第36話
「もーっ! こっちは一人で大変だったんだから!」
「悪い。状況は?」
高度四〇〇キロメートル。
眼前には、直径二〇〇メートルのトーラス状の巨大建造物。宇宙ホテルの成れの果てが、闇夜のなかで不気味に鎮座している。
問題は、そこへ向かう道を塞ぐように立ちはだかる、二機の〈リモートウォーカー〉。向けられているのは銃口。アサルトライフルを象った銃火器だが、おそらくはレーザー兵器だろう。「動くな」「そこでじっとしていろ」と言葉が聞こえてきそうだ。
「来るの遅いから、もう設置作業始まっちゃってるよ! 止めなきゃいけないのに、突破できない!」
「……なるほど。三機撃墜する必要がありそうだな」
「どうする?」
「
「んー? それはいいんだけど、どうやんの? 言っとくけど、こっちには武器なんてないよ?」
レーザー照射機なら、あるにはある。スペースデブリは回転していることが多く、それを固定するために用いるのだ。だが、おそらく軍用機への攻撃を企図しているわけではないため、目の前にあるレーザーアサルトライフルほどの出力は見込めない。
だから。
真似をする。
眼前の〈リモートウォーカー〉を目に焼き付ければ、中枢神経が胎動した。脳漿が搾り取られていくような感覚。それと引き換えに、全身を巡る血液に電撃が走ると、疑似的に手にしている金属の肉体が変形していく。
「それ……ッ!」
言葉を待たず。
俺は発砲した。
いまの俺は、
上がる炎が、開戦の合図だった。
「チッ」
反撃が来る。
素早く身を翻しながら、俺も応戦する。
「行け、
「え……? そんなこともできたの?」
「お前が言ったんだろ?」
「?」
一瞬、疑問符を浮かべる
「「せっかく宇宙にいるんだから、神様になったつもりで楽しもう!」」
空を蹴る
それを確認すると、俺は目の前の機体に意識を集中させる。
迫りくるは、光の弾丸。闇の海を飛翔しながら
切裂くは闇。視界で廻る暗天と白光。淡い空の青も、流れる雲の白も、音速の二十倍を超える速度で流れていく。けれども、その全てが悠然と時間を奏でている。眼下に広がる鮮やかな空も。淡い水平線の彼方に浮かぶ月も。天上に広がる闇も。何もかもが遠大で、壮大で、幽遠で、壮麗で、……美しすぎて。
そうして、流れていく光の粒と一緒になって、自分のなかの思考が、紫黒の虚空へと同化して消えていく。心が、感情が、そして、記憶が身体から抜け出ていく。色んな人の顔が、声が、思い出が……消えていく。
代わりに脳裏に浮かび上がるのは、白装束の少年。もはや名前も忘れた俺のなかに棲む虫。フードで顔を隠す彼は、舌なめずりをしては、その歯を俺の記憶の束に突き立てる。
喰われている。
そんなこと、分かっていた。
「喰いたきゃ、好きなだけ喰えよ。
ふと、宇宙ホテルの最上部が視界に入る。
デブリ除去衛星の設置が完了し、導電性テザーに吊るされるような形になった宇宙ホテルは、さながら風船を携える子どものようにも見える。電流が流れると、地球の磁場が相互作用を起こし、軌道進行方向とは逆の力が生まれ始める。
そうして、進行方向への速度を失う宇宙ホテル。第一宇宙速度が紡ぎあげる世界に留まれなくなれば、まもなく降下が始まる。
宙づりの宇宙ホテル。そのひもの前に門番のように立ちはだかっているのは
「おりゃあああっ!」
ドロップキック。
目の覚めるような見事な一撃だった。カーマンラインのさらにその向こう側の雲海に目掛けて突き落とす。見る見る間に落ちていく機体と、反動を利用しながらも華麗な身のこなしで最上部に留まる
「こっちは、おーしまい! そっちも、もう十分楽しんだんじゃない? そろそろ、お開きにしよう!」
「……ああ」
本当におかしな奴らの集まりだと思う。その気になれば、世界なんて滅ぼせてしまえそうなのに――いや、それ以上に誰かと一緒に笑っていたいんだと思う。
朝日に起こされて、寝ぼけ眼で歩く通学路。そこに、「おはよ!」と背中を叩く人がいる。「痛ぇな」と怒る俺がいる。それから、宿題を写させてくれと言われて、そこで初めて課題の存在を知る教室。早弁をする奴がいたりして。昼休みには、空を眺めながら昼食を食べる屋上があったりして。ボールを追いかけた放課後があって。部活終わりに立ち寄る中華屋があって……。隣で笑う奴がいる。
心と心が繋がる。
まるで星と星を繋げて星座を描くように。
「じゃあな」
そして俺は。
*****
炎を上げて機体が堕ちていく。
それで、勝敗は決したと悟ったのだろうか。
「よーし、終わり! じゃあ後は……」
他方、俺は一度体勢を立て直すために、〈アストラル・クレスト〉の母船へと帰投していた。そして母船自体は、まずデブリ除去衛星を回収するための軌道に入るため、一度宇宙ホテルから離れる。
デブリ除去衛星は、デブリが大きすぎた場合に、衛星軌道から外すためのスラスターも付けられたハイブリッド仕様。これが、うまく機能するかは賭けになるが、少しずつとはいえ宇宙ホテルの高度が下がり始めたいま、ぶつけ本番でやるしかない。
だが……
「じゃあ、切――」
なぜか嫌な予感がした。
脳裏にチラついたのは
すばらしい。
健闘を称えて、これをあげよう。
と。
「あ……」
閃光。
次の瞬間、
そして、衝撃を加えられた宇宙ホテルは。
静かに空に落ち始める。
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