第36話

「もーっ! こっちは一人で大変だったんだから!」

「悪い。状況は?」 



 高度四〇〇キロメートル。

 

 眼前には、直径二〇〇メートルのトーラス状の巨大建造物。宇宙ホテルの成れの果てが、闇夜のなかで不気味に鎮座している。


 救済RI合党Pの母船はというと、宇宙ホテル最上部に横付けするようなかたちで並走し、いままさにデブリ除去衛星の設置に踏み切ろうとしているところだった。アームを使っておこなわれる設置作業。その補助として、一機の〈リモートウォーカー〉の姿が確認できる。


 問題は、そこへ向かう道を塞ぐように立ちはだかる、二機の〈リモートウォーカー〉。向けられているのは銃口。アサルトライフルを象った銃火器だが、おそらくはレーザー兵器だろう。「動くな」「そこでじっとしていろ」と言葉が聞こえてきそうだ。



「来るの遅いから、もう設置作業始まっちゃってるよ! 止めなきゃいけないのに、突破できない!」

「……なるほど。三機撃墜する必要がありそうだな」

「どうする?」



 凪咲なぎさが手にしているのは、デブリを切断する際に使用するレーザーカッター。それ一本で、これまで軍用機相手に互角にやり合っていたのか? 恐ろしい身体能力を備えているのは言うまでもない。パイロットとしての勘といい、判断能力といい、どうしてこんな場所に居るのかが分からなくなる。


 救済RI合党P側からすれば、とんでもない化物と遭遇したといったところだろう。たかだか民間機を束になっても堕とせないのだ。救済RI合党Pであればもはや無双のパイロットとして重宝され、軍人としてもエース級として活躍するパイロットだろう。



凪咲なぎさ。前の二人は、俺が請け負った。奥のあいつを頼めるか?」

「んー? それはいいんだけど、どうやんの? 言っとくけど、こっちには武器なんてないよ?」



 レーザー照射機なら、あるにはある。スペースデブリは回転していることが多く、それを固定するために用いるのだ。だが、おそらく軍用機への攻撃を企図しているわけではないため、目の前にあるレーザーアサルトライフルほどの出力は見込めない。


 だから。

 


 眼前の〈リモートウォーカー〉を目に焼き付ければ、中枢神経が胎動した。脳漿が搾り取られていくような感覚。それと引き換えに、全身を巡る血液に電撃が走ると、疑似的に手にしている金属の肉体が変形していく。



「それ……ッ!」



 言葉を待たず。

 俺は


 いまの俺は、救済RI合党Pの機体だった。手には瓜二つのレーザーアサルトライフル。突然の変身に、対応できなかった一機は撃墜。眼下の青い空に吸い込まれるように堕ちていくと、その中空で爆散する。


 上がる炎が、開戦の合図だった。



「チッ」



 反撃が来る。


 素早く身を翻しながら、俺も応戦する。



「行け、凪咲なぎさ!」

「え……? そんなこともできたの?」

「お前が言ったんだろ?」

「?」



 一瞬、疑問符を浮かべる凪咲なぎさだったが、すぐにパァっと顔を明るくして、うんうんと嬉しそうに頷いた。



「「せっかく宇宙にいるんだから、神様になったつもりで楽しもう!」」

 


 空を蹴る凪咲なぎさ


 それを確認すると、俺は目の前の機体に意識を集中させる。


 迫りくるは、光の弾丸。闇の海を飛翔しながらかわしつつ、敵機体に照準を定めてトリガーを引く。二発、三発、四発と、放たれた光の弾道は孤を描きながら彼方へと消えていく。


 切裂くは闇。視界で廻る暗天と白光。淡い空の青も、流れる雲の白も、音速の二十倍を超える速度で流れていく。けれども、その全てが悠然と時間を奏でている。眼下に広がる鮮やかな空も。淡い水平線の彼方に浮かぶ月も。天上に広がる闇も。何もかもが遠大で、壮大で、幽遠で、壮麗で、……美しすぎて。宇宙そらのなかへ溶けていく。


 そうして、流れていく光の粒と一緒になって、自分のなかの思考が、紫黒の虚空へと同化して消えていく。心が、感情が、そして、記憶が身体から抜け出ていく。色んな人の顔が、声が、思い出が……消えていく。


 代わりに脳裏に浮かび上がるのは、白装束の少年。もはや名前も忘れた俺のなかに棲む虫。フードで顔を隠す彼は、舌なめずりをしては、その歯を俺の記憶の束に突き立てる。


 喰われている。

 そんなこと、分かっていた。



「喰いたきゃ、好きなだけ喰えよ。凪咲なぎさの食い意地に比べたら、どうってことねぇよ」



 ふと、宇宙ホテルの最上部が視界に入る。


 デブリ除去衛星の設置が完了し、導電性テザーに吊るされるような形になった宇宙ホテルは、さながら風船を携える子どものようにも見える。電流が流れると、地球の磁場が相互作用を起こし、軌道進行方向とは逆の力が生まれ始める。


 そうして、進行方向への速度を失う宇宙ホテル。第一宇宙速度が紡ぎあげる世界に留まれなくなれば、まもなく降下が始まる。


 宙づりの宇宙ホテル。そのの前に門番のように立ちはだかっているのは救済RI合党Pの〈リモートウォーカー〉。その機体に対し、突撃する別の〈リモートウォーカー〉の姿が確認できた――凪咲なぎさだ。



「おりゃあああっ!」



 ドロップキック。


 目の覚めるような見事な一撃だった。カーマンラインのさらにその向こう側の雲海に目掛けて突き落とす。見る見る間に落ちていく機体と、反動を利用しながらも華麗な身のこなしで最上部に留まる凪咲なぎさ。その彼女が、俺に語り掛ける。



「こっちは、おーしまい! そっちも、もう十分楽しんだんじゃない? そろそろ、お開きにしよう!」

「……ああ」



 本当におかしな奴らの集まりだと思う。その気になれば、世界なんて滅ぼせてしまえそうなのに――いや、それ以上に誰かと一緒に笑っていたいんだと思う。


 朝日に起こされて、寝ぼけ眼で歩く通学路。そこに、「おはよ!」と背中を叩く人がいる。「痛ぇな」と怒る俺がいる。それから、宿題を写させてくれと言われて、そこで初めて課題の存在を知る教室。早弁をする奴がいたりして。昼休みには、空を眺めながら昼食を食べる屋上があったりして。ボールを追いかけた放課後があって。部活終わりに立ち寄る中華屋があって……。隣で笑う奴がいる。


 心と心が繋がる。

 まるで星と星を繋げて星座を描くように。



「じゃあな」


 

 そして俺は。

 救済RI合党Pの機体に、照準を合わせた。




 *****




 炎を上げて機体が堕ちていく。


 それで、勝敗は決したと悟ったのだろうか。救済RI合党Pの母船は強引にドッキングのアームを切り捨てると、俺たちから離れていく。



「よーし、終わり! じゃあ後は……」



 凪咲なぎさは導電性テザーを切るために、レーザーカッターにスイッチを入れる。


 他方、俺は一度体勢を立て直すために、〈アストラル・クレスト〉の母船へと帰投していた。そして母船自体は、まずデブリ除去衛星を回収するための軌道に入るため、一度宇宙ホテルから離れる。


 デブリ除去衛星は、デブリが大きすぎた場合に、衛星軌道から外すためのスラスターも付けられたハイブリッド仕様。これが、うまく機能するかは賭けになるが、少しずつとはいえ宇宙ホテルの高度が下がり始めたいま、ぶつけ本番でやるしかない。


 だが……



「じゃあ、切――」



 なぜか嫌な予感がした。


 脳裏にチラついたのは常泉じょうせんの顔。丸メガネをクイと持ち上げては、歯を見せて嫌らしい笑みを浮かべる。



 すばらしい。

 健闘を称えて、これをあげよう。



 と。



「あ……」




 閃光。



 

 次の瞬間、凪咲なぎさの機体を巻き込む大爆発が起こった。爆散するデブリ除去衛星。炸裂したのは、救済RI合党Pによって仕掛けられていた遠隔爆弾だったのだろう。


 


 そして、衝撃を加えられた宇宙ホテルは。

 静かに空に落ち始める。







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