第8話

 子狐が待つ場所へ玄理くろまろの分身が行くと、

「お前、益々、妖しげだな? こんな術を使うとは。母さんを連れて来ていないじゃないか」

 と子狐が言う。

「まあ、まあ。落ち着け。お前の母さんに会った。仙人には霊気を抑えてもらっているから、お前も一緒に頂上まで行こう。歩いて行くと時間がかかるからな。縮地しゅくちの術で行く。俺を信じて手を出して」

 玄理くろまろはそう言って、少しかがんで手を差し出した。

「なんだ? その妖しげな術で何をする気だ?」

 子狐が訝るように言うと、

「瞬時に移動が出来る術だ。お前に害を与えるものではない。さあ、俺を信じて」

 そう言って、差し出した手に子狐が手を繋ぐのを待った。

「ふんっ! 仕方ない、応じてやろう」

 子狐はそう言って手を握ると、玄理くろまろはそっと子狐を抱きかかえた。そして、次の瞬間には、山頂にある霊宝れいほうの庵の前に立っていた。

「え? 本当だったのか? その術?」

 子狐は瞬時に移動できる術があるのを初めて知って驚いていた。

「嘘をついても意味はないだろう? それより、お前の母に会いに行こう」

 玄理くろまろはそう言って、庵へと向かって歩いた。子狐もそれに続いた。庵に入ると、玄理くろまろの分身は役目を終えて、元の白い紙に戻った。

「ご苦労だったな」

 庵で待っていた玄理くろまろは白い紙を袂へ戻し、

「子狐、おいで。仙人はお前を捕まえたりはしない」

 庵の入り口で、身体を半分隠して、中の様子を見ていた子狐は、母の姿を見ると、

「母さん!」

 と声を上げて、母へと駆け寄った。美しい人の姿をした母は、子狐を胸に抱きその頭を優しく撫でた。

「坊や、淋しい想いをさせてしまって、ごめんなさい」

 と母は涙を流した。

「母さん、泣かないでよ。俺はこうして元気にしている。会えて嬉しいよ」

 子狐が言うと、

「私も、お前に会えて嬉しい」

 と母も言う。

「母さん、助けに来たんだ。あいつに母さんを救い出すよう命じた。もう大丈夫だ。あいつはすごく強い。この色ボケ爺はあいつがやっつけてくれる。だから、ここから出よう」

 子狐はそう言って、母の手を取ったが、母は戸惑いの表情で顔を伏せた。

「母さん? どうしたの? 早く逃げよう!」

 子狐が悲しそうに言う。

「子狐。母さんの話を聞こう」

 玄理くろまろは子狐に言って、

「狐、お前の気持ちを子狐に伝えなければいけない。それがお前にとって辛い事だとしても」

 と母狐に向かって言った。

「はい」

 母狐は答えて覚悟を決め、子狐にこれまで何があったのか、そして、霊宝れいほうと共にいる理由を語った。


 母狐はこの百年、霊宝の元で、これまで頂いてきた命に感謝し、それを糧にして妖力としたその命の重みを一心に受け、心を穏やかに過ごしてきた。それは、この霊宝の教えであり、導きだった。命を取る事を罪として罰するのではなく、頂いた命に感謝するという教えは、母狐には考えの及ばないものであった。そして、教え諭した霊宝の心の深さと、慈悲に感謝し、敬意の念を抱き、そのうちそれが恋慕へと変わったのだ。

 そんな母の想いを聞いてしまった子狐は、どうにも居た堪れない。母を捕らえた憎き敵とこれまで強く恨みを抱いた相手に、母が恋慕の念を抱くとは、受け入れがたいものだった。その複雑な思いから、子狐は何も言葉を発しなかった。


「子狐。これからどうする? 母に会えたのだから、お前の願いは叶ったな」

 玄理くろまろが言うと、

「俺の願いは、母さんを取り戻す事だ! こんなの、願いが叶ったなんて言わない!」

 と激しく言葉を返した。

「そうだな。お前は納得がいかないだろう。しかし、母の事を想えば、この二人の幸せを壊すべきではない」

 と玄理くろまろは子狐を諭す。

「ふんっ! 母さんが幸せならいい! だがな、お前! もし、母さんを泣かせたら、絶対に許さないからな!」

 子狐は霊宝に向かって、牙を剝きながら警告した。

「分かった。お前の母を大切にする。もし、私が不義を犯したならば、お前の好きにしなさい」

 と霊宝が穏やかに答えた。

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