Ⅷ おかえり、アストラル・クレストへ。

第34話

「流石だな……。鈴音りんね



 気付けば、俺はそう言っていた。


 自分でも驚くほどに冷静な反応だったと思う。もしかしたら、心のどこかで止めてくれるんじゃないかと期待していたのかもと考えると、苦笑さえ漏れる。



「いつから気付いてた?」

「逆に訊こうか。君は、『どうして俺なんだ?』と不思議がっていたね。なんで僕は君に目をつけたと思う?」

「……なるほど。最初から怪しんでたわけか」

「僕だけじゃない。月雲つくも奏人かなめも初対面なのに、君の名前を知っていただろう。みんな目をつけてたのさ。まったく、公安ときたら〈アストラル・クレスト〉と救済RI合党Pが繋がってると疑うものだから困ったよ……事実、救済RI合党Pである君を雇用してるんだからな」



 呆れ口調で語る鈴音りんね。それは、これまでの出来事を振り返ってと言うより、むしろ「どうせ覚えていないんだろうけれど」と言いたげな口調だった。実際に俺も、奏人かなめとの初対面でのことをあまり覚えていないものだから、その通りとしか言いようがなかった。



「――さて、もう観客のフリも飽きたろ?」



 鈴音りんねがフッと笑う。


 すると、途端に俺は画面に吸い込まれる。いいや、画面の方が迫って来たと言うべきか。あたりは白い閃光に包まれ、一瞬のうちに何も見えなくなる。見渡す限りの白い世界。


 やがて、背景が溶けだすように、周囲の様子が浮かび上がって来る。


 青だ。


 海だ。空だ。そして、風が吹きこんで、白雲が泳いでいく。そこは、海に臨むバルコニー。いつかの〈占い喫茶・クンバKUMBHA〉で、俺は水平線の先を眺めていた。そして、あの日と同じように、鈴音りんねは両手を大きく広げて手摺にもたれかかって、俺の方を見ていた。


 これは、作られた世界。作られた空だ。それは分かっていた。


 見上げれば、〈アストラル・クレスト〉の母船が浮かんでいて、一機の〈リモートウォーカー〉が活動している――凪咲なぎさだ。計画が上手く進まなかったことをうけ、救済RI合党Pの母船からも〈リモートウォーカー〉が発信し、ちょっとした戦闘が始まっていた。


 凪咲なぎさを撃墜しようと、容赦なく銃火器を使う救済RI合党P。それに対して、丸腰の凪咲なぎさは、飛び跳ねるように回避しながら、なんとか相手にしている。



「ちょちょちょちょーい! 無理だって、無理だって、無理だってえぇぇぇぇッ! ごめん、鈴音りんね! 流石に、ちょっとゴミ出ちゃうかも!」

「いいよ。存分に暴れてやれ、凪咲なぎさ先輩」

「おっけい! まっかせといて!」



 宇宙そらで繰り広げられているのは、デブリ除去衛星の奪還作戦。それを見て、俺はなんとも言えない心地だった。


 最終局面での裏切り。それにもかかわらず、リカバリーをし、しかも奮闘している。いや、それどころか、救済RI合党Pを相手に善戦まで始める始末。


 これでは、裏切った意味も何もない。たとえ、味方につこうと、敵に回ろうと、きっと結果は同じだったのだろう。はじめから、大きな運命の流れは鈴音りんねの手のなかにあった。だから、流れに身を任せようと、逆らおうと、結果は変わらない。結局、俺は居ても居なくても、どちらでもいい存在。それが、目の前で証明されていく。



「いい……チームだな。完敗だよ」

「何、言ってる? まだ負けてないぞ」

「?」

「コート替えでボケたのか、攻める方向を間違えただけなんだろう? 冷静になるまで、ベンチに下がってもらったが、目が覚めたら君にも出てもらうつもりだぞ?」



 なぁ、と鈴音りんねは俯く。

 そして寂しげに口を開いた。



「なんで、救済RI合党Pになった?」



 重々しい口調だった。とはいえ、俺の胸には突き刺さらない。過去を振り返ったところで、なにもないからだ。あるのは、ただ現在いまここにいる自分。大罪人としての自分だ。


 更生でもさせたいのだろうか。悪行を責めたいのなら責めればいいし、罰を受けさせたければ受けさせればいい。いっそ、首を落とせばいいだけなのにと、鈴音りんねを見下ろした。



「生憎、忘れるのは得意――」

「答えろ!」



 鈴音りんねに掴まれた。

 ぐっと、力を込めて。


 そうして向き合えば、彼女の夕日のように燃える瞳に、俺の伽藍洞が映り込む。



「何度忘れても、救済RI合党Pに身を置き続けたんだろ! たとえ自分が何者なのか、分からなくなったとしてもだ! なにが君をそうさせるんだ?」

「……はは。わけ分かんね。なんでお前が泣きそうなんだよ?」

「君も……君も、だなんて答えるのか? この世すべての理不尽が、偶然だと片づけるのか? それでいいのか? それで納得できるのか?」

「自分でもう答えてるだろ」



 


 それで許されるわけがない。



「誰かが言った。死ぬまでに経験する幸せと不幸の収支は釣り合うんだと。――鈴音りんね。お前はどう思う?」

「戯言だな。じゃあ、人生のなかで経験する晴れの日と雨の日は、みんな同じ日数なのか? くだらない。そんなわけがないだろう? それか、最低の善意だ。慰めの言葉にしては下手くそにもほどがある。それじゃあなにか? 幸せになるには、その分の理不尽にも耐えなきゃならないと?」



 ――反吐が出る。



「なら幸せのあとに不幸はあるのか? 不幸を味わえば、幸せになれるのか? 実際は違う。幸せを掴めた人間は、さらに幸せになり、不幸な人間は、さらに不幸になる」

「じゃあ、なぜ人は不幸になる?」



 子どもの頃、よくやったゲームがある。時計を見ずに十秒を数えて、ストップと言う。それで、一番実際のタイムと近かった人が勝ちというものだ。


 十秒くらいであれば、面白いものだ。だが、それが三分、十分、一時間となればどうだろう。一年、十年、百年となればどうだろう。その差は愕然としたものになり、目の前に現れる。


 けれど、その始まりは、でしかない。十秒のゲームでは、お互いに楽しめたほどの、本当にだ。だが、その最初のボタンの掛け違いが、大きなズレを生んでしまう。正しく時間を刻めた人は正しく進み、ズレた人はズレ続ける。


 同じように、幸せを掴めた人は幸せになり続けるし、不幸な人は不幸を経験し続ける。一度ズレてしまった道を直すためには、するくらいのことをしなければだめだろう。


 けれど、ズレてしまうのは当人のせいだろうか。数えるのが早かったのは、たまたま運動をした後だったからかもしれないし、遅かったのは寝不足だったからかもしれない。やりたいことに全力投球していたからかもしれないし、理想に向かって走っていたからかもしれない。そして――



「――大切な大会で大怪我をしたからかもしれない」



 たまたま、だ。


 未来は、たまたま奪われる。



「だから、俺は救済RI合党Pに入った。そんなくだらない世界を壊したかった。そのためには、目を覚まさせる必要がある。死ぬまでに幸と不幸の収支は釣り合うんだと戯言をのたまう奴らの頭上に、星を堕とす! そして、訊いてやるんだ。――収支は釣り合ったかと」

「実行犯の君がそれを問うのか? ……いいや違うな。そんな大量殺戮を黙認した運命こそが、君の本当の敵か。かけがえのないはずの命が、想いが、夢が、いとも簡単に踏みにじられることが、で片づけられるのかを、君は問いたいんだな?」



 世界は理不尽だ。


 その想いは、きっと俺と鈴音りんねとの間で、たいした差はなかった。鈴音りんねは唇を噛むが、それは俺の考えが手に取るように分かってしまうからだ。潜在的に、鈴音りんねには悪役の才能がある。だから、救済RI合党Pの目的である主権国家体制への挑戦の理念にも、共感できてしまう点はあるし、脅されたとはいえ一時的に救済RI合党Pに手を貸した。


 だからこそ、俺の方が訊きたかった。



「どうして、お前こそ救済RI合党Pに来ない? 抵抗しなければ、お前だって大量殺戮をおこなうテロリストになれたはずだ。どうして、抗う?」



 その瞬間だった。

 眼前に頭が飛んできた。


 ジャンプした鈴音りんねによる頭突き。鼻頭めがけて、真っすぐに飛ばれて直撃。突然のことに、俺は呻きながら、その場にへたり込む。



「うるさい、うるさい、うるさい! 黙れ! お前が言うな! 本当に、なんなんだよお前! ふざっけんなよ!」

「……りん

「僕だって堕ちたいさ! 東京が燃え上がる姿を見てみたいさ! 無機質のゴミなんかより、燃えるゴミを処理した方が、地球のためにもなるし、楽しそうだなって思うこともあるよ!」

「なら……」

「でも! 他の誰でもない先輩が言ったんだろ!」




 だから、堕ちるな。

 ずっと、そこで輝いていてくれ。

 お前は、シリウスなんだから。



 

「お姉ちゃんの代わりなんて、どうでもいいよ! そこはどうでもいい! そばに居てくれるって言ったのは嘘かよ? ――ああ、先輩の代わりなんて、いくらでもいるかもしれない。先輩が言うなら、そうかもな。でも、先輩が好きになった人や、先輩のことを想ってくれる人に、代わりは居るのか? 風花ふうか先輩の代わりはいるのか? 凪咲なぎさ先輩の代わりは居るのか?」



 そんなの……。



「僕の代わりはいるのか?」



 いない。



「だったら――」



 俺は胸倉を掴まれる。

 そして、真っすぐに目が合う。 


 目の前で輝くのはシリウス。


 その瞳の奥には、俺が居る。瞳に映る俺は死神の姿をしている。けれども、大アルカナ十三番『THE DEATH』の意味は、誰かの死を告げるものではないと鈴音りんねは言う。むしろ、終わり。そして、始まりを示すカード。カードに描かれた地平線からは、太陽が昇っている。



「――私がシリウスなら、先輩は太陽なんだよ! 私が落ちてしまいそうなときに側にいて照らしてくれる光なんだよ! いつまで逆位置でいるつもりなんだよ、日向ひなた先輩!」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る