Ⅸ 忘れっぽいのは相変わらずだね。

第38話

 目を覚ますと、そこは病室だった。




「起きた?」



 声がして見ると、ぼんやりとした視界のなかで、傍らにポニーテールの少女の姿があることに気が付いた。起き上がろうとするが、身体が鉛のように重い。おまけに、関節そのものがなくなってしまったみたいに、まったく動かない。まるで自分の身体ではないみたいだ。


 そんな俺を呆れ顔のまま、彼女はそっと手を握ってくれる。小さな手。それなのに、包み込むような柔らかさ。温もりが伝わってきて、安堵の息が漏れた。


 でも、どうして落ちつくのかは、俺にも不思議だった。前にもこうしてもらった気がする。だからなのだろうか。分からない。視界がはっきりとしていくなか、彼女の姿が鮮明になっていく。黒いパーカー。気だるげな表情。前髪で隠された右目。ずっと付き添ってくれていたであろうポニーテールの少女を見て、俺は少し当惑した。



 だった。



「あなたは……?」



 喉から絞り出すような声だった。途端に、なぜだか分からないけれど、最低な質問をしてしまったと思った。病室に響いた俺の声が、自分の胸に突き刺さるような感覚。けれど、理由だけが分からない。


 答えを求めて、彼女の瞳を見つめる。だが少女は、一瞬だけ困ったような表情を浮かべると、その瞳を静かに閉じてしまった。そして、どこか納得したような表情に変わる。「これでいいんだ」と。俺と彼女自身に言い聞かせているようだった。



「忘れっぽいのは相変わらずだね」

「……」



 再び瞳を開いた少女は、表情に戻っていた。無愛想で、そっけなくて、いつも言葉足らずの少女。ただ、立ち上がって、すっと踵を返す。


 それはきっと、彼女なりのさようなら。それとも、おかえりだろうか。、掴みどころがない。そんなんだから、勘違いしちゃうんだろ、と。その背中を視線で追いかける。



「……待って」

「?」



 呼びかけに、彼女は足を止める。

 けれど振り向きはしない。



「……変なこと言ってたらごめん。けど……」

「……」

「グレープジュース……奢る約束してたと思う」



 自分でも、何を言っているのか分からなかった。頭でもおかしくなったのかと。きっと病院に居る理由も、頭を強く打ったからなのだろう。だから、しばらく続いた沈黙を破るために、「気にしないでくれ」と言う。いや、そう口を開こうとしたところで、彼女が小さくクスっと笑った気がした。


 ふわりと舞い込む初夏の風。

 温かな日差し。

 そして、ポニーテールが揺れた。



「じゃあね。そういうところは、嫌いじゃなかったよ」







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