第30話

 早波はやなみ郁翔いくと宇宙そらに立っている。

 まるで死神が佇むように。



「なるほど、これが〈アストラル・クレスト〉の機体か。少し動作が遅いな」



 映し出されるディスプレイのなかから、声がしてくる。手や腕を動かしたりして、〈リモートウォーカー〉の動作確認をしながら、述べられた感想だった。僕は「お前らが使うような軍用じゃないからな」と返そうかと悩んだが、しかしスペックでは救済RI合党Pの方が上なのは確かにそうだった。


 そのうち、郁翔いくとを繋げた〈アストラル・クレスト〉の母船に、一基の人口天体が接近して来る。救済RI合党Pが所有する無人母船だ。いつもなら、接近して悪さをされることを防ぐためにマヌーバーするところだが、いまは接近を受け入れる。を受け渡すためだ。



「これが……お前らのキラー衛星?」

「失礼な。デブリ除去衛星だ」

「その割には、スラスターなんかつけて……張り切ってるな」

「想定より大きかった場合、に持っていけるようにと開発された代物だ。一個しかないんだから、丁寧に使えよ」



 墓場というのは墓場軌道のことだ。上空三万六〇〇〇キロよりもさらに向こう側の世界。当初は、大きすぎる宇宙ホテルの残骸を、墓場軌道まで飛ばすつもりで「ようやく出番だな」「うまく機能するか?」と不安に思っていたが、すべて杞憂に終わりそうだ。


 衛星と宇宙ホテルを伝導性テザーで繋げたあとは、ローレンツ力を利用させて落下させる。スラスターは補助的な役割になりそうだ。


 もちろん、落下させる場所というのは――



「……ッ」



 唇を噛んでいた。


 脳裏に浮かぶのは、一〇〇〇万人の死。放射能汚染される国土。そして、荒廃した地獄で、泣き叫ぶ人々の姿だ。


 大量殺戮する世紀の大罪人になることに怖けずいたわけではない。この国をぶっ壊す。それは、アリといえばアリだ。こんなにも世のため人のためにと努力した結果、それを潰した奴らだ。潰し返しても文句は言われないだろう。



「世のため……か。傲慢だな……僕も」



 お姉ちゃんを奪った人たちのことは許せない。けれど、そんなことのために、関係のない人をたくさん見殺しにすることのどこが、世のためだというのだろう。


 ああ……。


 いま目の前で殺人衛星の引き渡しがおこなわれている。並走をする母船同士に搭載しているカメラが、船外活動をしている数人の救済RI合党Pのメンバーの姿を捉えている。高度四〇〇キロメートル地点の闇のなかでおこなわれている前代未聞の大犯罪。それがまるで、僕には映画のワンシーンのように思えてならなかった。いや、そうだと思いたかった。



「ははは……。だってさ……、僕は人質取られてるから。言うこと聞かないと、ダメだろ? 先輩たちが殺されちゃうんだ……」



 幸いなことに、言い訳ならたくさんあった。よく弁が立つと言われるけれど、理屈をこねまわしているだけだ。でも、得意なのは否定しない。



「そ、そうだ。早波はやなみ郁翔いくとに、救済RI合党Pからの犯行声明を出さないように提案するのはどうだろう。事故に見せかけるんだ」



 言い訳はたくさん、ある。



「だ、だいたい、こんなものを衛星軌道上に放置し続けて、何の対策も取らない国の方が悪いんじゃないか。自業自得だよ……ははは。どうせ、事故だって言い張ればロクに調査能力もないんだ」



 言い訳はたくさん、ある。



「と、というか、こんなヤバいことをしてるのに、気付かない公安アホすぎるだろ。なに目の前で犯罪してんのに……加担させられてんのに、知らんぷりなんだよ? ……そっか、捜査能力ないんだった。ザコなんだった。忘れてた忘れてた、あはははははは」



 言い訳はたくさん、ある。



「だいたい、一人きりにするからダメなんだよ。僕は……悪役の才能があるんだから、放っておいたら……駄目じゃん」



 言い訳はたくさん、ある。



「なんで一人にしたんだよ、凪咲なぎさ先輩」



 助けて。



「いま居てほしいんだよ、風花ふうか先輩」



 助けて。



「……助けて。……日向ひなた先輩」



 助けて。





 




「――ったく、一人で突っ走ってんじゃねぇよ。」









 背後から声がした。



「退屈から連れ出すっつったのはお前だろ、鈴音りんね



 振り返れば、そこには白衣姿の中年男性――常泉じょうせん史敦ふみあつ。けれども、それが本物ではないことは僕には分かった。それは、セキュリティをかいくぐるための真似事。誰よりも人のことを見ていて、だからこそ、先輩が、にぃと歯をのぞかせて笑っている。


 声も、姿も、まるっきり別人。喋り口調でさえ、もしかしたら僕の脳が勝手に処理した幻聴だったかもしれない。それでも、目の前の人が先輩だと思えたのは、目の前が霞んでよく見えなかったからだ。濡れる瞳が、溢れる涙が、その幻影を濃くしていく。ぼんやりと霞む視界のなかで、太陽のように眩い光を放って、彼は立っていた。


 奥宮おくみや日向ひなた



「どう……して?」

「散々人を巻き込んでおいて、それ訊くのかよ? 寂しそうに屋上にいる後輩を、放っておけるわけないだろ」

「……なんだ。見られてた……んですね」

「勝手に終わらせんな。巻き込んだなら、最後まで巻き込め。迷惑かけたんなら、かけまくれ。――どうせ忘れるからな」



 笑えない冗談だった。常泉じょうせんの皮を被ることによって、寄生虫に食われてしまう記憶の領域はどれくらいだろう。きっと、常泉じょうせんに化けたことは忘れるだろうし、いま僕とのやり取りも忘れてしまうかもしれない。



「せっかく……先輩のこと名前呼びしたのに。最低ですね」

「悪ぃな。――最低ついでに。ほら」



 そう言って、日向ひなた先輩は、手に持っていたものを差し出す。はじめは霞んでよく見えないが、妙に触りなれた感覚のもの。それは、僕もよく知っているセピア色のノートだった。



「これなーんだ」




 *****




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【五月十日】



 返答が遅れて、ごめんなさい。それから、不安な思いをずっとさせてしまって本当にごめんなさい。どんなふうに向き合うべきか、ずっと分からなくて……それで悩んでしまっていました。


 デス・ハーミットさん。あなたの正体については、湖上こじょうさんから聞きました。なんでそんな物騒な名前なんですか? 湖上こじょうさんは由来について知っているようでしたが、そんな彼女も「せめて『THE STAR』とかの方が合ってる」と言ってました。


 大アルカナ十七番『THE STAR』は、シリウスを示してるんだそうです。なら、僕もそっちの方が、あなたらしくていいんじゃないかなと思います。星幽の尾根アストラル・クレストの頂上に座すおおいぬ座α星シリウス。それが、あなたなんです。なのに――勝手に一人で消えようとしてんじゃねぇよ。闇のなかでも、俺たちの突き進むべき場所を指し示すのがお前だろ? 


 忘れっぽい俺のことです。きっと、デスハーミットさんが誰だったかも忘れると思います。だから、これは匿名の人に向けたエールだと捉えてくれたら嬉しいです。


 でも、これだけは約束します。


 俺はずっとあなたの側にいます。こう見えて、真似だけは得意なんです。もしかしたら、あなたの大切な人――お姉さんの真似事くらいならできるかもしれません。それくらいのことしか、俺にはできないから……。



 だから、堕ちるな。

 ずっと、そこで輝いていてくれ。

 お前は、シリウスなんだから。




奥宮日向コスモス


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