ? お前、まだ旅は始まったばかりなのに、もう音を上げるのか?』

 と美夜部みやべ玄理くろまろの懐から顔を出して、揶揄うように言った。

「そんなわけがないだろう! ただ、驚いただけだ! 音を上げたなんて、ちっとも歩かないお前に言われたくない!」

 紅蘭こうらんが言葉を返した。

「そうだぞ? 美夜部みやべ紅蘭こうらんは偉い。ちゃんと人の姿を保ちながら、こうして旅をしているのだからな」

 玄理くろまろはそう言って、紅蘭こうらんの頭を撫でた。

「そうだぞ。俺は偉いんだ」

 紅蘭こうらんは嬉しそうに胸を張った。玄理くろまろに子ども扱いされている事に、まったく気付いてはいないようだ。


 玄理くろまろが都を出た頃は春だったが、今はそろそろ夏が近付く頃で、歩いていると汗ばんできた。

「暑いな。少し休もうか?」

 玄理くろまろはそう言って道から外れて、近くに流れる小川を見つけ、その水を手で汲んで顔を洗った。

「ああ、気持ちがいい」

 すると紅蘭こうらんは、子狐の姿に戻り、水の中へ飛び込んでいった。水かさの浅い川で、じゃぶじゃぶと音を立てて、飛び跳ねて水と戯れた。それを見て、

「紅蘭、楽しいか?」

 と玄理くろまろが笑顔で言うと、

「おう! 楽しいぞ! 子兎も来いよ!」

 と美夜部みやべに声をかけた。

『ふんっ! 俺の身体じゃ足が着かないのを分かっているだろう!』

 美夜部みやべが反論した。

「それなら!」

 紅蘭こうらんは人の姿になって、子兎の美夜部みやべ玄理くろまろの懐から出して、

「一緒に遊ぼうぜ!」

 と言って、小川の浅瀬に美夜部みやべを下ろすと、

「ほら!」

 と手で掬った水をかけた。

『おい!』

 と美夜部みやべは声を上げたが、怒っていないようだ。

「冷たくて、気持ちいだろう?」

 紅蘭こうらんは屈託なく笑って、もう一度水をかけようとすると、美夜部みやべはぴょんと飛び上がって、その水を避けた。

「おお! 逃げたな? もっとかけてやる!」

 紅蘭こうらんは楽し気に、何度も水を掬っては美夜部みやべへかけようとした。けれど、美夜部みやべは素早く水を避けて、

『はははっ! 未熟者め! 俺の速さに追いつけないだろう?』

 と、紅蘭こうらんを牽制した。どうやら、美夜部みやべも楽しんでいるようだった。玄理くろまろがそんな二人を、穏やかな眼差しで見守っていると、突然、妖しげな気を感じた。

紅蘭こうらん美夜部みやべ

 静かに彼らの名を呼ぶと、彼らもその妖気に気が付いたようだ。遊ぶのをやめて、川から上がり、玄理くろまろの傍らに並んだ。


あやかしものよ、俺たちに何か用か?」

 と玄理くろまろが尋ねると、木の影からぬるりとそのあやかしが姿を現し、

「人が我をあやかしものと言うが、お前もただの人ではないのだろう? それに、あやかしものを連れている。お前こそ、妖しい奴」

 とそのあやかしが言った。

「そうだな。お前の言う通り、俺は妖しい奴だな。だが、お前を傷つけるつもりはない。ここはお前の領域か?」

 と玄理くろまろが尋ねると、

「我は、この小さな川に住んでいる」

 とあやかしが答えた。

「そうか。ここで騒いで悪い事をしたな。少し涼ませてもらった。水が清らかなのはお前が住んでいるからだろう。知らなかったとはいえ、水を濁らせてしまった事は謝らなければいけないな。済まなかった」

 と玄理くろまろが頭を下げると、

「ほう? 人にしては礼儀をわきまえておるのだな? ならば許そう。人よ、なぜお前は狐を連れているのだ? それに、その兎は何だ?」

 あやかし紅蘭こうらんたちが水を濁したことを許し、妖しげな者たちについて尋ねた。

「子狐は不死の山で出会って、旅の仲間とした。子兎は道中で譲ってもらって、俺の友人の霊魂を宿らせている」

 玄理くろまろが素直に答えると、

「友人の霊魂か。何やら、複雑な事情を抱えているのだな? ここで出会ったのも何かの縁だ。お前にこれをやろう」

 そう言って瓢箪ひょうたんを渡し、

「これには、清らかな水が入っている。喉の渇きを癒しなさい。その水はこの小川の水が生まれる場所から常に湧き出ている。いくら飲んでもなくなることはない。これからの長い旅に持って行くがいい」

 と付け加えた。

「感謝します。貴方は水の神だったのですね? 無礼な態度を陳謝します」

 相手が神であることを知ると、玄理くろまろは再び頭を下げた。

「うむ、許そう。お前の名は何という?」

 と水の神は尋ねた。

葛城玄理かつらぎのくろまろと申します」

 と玄理くろまろが答えると、

「うむ。覚えておこう。では行くがいい」

 と言って、水の神はキラキラと水の粒となって消えた。

「水の神、何とも不思議な存在だったな」

 玄理くろまろが言うと、

「いや、いや。俺には怖い存在だ。あの妖しげな気で、俺は身体が動かなかったぞ」

 と紅蘭こうらんはぶるりと身体を震わせた。

『俺も、死者の霊魂だからな。あれの気は俺にもきつかった』

 と美夜部みやべも言った。

「俺に聞くまでもなく、お前たちの正体を知っていたに違いない。優しい神でよかった。怒りっぽい奴だったら、お前ら消されてたかもな?」

 と玄理くろまろが笑った。

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